【広告本読書録:094】広告コピーの筋力トレーニング
渡辺潤平 著 グラフィック社 発行
今回はズバリ、コピーライティングの力を着実につけるための実用書をご紹介します。ああ、この本が30年前にあったらなぁ…と悔やみたくなるほど、実用的参考書。迷える若手駆け出し半人前コピーライターにはどストライクで刺さる一冊だとおもいます。
逆に、これからコピーライターになろうという方にはピンとこないというか、現場を知らないと本当の意味でこの本に書かれていることは理解できないのではないかな。
また自分を確立しきった一流選手になると、こんどは「そうそう、そうだったそうだった」と目を細くして懐かしむ夏の朝、みたいな感想を抱いちゃうかもしれません。あるいは「いいぞ、もっとやれ」的な。
ある一定以上、経験を持って、なおかつ出口のみえないトンネルでもがいている…そう、22歳から25歳ごろのぼくみたいなコピーライターにこそ読んでほしい一冊です。
と、ここまで書いたおもったのは、さすが渡辺さん。広告づくりで培ったターゲティングのスキルを思う存分つかっていらっしゃるわけです。それは取りも直さず、渡辺さんのコピーの精度がどれだけ高いかの証左である、とも言えますよね。
10歳年下のコピーライター
さて、そんな渡辺潤平さんは1977年生まれ。1968年生まれのぼくより10歳ほど年下ということになります。博報堂でキャリアをスタート、ということは当然ながら大卒。もしストレートだとしたら2000年にデビューということになります。
あ、いま読み返したらこの本の最後の頁にプロフィール書いてありました(笑)。当たりです。2000年に新卒として博報堂に入社されたもようです。よほどのことがなければ4月1日付けですね。
その頃のぼくはといえば、居酒屋の店長をやってました。そして半年後の2000年10月からふたたびコピーライターとしてWeb求人メディアの会社に転職。居酒屋の前にコピーライターだった実務経験5年のスキルを買われて、入社そうそう未経験の部下がつきます。
当時のぼくはかなりスパルタでした。というのも居酒屋の前に勤めていた制作プロダクションが極めてハード&体育会系だったから。そこで叩き込まれたコピーのお作法をそのままメンバーにぶつけるしかなかったのです。
おかげで最初にうけもったメンバーは髪の毛がまっしろに。それもそのはず書くコピー書くコピー全否定。しかもぼくからは書く量が足りないと言われる。新聞を読まない習慣を怒られる。雑談がつまらんとけなされる。
そりゃあ地獄だったとおもいます。よく辞めずについてきたものです。あ、いや一度ぐらいは本気で辞めようとおもっていた、と後日聞きました。
とにかくスパルタンだった。それが不思議だとか、おかしいとか、まったく疑うことなく。そのときのぼくの心の中での理由付けは「だって自分もそうやってきたから」だし「だって好きでやってるんだろ」だし「だってコピー上手くなりたいんだろ」でした。
厳しいのが当たり前の世界。それがコピーライターとして一人前になる、ということに他ならなかったわけです。
では、ぼくがコピーライターにカムバックしたのとほぼ同じタイミングで広告の世界にデビューした渡辺さんは、どんな思想の持ち主なのでしょうか。10年あとの世界を生きる渡辺さん。おそらくモノの見方や感じ方、価値観もガラッと違うはずです。
そんな期待に胸膨らませて、ページをめくっていきました。
筋力トレーニングという時点で
まず、帯。「近道は、ない。」とあります。このフレーズは渡辺さんが手がけたベネッセ進研ゼミ高校講座のコピー。まさに広告コピーの筋力トレーニングという本を書くにあたって、思いがシンクロしたんだそうです。
この時点でぼくは(以外と根性物語?)と小さくクエスチョンマーク。
僕たちは職人です。職人に必要なのは、繊細な指先と豊富な経験、それに、安定してモノをつくり続けるための「胆力」とか「筋力」といった頭の身体能力です。言葉に対しての、しなやかで強靭な筋力を培い、育てていく。この本が目指すのはそういうことです。
(第1章 コピーと向き合う基礎体力をつけよう。)
さらに量にこだわってコピーを「あきらめない」体質になろう、と渡辺さんは提唱します。ん?量?それ、オレが言ってたやつじゃん。
駆け出しの頃の渡辺さんはコピーを100本どころか毎日300本書いてこい、というノルマを課せられていたそうです。そうなるとあれですよ、ぼくも身に覚えありますが「てにをは」を変えたり単語の順番を入れ替えたり、で本数カウントするっきゃないんですよね。それって無駄なのでは?とおもうのが普通です。
でも渡辺さんはその無駄がいまの自分を作っている、少なくともいまコピーがまったく書けない状態にはならない。それはとりもなおさず若手のころの一見無駄なコピー300本トレーニングがあったからだ、といいます。
それどころか、量を書くメリットについて次のように言及します。
それは、ちょっと考えてすぐに出てくるような発見は、他の人でも簡単に思いつける、ということです。 ~中略~ 僕たちの仕事は、そんな思い込みの「先にある言葉」を要求されて依頼される仕事です。もっと生々しく言うと、誰もが思いつくような言葉しか書けないコピーライターだったら、わざわざお金を払って仕事を頼もうとは思わないですよね?
