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【広告本読書録:047】古賀史健がまとめた糸井重里のこと。<後編>

糸井重里 古賀史健 著 ほぼ日発行

前編の続き、糸井さんがブームになっていき、そして広告の舞台から去るところを後編ではご紹介します。いちばんぼくが知りたかった糸井さんについて描かれている唯一の書、というと言い過ぎかもしれませんが、まあ、そのようなものです。

その前に、ブームだった糸井さん、広告業界でもいろいろと妬まれたり嫉みを買ったりしていたみたい。甚だ個人的な記憶ではありますが、昔みた糸井さんの広告についての評がめちゃくちゃ辛口で。同じコピーライターのマイナーだけど大御所、みたいな人だったんですけど(すっかり名前は失念してしまいました)え?なんで同業だよね、なんでこんなケチョンケチョンにするの?とおもいました。

いまみたいにTwitterとかで炎上!みたいな文化もなかったので、余計びっくりしたんだと思います。確か「おいしい生活。」か何かだったとおもうんだけど。「このようなモノは広告ではない。それどころか社会にとって害悪であると警鐘を鳴らす」みたいな口調の批評でした。

あと、以前この読書録で取り上げた糸井さん著の『コピーライターの世界』という本でも、鈴木康行さんが噛み付いてましたね。

鈴木:若くないコピーライターに鉛筆を捨てるな、と。イトイに仕事を頼めばいいってもんじゃない、と。ナウイってイヤなの。ナウイっていうとイトイなの、広告部長なんかが。
糸井:ひでぇ。ちゃんと否定してくれてますか?鈴木先生。
鈴木:しない。あれはナウだって言ってやってる。ナウってものがあるなら、あれはナウだって。で、まぁ、あれでおたくのモノの場合は売れませんよ、と。
糸井:ハー、すいません。

まあ広告の作り方なんてものはひとつじゃないですし、それぞれがおのおのの流儀宗旨宗派を持てばいいだけのことなんですが、なんかこう「主流」「王道」あるいは「職人」的なところからは嫌われやすいのね。

でも、これもこの読書録で取り上げた『糸井重里全仕事』を見ると、いやいやこれはこれでなかなかどうして…というぐらいボリューム満点のコピーワークがある。

そして、話題になるとか、エッジが効いている仕事をする人は、ファンもいればそれと同じだけのアンチがいるものなんですね。万人に好かれる人がつくる表現なんか、きっと、うすあじのカール(ありましたけどね!)みたいに味気ないのかもしれません。

では、予想よりもながーくなった枕を横において、本題。

それは『TOKIO』からはじまった

それまで業界の一部やマニアックな世界でのみ一目置かれていた糸井さんをサブカルのスターダム(?)に押し上げたのが、沢田研二さんのヒット曲である『TOKIO』です。

本題に入ったばかりで脇道にそれて大変申し訳無いのですが、リリース当時世の中に流通していた「トキオ」には2種類あり、ひとつはこの沢田研二の『TOKIO』。そしてもうひとつは前述のYellowMagicOrchestraの『テクノポリス』。テクノポリスはボコーダーサウンドによる『トキオッ』というイントロから始まる曲で、あまり物事にこまかくないタイプの人はテクノポリスという正式な曲名ではなく「YMOのトキオ」というよくわからない呼び方をしていました。

ま、どちらも一世を風靡した、そしてほぼ同じタイミング(沢田研二は79年11月25日、YMOは79年10月25日!ちょうど一ヶ月違い!)でリリースされた曲ということで、O型の割にきちょうめんなぼくはもしかしたらゲーノー界にものすごく力のあるフィクサーがいて、同時に仕掛けたのではないか、とおもっていたものでした。

話を戻しますと、アルバムでの発売を経て『TOKIO』がシングル・カットされたのは1980年1月1日。糸井さんは31歳。歌舞伎町の風俗店のスピーカーから『TOKIO』が流れてきたとき「もしかしたらぼくの人生が変わるかもしれない」と胸騒ぎを感じたんだそうです。

まさに『TOKIO』が糸井さんメジャー・デビューの入り口となったのです。

糸井ブームとはなんだったのか

そうしてやってきた糸井ブーム。広告はおろか、テレビ、ラジオ、雑誌、イベントとあちこちからひっぱりだこです。広告畑以外の活動も盛んで、雑誌『ビックリハウス』で連載していた「ヘンタイよいこ新聞」や『週刊文春』の「萬流コピー塾」などでファンの裾野をグイグイ拡げていきます。

さらにNHK教育テレビのトーク番組『YOU』ですね。糸井さんはこれらのいわゆる「公器」を使って若者が集まる「場」を次々とつくっていきました。集まってくるのはいずれもちょっと変わった、おもしろい、主役ではないけどマニアックなクラスのプチ人気者。スポーツはいまいちで成績もまんなかぐらいなんだけど、ある分野にかけてはやたら博識。そんなタイプです。

逆をいえばそれまでの時代で、そういった文系サブカルキッズたちがいきいきと活動できる「場」は少なかったんですよね。深夜ラジオぐらい。そこにあらわれた糸井さんはまさしく若者の教祖と崇め奉られるわけです。

