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いい営業は制作を育てる。いい制作は営業を育てる。

求人広告制作関係者に向けて書いている毎週月曜日のnote。でも今回は営業関係者にも向けています。いろんな関係者を含みます。

タイトルは前職のネット専業求人広告会社でしょっちゅう言われていたことです。いっけん綺麗事のようですが、これ本当にその通りなのよ。

キーボードをポチポチ打ちながら、思い出してみますね。

ちなみに転職サイトを前提に話を進めています。中途採用のための求人求職サービス。アルバイトサイトや新卒採用サイトになるとまた少し話が違うかもしれません。ご了承くださいませ。

いい営業が制作を育てる

クリエイターを育てる視点を持つ営業パーソン、というのは存在しないと思います。なぜならそれは彼らのミッションではないからです。基本的に営業は数字を上げてナンボ。そこに全てのリソースを注ぐいきものです。

ただし、しっかりと数字を上げ続けられる営業はミッションの本質を理解しているが故に、日々の仕事を通して制作の過剰な自意識や勝手な思い込みを矯正し、正しい求人広告クリエイターへと導いてくれます。

最も顕著な例としてあげられるのは、徹底的に採用成功にこだわる姿勢を持つ営業。このタイプの営業は受注を目的にしていません。それはあくまで売上を立てる手段に過ぎない。さらに取材して求人広告を掲載することすら、あくまで通過点として捉えています。

彼ら、彼女らがまなざしを向けているのは、あくまで採用成功。アポ取りも商談も取材も原稿作成も掲載も、選考プロセスのフォローもすべて、採用成功に至るためのプロセスなんです。

採用成功から逆算して全てを組み立てている。もっといえば事業計画からブレイクダウンして採用成功のタイミングを決めている。

だから掲載時期にも裏付けがありますし、入稿ズレを起こすことも一切ありません。全てが論理的に説明できるので説得力が違うのです。

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こういう営業とタッグを組んで仕事ができるクリエイターは幸せです。レベルの違いはあれど、どのレイヤーにおいても必ず学びがあります。

ある者はプロジェクト全体を俯瞰する視点を学んだり。ある者は常に根拠のある提案が顧客を動かすことを学んだり。またある者は採用成功にこだわる取材や原稿づくりの姿勢を学んだり。

しかし、そういった枝葉の学び以上に得られるものは、やはり物事を本質で捉えることの重要性でしょう。この仕事を通して自分はいったい世の中に何を提供しているのか。これがわかるのと、わからないのとでは、アウトプットの質がまったく違うものになると思います。

さらにこういった営業から影響を受けることも非常にプラスに働きます。一日も早く同じ視点で考えられるようになりたい。対等な立場で建設的に意見を交わらせたい。

ともすれば独りよがり、ビジネスマインドから遠いところに立ち位置を見出しがちなクリエイターにとって、シビアさやクリティカルシンキングを手にいれる上でいい営業の存在は極めて重要といえるでしょう。

いい制作が営業を育てる

では反対にいい制作が営業を育てるとはどういうことを指すのでしょうか。ここでは育て方について具体的にレクチャーしながら解説します。

まず、たくさんいる営業パーソンの中から一人、見込みのある人を選びます。このときの判断基準は営業数字ではありません。またその時点での納品クオリティでもありません。

ポイントは、誠実かどうか。育てたくなる人物かどうか。たとえ期待を裏切られることがあったとしても、希望を持ち続けられるか。

そんな彼、あるいは彼女を選んだら、あとは徹底的に納品を担う。それはもう専属クリエイターのように。取材の事前準備からヒアリングのコツ、情報収集と握り、打ち合わせでのポイント、効果の出る広告のツボ、そして求人広告にとってのクリエイティブの重要性…すべてを伝授します。

もちろんいちどきに、というわけにはいきませんから、ひとつの仕事でひとつぐらいのコンテンツで教えていく。振り返りもするしおさらいもする。彼、あるいは彼女の案件はすべてあなたが担当しましょう。

