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2023年の7月を振り返る

歳をとると時間が早く過ぎる現象に名前をつけるなら…と、書いたところですでに命名されているんじゃないかとおもい、検索してみた。

ありました。

『ジャネーの法則』

「人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する」というものです。歳をとるにつれて自分の人生における「1年」の比率が小さくなるため、体感として1年が短く、時間が早く過ぎると感じるということです。

医療法人北祐会 北海道脳神経内科病院 北祐会ブログより引用

さすが医療法人。ブログ、なんてかわいい体裁をしているにも関わらず、いまひとつ何を言っているのかわかりません。難解です。

と、首を傾げているとおそらくそのような声が多かったからか、記事中に「年齢と体感時間」の一覧表がありました。親切です。

1歳の時に感じる1年は1/1、2歳で1/2、3歳で1/3…となるとのこと。つまり1歳の1年は365日、2歳の1年は138日、3歳は122日、という計算です。

それによると、いま54歳のわたしの1年は、なんと、7日。

7日。

1年が1週間ですって!?

そう言われればそんな気がしてきました。7月があっという間に過ぎ去って、そろそろ今年も水曜の午後を迎える感じです。


宿題をいつやればいいのか

7月といえば夏休み。わたしは小中高と一貫して夏休みをこよなく愛する少年でした。大好物は?と聞かれると夏休み!と即答するほど。

で、夏休みといえば宿題がドサッと出るじゃないですか。わたしは小中高と一貫して宿題が大嫌いな少年でした。嫌いなものは?と以下略。

まあ、でも、学校いくよりゃいいだろう。ってんで、渋々やるんですが(高校に入ってからは色々難癖をつけてやらなかった)判で押したように言われたのが「夏休みの宿題は午前中の涼しい時間にやりましょう」でしたよね?

いま、午前中は涼しいのか?

今日なんか朝7時の時点で29度だぞ。暑いぞ。

っていうか今年の東京の7月は特に暑かった。過去最高を更新しているのではないだろうか。こんなに暑かったっけ7月。

ということでわたしが生まれた年の東京の7月はどうなのか調べてみた。ひと昔まえなら気象庁に問い合わせないことにはわからなかったこの手の情報も、検索一発で入手できる。

まことに便利になったし、この便利をつくってくれた人が必ず裏側にいるので感謝の気持ちを忘れてはいけない。インターネッツのサービスなどはともすれば自動でチョチョチョイと汗もかかずに作れそうな幻想を見がちだが、そんなことはないのだよ。

さて。

1968年(昭和43年)7月の東京の最高気温は32.3度。平均気温は24.7度。

この数値だけを見ると、なんだ55年前もそんなに変わらないんじゃ…と思いがちだがノンノン、ノンノンシェフよ。

1968年7月の東京で30度超えの日はたったの9日。一方で2023年7月で30度超えの日は29日。っていうか30度超えてない日が2日しかない。そして最高気温は37.7度。

南極の氷は確実に溶けているに違いない。

こうなると令和の小学生は夏休みの宿題を夜中の1時から3時ぐらいにやるのが気温的にはよろしいということになる。それでも27度ぐらいあるが。

夜更かし推奨の夏休みだったら、ちょっと羨ましいな。


神泉からミヤシタパークへ

ちょっとした会社の事情で働く場所が移転した。この3年ほど神泉に仕事場を構えていたのだが、7月半ばからミヤシタパークのトイメンにある雑居ビルになった。

住み慣れた神泉を離れるのは一抹の寂しさを伴う。行きつけの立ち飲み屋、ランチでさんざん世話になったあの店、この店。いかがわしさ漂う界隈には都会には珍しく人情が残っていた。

しかし一方で、環境が変わることについては実に喜ばしい。慣れはルーティンとなり、快適さと引き換えに刺激がなくなる。

日々の暮らしの中で感覚を研ぎ澄ませておくことが少なからず役に立つ職業である以上、オフィスの引っ越しは大賛成なのである。

何がどう変わったか、ということについてはもうしばらく新しい街での経験を積んでから、面白おかしく報告します。

いまはまだ舞い上がっているので、客観的に記録したり描写することが難しい。


noteをやっててよかった

いまでこそメインの仕事ではないにせよ、キャリアの多くを求人広告畑で過ごしてきた。若い頃というのは傲慢なもので、自分自身の利益のためにただひたすら広告コピーの腕を磨くことだけを考えていた。自利ですな。

本当はメジャーな、いわゆるデーハーな、テレビCMと新聞全30段と駅貼りB倍版のポスターと雑広のメディアジャック、みたいなのに憧れていたのだが、やがて己の能力の限界を感じ、求人広告でなら磨いてきた技術がウケるだろうというヨコシマなデイドリームを見ながら30代と40代の前半をその領域に費やした。全て己のためだけに。

まあ、30代までは自利でいいでしょう。

ただですね、40代も半ばを過ぎたいい大人がいつまでも自分の成長とか言ってるのって、気持ち悪くないですか?