こうなると「糸井が流行ってる」という状態のできあがりです。でも糸井さんご本人はそんな意識はない、と断言します。

それでいうとぼくは「教祖として若者と会う」なんて時間は、ほとんど持っていませんでした。そこが教祖っぽくなっていく人との分かれ道じゃないでしょうか。

広告人・糸井重里

一方、本業(?)である広告の世界ではますます円熟味を増していきます。この本では不朽の名作「おいしい生活。」が生まれた瞬間について生々しく描かれているのでちょいと引用します。

あのコピーは国際線の飛行機で考えついたんですよ。その前年、ぼくは西武百貨店で「不思議、大好き。」というコピーをつくっていました。それで「不思議といえば七不思議、エジプトのピラミッドだ!」とエジプトロケを敢行したんだけど、とにかくフライト時間が長い。そして機内食がまずい。しかも降りることができないでしょ?もう「なにも贅沢は言わないから、お茶漬けでもいいから出してくれ!」っていうくらい、うんざりしていました。
そのとき急に浮かんだのが、このことばです。それこそ映画の登場人物みたいにペーパーナプキンに書きとめました。手応えは、最初からありましたね。「おれはもう、これ以上のコピーは書けないんじゃないか」とさえ思いましたから。

コピーライターなら覚えがあるとおもいますが「あなたの最高傑作コピーを教えてください」なんて聞かれたとき、ちょっとカッコつけて「最高傑作は…次回作ですね」と答えますよね。でもこれ、あながちキザなセリフでもなくて、この仕事に就いている者の矜持でもあったりします。

つまり、現時点の自分の仕事のクオリティに満足したらおしまいだ、ましてや過去に書いたコピーを最高傑作だなんて言うのは老害だ、ぐらいの気持ちを持ってみんな仕事に向き合ってるんです。

だからこそ、この糸井さんの気持ちって、うらやましいとおもうんです。おれはもう、これ以上のコピーは書けないんじゃないか、とおもえるなんて本当にすばらしく幸せなことだと。

広告をやめた理由

そしていよいよぼくが知りたかった最後のクエスチョン。なぜ糸井さんは広告の仕事から距離をおいていったのか。距離をおいて徳川埋蔵金やバス釣りに走ったのか。あ、この本には徳川やバスについては触れてないです、ねんのため。

それはですね、この本によるとですね、バブルが弾けたあとの広告主あるいは代理店の体質変化によるものだそうです。プレゼンで負ける回数が増えていったのですが、その理由がアイデアやクリエイティブではなく「あっちの代理店がこのタレントを押さえたから」。そして最終的には「いま、これが売れています」がいちばん強いコピーになっていった。

ぼくらの感覚からすると「有名なタレントさんを使って売りましょう」なんていうのは、ダメな代理店の、力のないクリエイティブがやることなんです。なにもないところから、オルタナティブなアイディアで、あたらしい価値を生み出すことがクリエイティブだと思っていましたから。

ただ、だからといって「おれたちの時代の広告は」とか「昔はよかった」「最近の広告はけしからん」というのは「むかし売れていたおじさん」としていちばんタチが悪いことだから、広告を離れてほぼ日に移ったといいます。

以前、これもど忘れしてしまったのですが、何かの雑誌のインタビュー記事(Webだったかもしれません)で糸井さんが「45歳ぐらいでそれまでナメてたことのツケがドーンと回ってきた」というようなことを言ってました。ほぼ日をはじめたのはきっとその後のことなんでしょう。

糸井さんにとってのコピー

糸井さんがコピーに求めていたこと。それは「うまい」ではなく「うれしい」でした。世間ではコピーライターというと「なにかうまいこと言うひと」のように見られがちですよね。でも糸井さんは技術ではなかった。

ことばの技術におぼれることだけはしないでおこうと決めていたんです。

糸井さんはお酒が飲めません。酒飲みの気持ちなんて到底理解できません。でもお酒の広告をつくることはできる。「なぜ人はお酒を飲むのか?」を考えたって、糸井さんにはわかりっこありません。

でも「なぜ人はこれを買うのか?」だったら理解できる。そしてそれは商品や広告に「うれしい」が入ったときだ、と糸井さんはいいます。ことばの技術ではなく、「うれしい」をつくるのはもっと感覚的なよろこびだと。

なるほど、ここに糸井さん流のコピー作法を垣間見ることができそうです。

さいごに

この本にはほかに、幼少期の話、お父さんの話、MOTHERの話、岩田さんの話、そしてほぼ日の話が糸井さんの口で語られています。しかしぼくが興味関心をもっているのは前編後編の二回にわけてこちらで紹介したもの。みんなが大好きな『ほぼ日』はなんかどうもちょっとなあ…としっくりきてないんです。ずっと。

まあ、ひとりぐらいそういう人間がいたっていいじゃないですか。あ、でもクリエイター糸井重里の解像度を上げてくれたこの本、ほぼ日から出てるんですよね。そういう意味では視界から外せない存在なのか?ほぼ日…うむむ


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