見出し画像

東十条とんかつみのや讃

あなたは『とんかつみのや』をご存知だろうか。ご存知であれば、ここから先は読む必要がない。もし知らないのであれば、ご一読の上、次の土曜日に訪れてほしい。あるいは来週の平日ランチをムリクリにでも東十条で過ごすべきだ。

東十条、という駅がある。京浜東北線、という地の果てと地の果てを結んでいそうな名前の路線。わたしは最初にその駅名を聞いたとき「北海道みたいだな…」と思ったものだ。

赤羽寄りの北口改札を出て右に進み、大仰な階段を降りるとそこで待ち構えているのは東十条商店街である。

最近こそ「日高屋」や「キャン・ドゥ」「松屋」といったチェーン店が目立つが、30年ぐらい前までは「スーパーオークラ」や「中央電化」「ミュージックショップダン」といった地元テイストの効いたアクの強い商店しか存在していなかった。わたしも中央電化で冷蔵庫を買い、オークラで味噌を買い、ミュージックショップダンでそれらを買う金を稼いだものだ。

驚くことに33年前からなにも変わっていないミュージックショップ・ダン。

一方で改札を出て左に進むと急勾配の上り階段があらわれ、いきなり登山気分が味わえる。ここでビバークすることなく無事に無酸素登頂に成功すると、こんどはつげ義春の世界が。クルマの進入など許すまじ、という趣の幅員の路地に安酒場、団子屋、クリーニング店などがひしめきあっている。その様に思わず「イシャはどこだ」と口走ってしまう若者が後を絶たない。

その先にあるのがメメクラゲ、ではなく『とんかつみのや』である。

みのやのエントランス。昔はもっとボロかった。リフォーム済み

このみのやのとんかつが、とにかく旨いのである。いわゆるグルメ的な旨さではない。特別な豚肉を使っているとか、中国四千年の白絞油で揚げている、といったストーリーとは無縁のカツだ。

みのやの上はマンション?賃貸だったら即入居を決めるべきだろう

つけあわせのマカロニサラダもなんともいえないまろやかな味付けで絶品。こうなるとカツの下に敷かれているキャベツまで美味しく感じるから人間の味覚というのはあれですね。

そして圧巻は豚汁である。熱い。旨い。量が多い。どんぶりで供されるのである。キャベツと豚肉だけのシンプルな豚汁なのだが、本当にもう、心から温まる味だ。よそってくれるのはおかあさん。もうおいくつになるのだろうか。横顔がわたしの祖母に似ていていつも目頭が熱くなる。

ライスもみのやでしか味わえない独特のやわらかさ。個人的にはごはんは硬めのほうが好みだがみのや、あるいは洋食の場合は水っぽいぐらいやわらかいほうがありがたい。平皿によそわれているのもポイントかもしれない。

このライスに食塩をぶっかけて食べるのだ。行儀が悪いと言われようが塩分とりすぎだと言われようが大きなお世話である。

夢の三点セット。上京してから33年間食べ続けられる物ってあるか?普通

この、夢の三点セット、みのやのロースカツ定食。なんと、600円である。30年前は500円だった。当時貧乏生活を余儀なくされていたわたしはミュージックショップダンの給料日だけは、みのやのとんかつを自分に許していた。のちに坂下にブランシュというスパゲティ屋ができるまでは、みのやがわたしにとっての「東京のごちそう」だったのだ。

おそろしいことに数年前訪れたとき、揚場にはオヤジさんが立っていた。オヤジさんはわたしが18の時にすでに「おじいさん」だったのだが、それから30年以上経ってもまだ「おじいさん」のまま「はいよ、カツいっちょ!」と元気にとんかつを揚げていたのである。そしておかあさんも最初の頃に見た「おばあさん」のままだった。

最近はさすがに息子さんが揚場を任されているようだが、この話からわかることはただひとつ。

みのやのとんかつを食っていれば不老不死。

そういうことである。

ごちそうさまでした。

BGMは矢野顕子で『ラーメンたべたい』とんかつでなくてすみません!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?