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記憶をなくした記憶たち
いまから35年前。
金はないが時間と体力がありあまっていたころ。
そんなにしょっちゅうではないけれど、月に一度か二度ぐらい仲間と酒を飲む機会がありました。
時効だから言えるけど、その頃のぼくは18歳にしてビール黒帯、ウィスキー九段、日本酒三級の腕前。仲間はみんな高校出たてのアルコール四回戦ボーイ。とても相手になりません。
赤羽や新宿などの安酒場でグイグイ杯を重ねた結果、
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まあ、仲間うちでもたちの悪い酔っぱらいというレッテルがはられてしまうわけです。
さて、そうなると問題は次の日ですね。翌朝、とんでもないことになっていることが多い。
それも二日酔いとかそういうレベルではなく、目が醒めたときの場所が尋常ではない、というシロモノでした。
と、いうわけで今回はいまでもはっきり覚えている、目が醒めたときにびっくりしたシチュエーション三態をご紹介します。
観光バスの下
上京して最初の夏の終わり頃。
最寄りの駅からぼくのアパートまでは歩いて約20分。帰宅ルートの途中には天下の環状七号線、略して環七が大河のように流れていました。
環七の信号を渡るとそこには国際興業という会社のバスターミナルが。いまはディスカウントスーパーに変わってしまいましたが、当時はけっこうな敷地にバスが十数台停められる施設でした。
いまとなっては誰と呑んだか、どこで呑んだかさっぱり見当がつきません。ただ一つ覚えているのは記憶をなくすまで痛飲していたことだけ。
ふと、目が醒めるとあたりはまっ暗でした。
そして異様に背中が痛い。著しく硬い場所で仰向けに寝ていたようです。あわてて上半身を起こそうとするとガン!と前頭部を金属様なもので殴られました。
「おい、どこだよここ…」
ツン、と鼻をつく油の臭い。横を見ると大きな半円状のゴムのような物体。目線を動かすと陽の光が見えます。
ぼくはズルズルと光のほうに体をずらしていきます。そしておそるおそる暗闇から頭を出すとそこでは…
バスガイドさんたちが朝礼をやっていました。
なんと、ぼくは酩酊状態で駅からアパートを目指して環七をわたり、そしてその先の国際興業の駐車場に停まっていた一台のバスの下に潜り込み、そこで力尽きていたようです。
「キャーッ!!」
バスガイドさんたちの黄色い悲鳴。ぼくは状況がのみこめないままダッシュで逃げました。そしてアパートで水を一杯呑んで、冷静になって昨夜のできごとを必死になって思い出そうとしますが、正直何も覚えていない。
ひとつ、ハッキリ言えるのはあぶなかったな、ということ。よくぞ無事に夜中でも交通量の多い環七を渡ったものです。
バスの下で寝たこと自体は運行前点検で見つかっていたはずなのでさほど肝を冷やしませんでしたが、環七を無意識で渡ったことはいまだにゾッとします。ちゃんと青信号で渡ったんだろうな俺。
肛門科の病院の前
あれは寒い冬のこと。確か生まれてはじめてボーナスを貰ってうれしくて自転車を買ったらたった3日で盗まれて、やるせない思いでヤケ酒をあおっていた夜だったと記憶しています。
しかし覚えているのはそこまで。
社会人になってからの仲間たちはそれぞれ百戦錬磨のツワモノ揃いで、飲みはじめると誰かがつぶれるまで飲む、という実に清々しい宴を連夜繰り返していました。
その夜もプツン!と意識が飛んでおりまして。
最寄り駅からぼくのアパートまではひたすらまっすぐ歩いて15分。商店街を抜けるとあたりは民家、というどこにでもありそうな東京都城北地区の町でした。
ふと、目が醒めるとすごく狭い箱の中にいることがわかります。しかも何か緑色の紐状のものがダラン、と上から垂れている。
「おい、どこだよここ…」
あたりをみまわすと持っていたはずのカバンがありません。自転車とともにボーナスで買った合成皮革のコートも着ていない。それどころかなんと、ズボンも履いていないじゃありませんか。
「おおおおおおおおおおおおおおおお」
人間、パニックに陥るとおかしな声が出るものです。でも不思議なことにその叫び声は閉じ込められている箱の中で響くばかり。そこでようやくぼくがどこにいるのか認識します。
