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東京びっくりガイド

おそろしいことにわたしが上京してはや37年が経とうとしている。ほんとうにおそろしい。いまこの文章を何名のヤングが読んでくれているか見当もつかないが、言っておこう。

いいか、人生は短い。
あっという間だ。
新幹線でいえば東京品川間ぐらい。
小説でいえば筒井康隆の『到着』ぐらい。
気でいえば東映の岡田茂ぐらい。
それぐらいの短さなんだ。

いやわかる。君たちのいいたいことはわかる。信じられないかもしれないがわたしにもヤングの時分はあり、そのときは君たちと同じ考えだった。

「人生、結構長いじゃん」

っていうかつい最近までそう思っていたのだが、ふと気づくと人生100年時代だとしても折り返し地点。世が世なら間もなく天寿を全うするところまできちまった。

びっくりだよ。

ま、べつに後悔とかそういうのはないんだけどね。

そしてびっくりといえば最近よく思い出すのは東京に来たばっかりの頃はいろいろおどろかされたなあ、ということである。

きょねんのいまごろも、そんなことを思いながらnoteを書いていた。

なのでことしもひとつ、この春から東京ライフをはじめる地方のヤングに向けて前もって知っておくべきことをレクチャーしようではないか。

それにしてもなんでこの時期になると上京当時のことを思い出すのだろうか。なにか記憶のスイッチでもあるのかな、1月とか2月に。

東京にはコウモリがいる

正確には「いた」です。過去形ですね。でも確かにいたんですコウモリがわっさと。

それはわたしが東十条駅から徒歩15分の北区神谷という下町で暮らしはじめたばかりの頃。夢も希望も金もコネもなく、ただ茫漠と過ごしていたのでいつも夕方は下宿の周りをウロウロしていたんです。

ちょうど時刻は幸田シャーミンの「スーパーターイム!」という軽快なナレーションがお茶の間に響き渡るころ。夕陽が東京の下町を赤く染めるんですが、それを遮るかのような黒い塊が。

そう、それがコウモリ軍団なのでした。

一匹二匹ではありません。数えきれないまっくろな渦がウネウネ、ウネウネと非等速直線運動を繰り返しているではありませんか。

「ひっ!ひぃぃぃぃっ!」

わたしの故郷(名古屋市内)ではコウモリを見ることはなかったので、最初は黒い塊がなんなのかわかりませんでした。下宿のおばばに聞いてはじめてそれがコウモリだと知ったのです。

数年後、社会に出ると夕方にまちなかを歩くことはなくなります。そうこうするうちにコウモリのことは忘れてしまいました。

もしかするとまだ、東京のどこか下町で、夕方になるとウネウネと飛び回っているかもしれません。びっくりするよ。

うっかりすると盗まれる

これも上京してしばらくの頃。わたしは大日本製本のアルバイトで稼いだお金で糊口をしのぐ日々を送っていました。

飯を食うのがやっとですから、着るものやお菓子といった贅沢品は実家からたまに送られてくる支援物資が頼りだったわけです。

ある日、頼みの綱のダンボールの中にひときわ目立つオレンジ色の洋服を見つけます。コシノジュンコのブランド『Mr.JUNKO』のポロシャツではありませんか。

母親からの手紙には「あんた若いんだでたまにはおしゃれして出かけやあ」とあります。おしゃれしても出かける先もなければ金もないのですが、わたしは母の思いに触れてとてもあたたかい気持ちになりました。

わたしはMr.JUNKOのポロシャツをたいそう大事にして、いつもいつも着ていました。そんなに着てるとポロシャツがボロシャツになっちゃうよ、と言われようと着続けました。そんなこと誰からも言われませんでしたが。

いまおもえば東十条のMr.JUNKOというあだ名を頂戴したような気もしますが気のせいかもしれません。

洗濯の際もコインランドリーでふだんはめったにつかわない『ソフター』を贅沢に投入。当時はアパートの1階に住んでいて、窓をあけると洗濯物を干せるように物干し竿が架かっていました。

