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神は細部に宿る、は求人広告コピーにもあてはまるか

前回の「量は質に転化する、は求人広告コピーにもあてはまるか」がことのほか好評で、noteの注目記事にも取り上げていただけたりしてうれしい年の瀬です。

なので調子にのって(これがいけないことはわかっているのですが)あてはまるかシリーズ第2弾。今回もビジネスシーンで語られることの多い金言、「神は細部に宿る」についての考察です。

しわすですし。

あ、なんだか回文みたいですね、しわすですし。

そもそもどういう意味か

神は細部に宿る。

もともとは建築の現場から生まれた言葉だそうです。近代建築の巨匠、ミース・ファン・デル・ローエの名言である、との説がググると出てきます。しかしその一方でミースが活動していた遥か昔の言葉という説もあり。

いろんな確認できない説がわっさと出てくることから(ニーチェ作とか)いまのところ「西洋の格言」というのが落とし所のようです。

意味はもう、読んで字の如くですね。細部へのこだわりが作品全体の完成度を決める、という、実に本質的な言葉。細かいところまで気を行き渡らせて作られたものこそ、良いもの、美しいものになるということです。

ものづくりに携わる人なら一度は聴いたことがあるはず。

というより、おそらくクリエイターと呼ばれる人たちはこの言葉を知る前に実際の仕事を通じて感じたり、理解したりするでしょう。

もちろんクリエイター以外の、営業やマーケッターでも企画書などをつくる場面において、この言葉にふれる機会は少なくないと思います。

ほら「お前の企画書はツメが甘いんだよ」なんて上司や先輩から指摘されたこと、あるでしょう。

(俺が三日三晩徹夜して作り上げた企画書の、どこがツメが甘いんだ!)

と心の中で憤慨してはいるものの、指摘した人がちょちょいと罫線の長さを揃えたり、色味を統一したり、フォントサイズのバランスを調整しただけで、見栄えがよくなるだけじゃなく、企画内容そのものまで良くなったように見えてきて。

そういう経験とか体験を通じて、結構多くのビジネスパーソンの間に「神は細部に宿る」が浸透していると思われます。

特に一億総棟方志功を標榜するわが国にはしっくりくる思想であり、格言ではないでしょうか。

格好の朝礼ネタ

ここで話は大きく逸れます。

サラリーマンたるもの、一度は人の上に立ってみたいですよね。いわゆる部下、というものを持ってみたい。持ったら何かが変わるのか、というと特に変化はないんですが、憧れとして。

そして部下を持った以上は、あれをやりたい。あれですよ、あれ。

朝礼で訓示をたれたいわけですよ。

朝から名言を一発かまして、部下たちからの尊敬を集めたい。「え~、激動する経済環境におきまして弊社のポジョンならびにプレゼンス、さらにはレーゾンデートルについてひとつ苦言を呈さざるを得ないほど状況は切迫しているのであります」みたいなことを鼻息荒く語るヤツ。あれをやりたいのね、小市民としては。

そこで繰り出される三題噺としては

①野球ネタ
②スポーツ選手ネタ
③ビジネス格言ネタ

が中小企業の定番といえるのではないでしょうか。

①は日本のおじさんサラリーマンの大好物です。チームワークのメタファー、あるいは采配を肴に適材適所に話題を及ぼす。

②は「キング・カズはあの齢で…」に代表される努力と根性話。イチローもなにかと引用されやすいアスリートです。

そして③が今回のテーマでもある神は細部に…に代表されるビジネス格言ですね。

昔、勤めていた会社での出来事です。まだその会社が小さかったころ、制作やサイト運用、マーケなどがひとつの部門で固まっていました。

で、その会社は営業会社だったので毎日朝礼があるわけですよ。朝礼では毎回、部署の責任者が持ち回りでファシリを担当し、最後にありがたい言葉で締めるという段取りでした。

ある日の朝礼。広報の責任者が司会進行をつつがなく進めていました。会の終わりに、よし、今日の見せ場だといわんばかりに鼻の穴を大きく開き「みなさんは細部に神は宿るという言葉をご存知ですか?」と切り出します。

ざわつく聴衆。といっても8人だけど。

あの~と申し訳なさげに手をあげた新人くん。

「神は細部に宿る、ですよね」
「え?」
「いま、細部に神は宿る、って」
「なにいってんのどっちでもいいだろ?」
「いや、でも…」
「うるさいな同じ意味だからいいんだよ」

全員が「神は細部に宿る、とは…」と思いながら黙ってうつむいたのはいうまでもありません。

で、結局どうなのか

話を強引に真面目モードに戻します。

結論、求人広告にも「神は細部に宿る」はあてはまるのか。

間違いなく当てはまります。当てはまるどころか、ほぼそれの積み重ねです。コピーという表現の問題に限らず、広告設計といってもいい。めちゃくちゃ神が細部に宿っています。

たとえば職種名。これひとつとっても目線がきちんと採用対象者層に向いているか。未経験者に通じる職種名と、キャリア層に伝わる職種名と、ベテランに響く職種名は違います。この細かいチューニング。

たとえば応募資格欄。経験者歓迎なのか、優遇なのか。優遇だとした場合、何がどう優遇されるのか。わかりやすいところでいうと給与欄の給与例などとの紐づけが問われるわけです。

たとえば選考プロセス。スペシャリストの選考で一次面接の果たす役割は大きいですよね。ここに誰をもってくるか。人事採用担当でいいのか。専門性ある人、あるいはそれなりの役職者であるべきではないか。

たとえば給与額。月額、年俸、賞与の有無。たかが5万、10万というなかれ。求職者にとってはダイレクトに生活に結びつく重要事項です。求めるスキルやキャリアとの見合いはとれているか。相場観に照らして相当か。

ちょっとした綻びで応募効果なんて簡単にゼロになってしまいますし、下手すれば採用に関わる人の工数を全て無駄にしかねない。

一生懸命スカウトを50通も100通も送っても、給与額がいい加減なだけで返信率がゼロに近くなる。採用対象者の転職マインドまで汲み取ったコピーを書いても、適当な画像が添えられるだけでまるで機能しなくなる。あるいは万全とはいえなくなる。

このあたりのシビアさは、求人広告だけに課せられていることではありません。他の広告や表現物同様にコミュニケーションのボールは求人広告が掲載された瞬間にすべて読み手、つまり求職者に委ねられてしまうのです。

ですから求人広告制作者のあなたは、建築物を作る設計者と同じ熱量で、音楽を奏でる作曲家やアレンジャーと同じ目線で、120分の大作を編む映画監督と同じ覚悟で、神を細部に宿らせる必要があるのです。

その時、自分の仕事の対価が数万円にもならないのだから、という言い訳をするならばすぐに何かをつくる仕事をやめたほうがいい。

そういう言い訳をする人はおそらくですが一生自分の仕事の単価も価値も上がらないことに頭を悩ませることになるでしょう。おつかれさんとしか言いようがありません。

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