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いしいちゃんのとんかつ

25歳から30歳まで働いていた居酒屋は、池袋西口一番街にありました。西口と北口の辺りは当時、いまよりもっと雑多で怪しい雰囲気。ロサ会館を超えたトキワ通りのあたりには三業地だった名残が残っている。そんな街。

そこに集うはお客も従業員も一癖も二癖もある人ばかりです。玄関を開けた瞬間「おあいそーっ!!」と叫ぶ必殺お会計男や、輪ゴムの醤油漬けを肴に燗酒を飲み続けるキっちゃん(キは例のキです)といった強烈な常連たち。

そして彼らを迎え撃つクセの強い従業員の代表格は、なんといってもいしいちゃんでキマリです。

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いしいちゃんの口癖は「ズビー、ズバー」。そう、山形出身の朴訥な詐欺師がその正体。もちろんお店では大先輩ですし年齢も10個ぐらい上だったのでいしいさんと呼んでいたのですが、どうしても「いしいちゃん」と呼びたくなる愛すべき怪物なんです。

ちなみにぼくに魚の捌き方を教えてくれた師匠でもあります。三枚おろしも五枚おろしも全ていしいちゃん流。真鯛の頭を割る技術も、湯引きの仕方も牡蠣の殻の割り方まで教えてもらいました。

そんないしいちゃんのどんなところが怪物か。

いしいちゃんはある事情からバツイチになってしまいました。離婚の痛手を癒やすために傷心旅行に出かけます。当然ひとり旅ですよね。

その行きの電車、あずさ2号だかなんだかでたまたま隣り合わせた母娘と意気投合。急遽旅行先を変更し母娘に同行します。そのうえ帰りの電車でお義母さん、娘さんをぼくにくださいといったそうです。それがのちのいしいちゃんいわく鬼嫁になったと。すごくないですか?

いしいちゃんは田舎から出てきて大学に通いながら音楽の道を志します。その当時の若者は全て田舎から出てきて大学に通いながら音楽の道を志していたので特に珍しい話ではありません。

しかしいしいちゃんはなんと寺山修司の天井桟敷に潜り込み、JAシーザーのバンド『シーザーと悪魔の家』のゲストミュージシャンとしてデビュー。ロックチューバという奇天烈なジャンルを確立します。すごくないですか?

そんないしいちゃんですから、ぼくがせっかくサラリーマン辞めたんだからヤマハの音楽教室でも通ってドラムを基礎から学び直そうかなといったら「やめどげやめどげ、ヤマハの音楽教室出てプロになったミュージシャンなんかいねがらよ」と東北訛りで吐き捨てます。

でもあとからわかったのですがぼくが尊敬するドラマーの青山純さんも藤井章司さんもヤマハスクール出身です。見事にぼくという若い才能の芽が摘まれました。すごくないですか?

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ここまで読んで、多くの人がいしいちゃんをひと目見てみたい、という気持ちになったかとおもいます。

では最後にその気持ちをより一層確かなものにするエピソードをご紹介しましょう。ある日、いしいちゃんはお店の近くに「ごはんお代わり自由」を謳うとんかつ屋さんがオープンしたことを知ります。

いしいちゃんといえば食えばわかる男といわれるほどの大飯食らい。もう大喜びです。表の看板には確かにごはんおかわり自由の文字が!さあ、ここからがいしいちゃんの真骨頂です。

一番安いロースとんかつ定食を注文したいしいちゃん。テーブルにとんかつと味噌汁、ごはんが置かれるとまず芳しいとんかつの香りを嗅ぎながら、ごはんをパクつきます。

速攻おかわり。
これが「匂い」で一膳です。

次にいしいちゃん、じっととんかつを見つめながらまたもやごはんをパクつきはじめます。

速攻おかわり。
これが「見ながら」一膳。もうこの時点でだいぶいかれてますよね。

しかしいしいちゃんの実力はこんなもんじゃありません。次に彼がとった行動は、キャベツにソースをたっぷりかけて、ごはんの上にのせて、なんとも美味しそうに箸を進めていくではありませんか。

速攻おかわり。
なんと「キャベツ」で一膳です。
このあたりからお店には不穏な空気が流れはじめました。

そしていしいちゃん、とうとう「お味噌汁」で一膳をはじめます。速攻おかわり。テーブルの上にはいまだ手つかずのとんかつと、お新香。

よし次は…というところでほとほと困り果てた表情の店主が出てきて「お客さん、もうごはん無くなったんで、この辺でカンベンしてください」すごくないですか?

これがいしいちゃんが怪物たる所以です。
いしいちゃん、いまどこで、何をしているのやら。元気にごはんをおかわりしててくれるといいのですが。

ちなみにごはんに太田胃散をふりかけ代わりにまぶして食べていたのもいしいちゃんです。やっぱりすごい、かなわないな、いしいちゃんには。
ズビー、ズバー、ビバー!

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