おひさまはもう沈みかけていたので、そのまま型を整えて干しておくことにしました。

夜になり、朝がきて、さて今日もMr.JUNKOを着るか、と窓をあけると、そこには針金でできたハンガーがまるで主を失った秋田犬のようにポツンと寂しげにぶらさがっています。

何が起きたのかしばらくわかりませんでした。

東京は、うっかりしていると盗まれる町でもあります。びっくりするよ。

ちなみにわたしはこのあと不在時にアパートの隣人に部屋に無断侵入され、菓子やコーヒー、ラーメン、マヨネーズなどの食材を複数回盗まれました。また就職して最初の賞与で買った自転車をたったの3日で盗まれました。

びっくりするぜ。

いつまでも街が続く

この春から東京生活を!と鼻息の荒いトキオビギナーよ。まずは山手線に乗ってみてください。驚きますよ。

あなたの生まれ育った町とは違い、どこまで行っても繁華街。たとえば名古屋でいえば栄がずっと続くかんじ。栄は地下鉄だでわからん、という声に応えて名鉄で例えましょう。名古屋駅の次は栄生ですでに住宅地ですよね。そして川を超えて西枇杷島で決定的に田舎になるじゃないですか。

あれがない。いつまで経っても牧歌的な表情にならないんです、車窓の向こう側が。ずーっとシティ。ずーっと街。町にすらならないの。

「それは山手線だけでしょう?」

そう思いたい気持ちはよくわかります。チッチッチ、残念ながらこの怪奇現象は山手線だけのものではないんです。たとえば新宿から中央・総武線の三鷹行きにでも乗ってみなされ。

大久保から東中野のあたりでグワーンと大きくカーブしますよね。あのときの車窓から見えるどこまでも続く建物、家並み。住宅と住宅の間がミッチミチ。いったいこの東京には何人ぐらいの人が住んでいるんだ(979万4524人/2023年12月/東京都総務局統計部調べ)と恐怖を覚えるはず。

田舎者を絶望のズンドコに落とすゾーン

そしてその恐怖は中野、荻窪、吉祥寺そして三鷹へと続いていくのです。

「でもそれはJRだけでしょう?」

そう思いたい気持ちもわかります。チッチッチ、残念ながら私鉄とて同じことです。試しに新宿から小田急線本厚木行きあたりに乗り込んでみてくださいな。地上にでてからいい加減長いあいだやはりミッチミチの街並みを眺め続ける羽目になります。

とくにトンネルを抜けた先の経堂あたりから目にする風景は、360度パノラマの住宅密集地。わたしはあの風景を見るたびに火事になったらどうなるんだろうくわばらくわばら、と恐怖に打ち震えます。

この辺に住めれば立派な東京人なんすけどね

なおわたしが上京した頃は小田急線は柿生のあたり、あるいは京王線でいえば稲城のあたりまでくると牧歌的な、心がいくばくか落ち着く風景が広がっていました。最近なかなか足を運ぶ機会がありませんが、どうなっているんでしょうね。

とにかくいつまでもどこまでも街がなくならない街、それが東京なのです。びっくりするよ。


きりがないのでこのあたりで。

いかがでしたか?東京在住ウン十年、あるいはアたしで三代目こちとらチャキチャキの江戸っ子よ、という方以外はちょっと驚かれたのではないでしょうか。

しかし東京におどろかされることはまだまだあります。

個人経営の中華料理屋に餃子のタレがなかったり、水道水の味が微妙だったり、カラスが妙に頭よかったり、街を歩く若い女の子が全員どこかの坂グループに属しているように見えたり、自分以外の人間がみんな立派に見えたり。

ほんと、びっくりすることの連続です。

でも、だから飽きずに生まれ故郷で過ごした期間の倍もいられるのかもしれませんね。まあ、東京暮らしは鬼ごっこみたいなもんですから、気づけばあなたがびっくりさせる側に回っている、なんてこともあるでしょう。

ようこそ東京へ!

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