齢50を超えたぐらいからは、それまでにやってきたこと、蓄えてきた能力を社会に還元すべきだとおもうんです。

おもうんですが自分ができることはなんだろうか、と考えると、はて、なにもなさそうだ。フリーランスのような会社員としてふわふわ好き勝手に仕事をしている。部下といった存在を持たなくなって数年が経つ。

このまま何も恩返しできない状態でキャリアの蓋を閉じるのだろうか。なんかそれって嫌だな、とおもったとき、ふと、ある一節が頭に浮かんだ。

「ゴルフで得たものはゴルフに返す」

鉄人系コピーライター鈴木康之さんの『名作コピーの教え』の「あとがき」の書き出し。そうか、求人広告で得たものは求人広告に返せばいいのか。部下が、弟子が、教え子がいなくたって、どこかにメソッドや考え方を書いて発表すればいいんじゃないか。

そんなおもいから毎週月曜日、求人広告制作初学者、なかでもコピーライターに向けて『求人広告制作note』を書き始めた。

しかし、ここでどれだけ持論を展開しても、現場との距離は埋まらない。埋まらないどころか、どこの媒体社に属しているわけでもない、求人広告代理業を営む(しかも複数ある事業の中の一事業)会社の、元コピーライターの声は、当然ながら届かない。

次第にnoteも捻くれた内容や表現のものが多くなっていく。現状への不満、ビジネスサイドの無理解に対する小さな怒り、どんどん低下していく求人広告のクオリティ、ほぼ絶滅危惧と化したクリエイティビティ。

こんなの書いてたって、求人広告制作なう、な人は誰も読まないし、なんか負け犬の遠吠えみたいだな。そんなふうに感じはじめた。

所属している会社が出稿する求人広告には監修という立場で一枚噛むのだが媒体社の制作担当からあがってくる求人広告原稿の、その目を覆いたくなるような雑な言葉の羅列に、己の無力さを刻まれるような気がしていた。

そんなある日。ある媒体社に依頼していた求人原稿が人事から回ってきた。どうせまた、と、まったく期待せずにPDFを開くと…

悪くない。

アイデアはないのだが、少なくともいいものをつくろう、という姿勢が一文一文から伝わってくる。読みやすいし、何より伝えようという意志が感じられるコピー。

久しぶりだった。うれしくなった。うれしくなったので人事を通してのフィードバックに「とても丁寧に作ってくださってありがとうございます。クオリティにはまったく問題ありません」と付け加えた。

ほどなくして人事から届いたチャットがこれ。

ちなみに日付は7月4日のことでした

なんと、現役の求人広告制作者が『求人広告制作note』を読んでくださっている。そのことがわかっただけでもうれしいのに、褒めてもらえたと喜んでくれている。

ちゃんと届いていた。ちゃんと伝わっていた。しかもいちばん届けたい、伝えたい人に。

やっててよかった、とおもいました。もうやめちゃおうとおもってたけど、もう少し続けようともおもいました。

ありがとう、某媒体の某さん!


と、いうことでめちゃめちゃ暑い1ヶ月、めちゃめちゃ忙しく駆け抜けました。あれやこれや考える暇もなく、走ってきました。

もっといろいろ書きたいことはあったのに(吉川忠英さんとお会いした話、コエドビール朝霧社長がとびきり素敵な方だったことなど)ネタをアウトプットできるレベルにまで整理する時間も気力も体力もなく、7月を終えようとしています。

おそらく8月もこんな感じでドカドカ、ワーワー過ぎ去っていくことでしょう。

夏バテしないかな。しないだろうな。ビール飲んでるもんな。

みなさんも熱中症にはくれぐれもお気をつけください。

明日から8月。サラッと流しましょう。

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