ぼくがしゃがんで寝込んでいた場所、それは、八木病院という肛門科の前の電話ボックスの中だったのです。
「あわわわわわわわわわわわわわわ」
ついでに腕時計もなくしていて、何時かはわかりませんが、まだ出勤の人々がまばら。いまのうちにダッシュで、と慌てて電話ボックスを飛び出して必死にアパートまで走り抜けました。
なぜ肛門科の前で、なぜ電話ボックスの中で眠り込んでいたのか。バッグは、コートは、時計は、そしてズボンはどこで失くしたのか。まるでわかりません。まさか警察に届けるわけにもいかず…(だってなんて届けたらいいんですか?)。
30年以上経ったいまだに謎のまま。
未解決事件です。
おはよう!マイク・タイソン
最後の事例はご安心ください、自宅です。
ただし自宅で目が醒めたらえらいことになっていた、というエピソードです。
駅前のレコード店でアルバイトに精を出していたぼく。バイト先の社長(主人)にも店長(奥様)にも気に入られ、同僚や先輩とも楽しく仕事をしていました。
そんなある日、何を思ったか社長が「ハヤカワくんはお酒、イケるんだよね?よし、みんなで飲みに行こう!」と発作的に言い出します。
当時、職場の人たちにはぼくが横山三国志における張飛ほどの大酒呑みであることは隠していました。ですからその宴ではいたって大人しく、ビールだけをチビチビやる予定でした。
予定だったのです。
でも言うじゃないですか、予定は未定って。
案の定、
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そして記憶がなくなり、ふと目を醒ますと…ううん、住み慣れたアパートの天井が。
ん、んんーっ、ゆうべはどうなったんだっけ。
アタマいてぇ…ってか、なんか寒いんだけど?
あれ?テ、テレビついてる??
酒飲みの方ならおわかりいただけると思いますがこういうシチュエーションではまず、状況確認からはいりますよね。せんべい布団に横たわったまま首を可動域いっぱいに動かします。
すると見えてきたものは…
■テレビつけっぱなし
■タイソンの試合が放映中(つまり昼)
■玄関が全開
■大きな窓が全開
■小さな窓も全開
■換気扇が回っている
■ガスコンロから換気扇までの壁がまっ黒焦げ
■台所周辺が水浸し
■コンロの上にまっ黒焦げの物体
ついでに自分のアタマや顔もびっしょり、ということに気づきます。これはいったい…
その後、事態がつかめず、ボーッと煙草を吸っていると向かいのお宅からご主人が出てきて事の顛末を語ってくださいました。
「夜中にモクモク煙が換気扇から出てくるからあわてて飛び出してあんたの部屋の玄関あけたら、鍵してなかったんでよかったよ。鍋に火をかけてそのまんまあんた、寝ちまったんだね。鍋はもうまっくろでな、そのままほら、換気扇とこまで煤がな。こりゃ弁償だな。で、おいらバケツに水汲んでぶっかけて、あんた叩いても起きねえからあんたにも水ぶっかけたよ。でも起きねえから、まあ、もうほっとくかと思ってな。不動産屋には電話いれといたよ。まったく夜中に往生したぜ」
それを聞きながらおしっこちびりそうだったのは言うまでもありません。
どうやら酔って帰ってスパゲティでも食べようと思っていたんでしょう。レンチンなんて普及していない時代です。
一階でよかったのと、玄関と隣の家を遮るものが何もなかったのが功を奏したようです。後日、菓子折り持って平身低頭お詫び行脚しました。
呑んで帰ったら火は使うな、というハヤカワ家の家訓はこの時に生まれました。
いま考えても
噴飯もののエピソード。っていうか笑えないですよね。いくら若さゆえのあやまちとはいえ周囲にどれだけ迷惑をかけてきたのか。いまとなっては反省しかありません。
おそらく、なんですが、気負っていたんだと思います。酒を口にするとどこまでもいってしまう。それぐらい、東京での生活に圧し潰されそうだったのかもしれません。
おかげで、いま泥酔するヤングには(ここ10年ほどめっきり見なくなりましたが)優しい気持ちで説教できるぐらいにはなりました。
教訓。
酒は呑んでも飲まれるな。
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