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場末の居酒屋に応募してくる人たち

そういうわけで25歳でコピーライターの事務所から夜逃げしました。ボスが恐くて速攻で各駅停車を乗り継いで名古屋に帰り、二週間ほどガラを隠していました。その間に名古屋空港に飛行機が墜落したり、アイルトン・セナが亡くなったり。世界もぼくにあわせて激動していたんですね。

そして東京に戻ってふとおもいました。

今日食う米を買う金がない。

ぼくは仕方なく池袋の居酒屋でアルバイトをはじめることにします。チェーン店は性に合ってなさそうだったので、どう見ても個人店だなという面構えのお店。

時給は950円。15時から24時まで働けば一日8550円。週6日で51300円。4週で205200円。コピーライターの時は月給11万5000円(3年で5000円昇給した)だったので、裕福な暮らしができそう。

そんな取らぬ狸の皮算用は「最初は17時までに入ればいいよ」の一言でもろくも崩れ去るのですが、それでも営業時間にハッスルすることで社員のみなさんに「あいつ使える」と思ってもらい、翌月からは15時入り、3ヶ月目からは12時入りが許されるまでに。

がんばりました。

客単価を上げるアイデアを実行したことも。師走の寒い中、入店待ちのお客様の列をつくったことも。広告の経験を活かして広報担当として雑誌や新聞の取材対応も行ないました。天職とはまさにこれ、とおもいました。

そのときの仕事のひとつに採用がありました。

社員よりもバイト比率が高く、それなりにハードな環境であったこと、学生バイトも一定数いたことから、比較的頻繁に採用ニーズが発生するのです。ぼくは、いちばん最初の会社が求人広告だったこともあり、募集掲載から面接まで担当しました。

どんな人を採用したいかって?もちろん、ぼくのような人物ですよ。

要は長時間働けて、長期間勤めてくれるフリーターがほしかったのです。だって学生は数年後にやめてしまうし、短い時間しか働けない人に任せられる仕事って限られてきます。

ではみなさん、居酒屋のバイト募集に応募してくる人ってどんな連中だと思いますか?西池袋とはいえ、三業地にほど近い場末の居酒屋です。この店に応募してくるのってそりゃあもう魑魅魍魎の有象無象ですよ。

スーツ姿でやってきた男

居酒屋の面接なのにエンジ色のスーツでキメまくって登場した男。髪はボサボサの金髪。ホストか?こいつ。とおもいながら聞いてみました。

「なんでスーツなの?」
「あ、コンビニで、これ見て」

と差し出す雑誌らしき切れ端。聞けば、パチンコ屋のバイトの面接にいったそうな。そこはスーツ着用のことだったそうな。そんでその場で落とされたそうな。

「いや、話が見えんが」
「しょうがないんで、この裏の電話番号にかけて」

全容がわかりました。コンビニでanを立ち読みしてパチンコ屋の募集のところだけ破いて電話して面接に行ったと。で、落とされたのでその裏に書いてあった電話番号に電話したと。そこがいまから来れるなら来てくれというので、いま来たんだと。ここが何屋なのかはしらないと。

あっぱれじゃないですか。あきれたぼくは採用しました。

趣味・特技欄が異様な男

そいつはやたらと眼光が鋭く、真っ黒に日焼けして、ガタイもよかった。身長は180はあったろう。ややぶっきらぼうだけど、愛嬌のある喋り方をする。ひととおり面接で話す内容を一方的に伝え、いつからこれるか、長期働けるかなどを確認。

ふと履歴書に目をやると……趣味・特技の欄に「セ○○ス」と書いてあるではないか。

こいつは…大物に違いない。迷うことなく採用しました。

入店後、文字通り大活躍してくれまして、店がハケたあとの夜遊びでも大活躍してくれまして。もちろん女癖はウルトラ悪いわ、よっぱらって停まってるベンツに立ちションをすることも。

しかもそれを目撃した本職から「てめえ!事務所来いや!」と恫喝されると「お前が来いや!」と怒鳴り返す始末。聞けば地元では負け知らずの喧嘩上等ゾッキーだったそうです。

北関東ヤクザVS板極の戦い

ゾッキーといえばもうふたり。面接のときすごく下手に出るんだけど、目が笑ってないヤツっているんですよ。そういうヤツはたいてい裏がある。または前科がある。ひとりは福島からやってきた板前顔。もうひとりは板橋極悪の特攻隊長だったヤサ男。

もちろんふたりとも採用するんですけど、このふたりが花見で激突しちゃってねぇ。新宿御苑でみんな楽しく飲んでるうちはよかったものの、ほんのちょっとした小競り合いから駅改札前で大乱闘。レストランのショーウインドウに突っ込んでいってガラス大破ですよ。

お巡りさんも飛んできて、みんな、逃げろ!って俺なにやってんだろうと頭を抱えた夜ですわ(時効)。そのまま北関東ヤクザは失踪。彼は地元でちょっとした傷害事件を起こして、そのまま東京に流れてきたらしく、なかなか勤め先が決まらなかったんです。で、ぼくのことを「恩師」って呼んでたので、なんか気まずかったです。

板橋極悪はそのまま厨房で板場の修行を!と息巻いていたんですが同じ西一番街のキャバ嬢に惚れ込んでいつの間にか消えていました。その前につきあってた調理師学校の女教師を捨てて…こういうザラザラした話ばっかりでしたね当時。

アインシュツルテンデノイバウテン

ダンス☆マンそっくりの人間が面接に来たこともありました。ダンス☆マンでもあり、モノホンの黒人ソウルシンガーみたい。脚が長くて、ベルボトムのジーンズを履いていたな。

そんなナリですから、当然聞くわけですよ。やっぱりソウルとかR&Bとか好きなの?って。こう見えて当時のぼくはお金もあって、洋楽のCDをたんまりコレクションしていましたから。音楽談義でもできたらな、とおもって。

そうしたらダンス☆マンのヤツ、

「アインシュツルテンデノイバウテン」
「は?」
「ノイバウテン。アインシュツルテンデノイバウテン」
「え?」

恋の呪文はスキトキメキトキスなら知ってるけど、なんか耳慣れない呪いの言葉をかけてくるじゃないですか。その見た目もあいまっておまえまさかブードゥー教か?と小声で確認したぐらいです。

採用です。

彼と打ち解けるまで半年かかりましたが、ようやく「アインシュツルテンデノイバウテン」がドイツのインダストリアルテクノバンドであることがわかったのは季節が冬になる頃のことでした。

■ ■ ■

ね、変わってるでしょう?ぼくの52年の人生の中でも最もバラエティに富んだ人間模様だったのが25歳から30歳までの5年間でした。

そして、その経験があったからこそ、その後に求人広告の世界でもう一度やりなおせたのです。これは間違いありません。

みんな、元気にやってるかな。

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