つまり、量を書くという行為は自分に依頼してくれた人の想像を超えた言葉を生み出すための最低限の作法と位置づけているのです。
自分しか到達できない一本のコピーにたどり着くために、とにかく量を書く。
なるほど…オレよりスパルタンだし理にかなってる!!!!
さらに渡辺さん曰く、コピーはいきなりPCで打たずに原稿用紙にペンで書くこと。新聞を読まないコピーライターなんてありえない。コピーを上手くなるために雑談力を鍛えよ。漠然とコピーを見るのではなく、なぜいいのか因数分解せよ。1年365日オンオフの区別をつけず思考し続けよ。
すごい…まさにぼくが20年前にメンバーに言ってたことばかりだ。え?10歳下なのにこんなハードなトレーニングを提唱しちゃってるの?10年ひと昔なんて言葉もあるぐらい、ジェネギャがあってもおかしくないのに。
と、ここまで書いてふとおもった。
そもそもタイトル、トレーニングじゃんね。トレーニングの時点で鍛える系です。しかもコピーの筋力だった。最初からそうだったのか、途中から開眼したのかわかりませんが、渡辺潤平さんは正統派王道どまんなかコピーライター、スター・ウォーズでいえばジェダイの騎士なのです。
そうか、完全受注型でいいんだ
もちろん、渡辺さんはやみくもに厳しいことを言い放っているわけではありません。誤解のないように書いておきますが、上記にあげたハードなトレーニングの提唱も「やれ!」みたいな上からの物言いはゼロ。
むしろひと言ずつ言葉を重ねて丁寧に、その必要性を納得感とともに伝えてくれています。ぜんぜんこわくありません。ま、それだけに内容の厳しさがかえって引き立つ、みたいなことはありますけどね。
そしてもうひとつ。ぼくのようなタイプ(たぶん多くの人もそうだとおもう)にとって福音というか、書けない絶望の夜からヒョイっとひっぱり上げてくれるような心構えを教えてくれます。
それが周囲の想いと経験を思考の原動力にする、というメソッド。
いいコピーを書こう、自分らしいコピーを書こうとすればするほど、自分の中に何もないことを痛いほど知らされて凹んだことはありませんか?ぼくはあります。っていうかそれの連続でした。
渡辺さんも同じだそうで、依頼があり、目の前に商品があり、クライアントからの熱い想いや期待があってはじめて頭が動きはじめる「完全受注型」の制作者だといいます。
そういうタイプにとって頼みの綱になるのは相手の持っている情報や想い。ここでいう相手とはクライアントや広告会社の担当者、CD、ADなどその広告をつくる上で意見を戦わせるすべての人になります。
たとえばクライアントの開発担当者は、その商品について何年も正面から向き合っているわけです。命をかけている、といっても言いすぎじゃないかもしれません。そういう人たちの声、想い、情熱などをないがしろになんかできない。それよりもなにもない空っぽな自分の思考の原動力として活かすべきではないか、と。
ぼく、このスタンス大賛成ですし、そうじゃなければいろいろな業界のいろいろな商品やサービスの広告なんて作れないです。
少し前、70年代から80年代ぐらいまではクライアントの開発担当者は視野狭窄だから一般の人に刺さらないことばかり言う。だから話は聞くけど鵜呑みにしないできちんと消費者に伝わる内容に変えるのがコピーライターの仕事だ、みたいな論がありました。
ぼくはそれを聞いたり読んだりするたびに、結構、違和感感じたんですよね。いや論自体は正しいとおもいます。開発の担当者は開発のプロ。コピーライターはコミュニケーションのプロ。だからお互いの強いところを出していこうってことですから。
でも、なんか論調のスタンスが、クリエイターでござい、みたいな感じがして嫌だった。あと自分の内面から湧き出るサムシングがまったくないタイプのぼくは、じゃあどうすればいいのさ、って途方に暮れてもいました。
一方で渡辺さんの意見はあくまで謙虚。
自分の中にあるものだけで、世の中の空気を一変させるような言葉を書けるなんて、少なくとも僕には到底思えません。加えて、自分の担当するすべての仕事に対して、クライアントが舌を巻くような豊富な知識を持ち得ているわけでもありません。だとしたら「お任せください」よりも「教えてください」というスタンスの方が圧倒的に誠実だと僕は思っています。
これ、念仏のようにクリエイティブクリエイティブ…と唱えているにも関わらず筆が一ミリも進んでいない若手コピーライターが読んだら、たいそう救われるんじゃないか。少なくとも現状打破のための一歩が踏み出せるようになるんじゃないかとおもうんですよね。
ああ、やっぱりこの本、オレが22歳のときに読みたかった、ほしかった。
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ぼくは、長きにわたり先達から受け継いできた技法に独自の視点でプラスアルファを加えた秘伝のタレみたいなこのトレーニング法が次の世代、さらにもっと下の世代にも引き継がれていってほしいとおもいました。
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