彼、あるいは彼女の求人原稿には一流のクリエイティブを施してください。そして必ず効果を担保してください。

そうすれば彼、あるいは彼女はあなたの言うことを受け入れるようになります。そしてあなたの言うことを聞く営業が実力を蓄えた上で人の上に立ったとき、そのチームのメンバーは全員、納品の重要性を理解します。そして効果を出すことに前向きになります。

これをぼくは求人広告におけるトリクルダウン理論と呼んでいます。

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この取組みの何がいいか。それは本質的かつ効率よく業績をあげられるようになるから。

簡単な話です。

営業が納品を疎かにする、つまり取材や原稿作成の手を抜く。すると広告のクオリティは著しく低くなります。当然、効果は芳しくありません。採用できない広告を出稿する媒体あるいは営業にお金を払う企業は存在しません。つまりリピートがもらえない。リピートしないということは毎月の目標数字を毎回ゼロから積み上げていかねばなりません。

営業にとってこれはなかなかにしんどい。

いっぽう、売るだけでなく納品、さらには効果測定までしっかりと責任を持って担当してくれる営業に対してはクライアントは全幅の信頼を寄せてくれるでしょう。採用成功の暁には別の職種の求人も出してくれるはず。

さらに採用担当や人事を入社させることができれば鉄板です。いつしか人材で困った事が起きると最初に声をかけてくれる存在に。

そんな顧客を複数持つことで毎月リピーター、あるいは既存顧客からの発注で安定した数字の丘をつくることができます。足りない分だけ集中して新規開拓に走ればいい。それすら紹介で賄える場合もあります。

月の達成確率が高まると同時に、継続して数字を上げ続ける仕組みができあがるのです。これならメンバーもろとも疲弊しないで済むし、ゆとりあるリソースをアフターフォローに回せる。グッドスパイラルの完成です。

求人広告を産業として確立させる

リーマンショックのとき。

前職でも大幅なリストラや予算見直しを実施しました。転職マーケットのシュリンクする速度と深度があまりにも激しすぎて、ぼくを含め部門責任者たちはみんな青息吐息でした。

そんなある日。喫煙スペースでタバコを吸いながらふと、こんなにあっという間に市場がなくなるなんて求人広告は産業としてまだまだ確立されていないんだな、とつぶやきました。

するとそこにいた業界最大手ご出身の役職者が猛烈な勢いで否定をしてきます。老域に近い年齢の方でしたが顔をまっ赤にして「違う!それは違う!貴様そんなことを口にするな!」と。

ちょっとびっくりしたのですが、そのとき、ああこの人は自分たちがマーケットを作ってきたという自負があるんだな、と思いました。ぼくのような後発組の若造(というほど若くありませんでしたが)に揶揄されることはプライドが許さなかったのでしょう。

その誇りは素晴らしいです。しかし功罪というものもまた否定できないのではないかと思いました。いまだに求人広告の世界では人がなかなか定着しないと聞きます。一度離れた人間はもう戻る気はないと口を揃えます。営業は疲弊していると言います。制作はつぶしが効かないらしいです。

それはとりもなおさずこの業界最大手ご出身の役職者に代表されるお歴々が長年かけてつくってきた世界が進化変容していないことの証左ではないのか。いわゆる労働集約型の金太郎飴ビジネスモデルであることが、求人広告業界から魅力をそいでいる原因ではないかと思うのです。

ぼくは、求人広告は人が一生と賭するに値する仕事だと思っています。でもそのような認識はされていません。もしかするとこのままでは誰からも価値を認めてもらえないまま消滅してしまうかもしれません。

そうなったらそうなったで仕方ないのですが、でも、自分を育ててくれた求人広告に何らかの恩返しをしたい。もっと本質に近いところで職業としてプレゼンスを確立したい。そんな風に思っていつもnoteを書いています。

今日お話した営業と制作との関係性は決して理想論ではなく、求人広告が産業として確立されるとともに高い持続可能性を実装する上で必要な、小さくも大切な一歩ではないか。そう信じてやみません。

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