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【奇跡の経済政策】ヒトラーが支持された理由

ヒトラーはなぜドイツ国民に支持されたのか?これは多くの人が疑問に思うことですが、ヒトラーを研究すると最も簡単に答えが見つかります。今回は主にヒトラーが成し遂げた経済政策の分野に焦点を当てて紹介します。


世界恐慌からの最も早い回復

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皆さんご存知の通り、1929年10月24日にニューヨークのウォール街の証券取引発経済危機が起こりました。世界恐慌です。ドイツは第一次世界大戦で敗戦し、巨額の賠償金を請求され、ドイツ最大工業地帯ルールはフランスに占領、ハイパーインフレ・通貨危機に加えてこの世界恐慌が起こったのです。

ドイツ国内の失業者は大量に発生し、1932年には650万人と国民の3人に1人が失業。しかし、1933年1月にヒトラー政権が誕生後、失業者の数は減り続け、1936年には100万人までに減少しました。

これはどれほどすごいことなのか?1938年の各国の失業者数を見ると一目瞭然です。

【1938年各国の失業者数】
アメリカ:783万人(MAX:1200万人)※植民地あり
イギリス:135万人(MAX:300万人)※植民地あり
日本:27万人(MAX:300万人)※植民地あり
ドイツ:29万人(MAX:600万人)

ドイツ以外の国は当時植民地がありましたが、ドイツは敗戦国のためもちろんなく、国内政策のみで回復したということになります。つまり、ドイツは最も早く世界恐慌から脱却できただけでなく、他国の力を借りることなく自力で成し遂げることができたのです。

経済回復は優れた人材の確保により成功

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ドイツの経済回復として、有能な人材が影にありました。それはシャハト博士。彼は第一次世界大戦後のハイパーインフレを収束したインフレのプロ。ヒトラーは非ナチスだったシャハト博士を経済大臣に任命します。シャハト博士は国債を発行してもインフレがギリギリ起きない限界の数字をはじき出し、ドイツ経済を回復させました。また、1933年に穀物物価安定法を施行し、最低価格を設定し農産物の暴落を防止しました。

シャハト博士はそれ以外にも銀行家や実業家のコネでナチスの莫大な資金の捻出を手助けしました。クルップ(製鉄・兵器製造)、ユナイテッド・スチール、IGファルベンなど重工業が挙げられます。

軍備よりも失業問題の解決を優先

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ナチスは結成当初からテーマがありました。それは「国民、とりわけ底辺の人の生活を安定させる」こと。ドイツ国民がナチスを支持した理由はここなのです。そして、計画を発表するだけでなく、実践したことです。

ヒトラー政権の当初の軍事費はイギリスよりも少額でした。ヒトラーは「なすべき課題は失業対策であり、失業対策であり、失業対策である」と言ったほど。ヒトラーは特に一家の大黒柱である中高年の労働者を優先的に雇用させました。職にありつけない若い青年は農村で雇用させました。これは非行防止になり、雇用期間を過ぎてもその心地よさからか継続して働く若者が後をたちませんでした。

アウトバーンの成功は大胆な発想から

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ヒトラーが成し遂げたアウトバーンの成功は誰もが認める功績です。なぜ成功したのか?そのポイントは以下の2つです。

①初年度20億マルクの予算計上
ヒトラーは初年度から20億マルクの予算をアウトバーンに計上しました。これのすごさとして、アウトバーンの計画自体は1920年からありました。それまで総予算として3億2千マルクが割り当てられていました。それをヒトラーが初年度から20億マルクとしたのです。この大胆な発想が成功に結びついたと言えるのでしょう。

②失業者の低下だけでなく労働者の賃金を逆算した
アウトバーン建設に参加した労働者数は年々増加し、失業問題解決に繋がりました。1937年にアウトバーンの労働者は10万人、1938年には12万人と増加。

また大胆な発想として、ヒトラーは労働者の賃金を確保してから逆算して建設費の予算を組みました。46%が労働者の賃金に割り当てられたと言います。この発想は、まず取り分は大手・中堅業者、地主に回すような我が国日本では絶対に成し遂げられないことです。そして労働者は賃金だけでなく、設備した宿泊所、スポーツや映画、旅行など各種手当がもらえました。

若者を助けた手厚い少子化対策

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労働者の賃金が多いとどうなるか?それは累乗効果を生み出します。労働者は貯金よりも消費を行い、景気への効果が高くなります。お金がなくて結婚したくてもできない国民には、1933年に結婚賃金貸付法を施行し、1000マルク(およそ200万円ほど)が無利子で借りられました。ヒトラーは早い段階からドイツの少子化問題を見抜いていました。結婚資金貸付法は、子ども1人を産むごとに返済金の4分の1が免除されたため、4人産むと全額免除。その他に商品券など補助金で生活に必要な身の回り品を揃えることができました。

結婚数は右肩上がりで、出生数は20%上昇しました。

【当時のドイツの結婚数】
1932年:51万件
1933年:63万件
1934年:73万件

中小企業を助けた金融制度

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ヒトラーは大企業の独占に規制をかけました。例えば、備品の購入などは同じ大企業からではなく、中小企業を優先的に指名するように義務化させました。これもまた日本の癒着社会では考えられないことです。

1934年にはベルリン保証協会を設立し、つなぎ融資に特化した金融制度をおこなしました。今まで黒字経営だった企業はほぼ確実に融資を受けることができ、多くの中小企業が助けられました。ヒトラーに助けられた企業らはヒトラーを支持するのは当然のことでしょう。

ゲッベルスによる国民への宣伝

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宣伝大臣であるゲッベルスは繰り返し国民に国内の経済は回復に向かっているとアピールしました。ゲッベルスと言えば、宣伝の分野では未だに彼を超える、肩を並べるものがいないほどの天才。彼はラジオ、レコード、映画、ポスターあらゆる手段を駆使しナチスの経済政策を国民に知らせ、「金回りが良くなっている」と感じさせました。すると国民は安心してお金を消費することができ、経済が回りました。政府に不信感を持っていては国民は貯金する一方で財布の紐は固く閉じてしまいます。国全体の雰囲気もどんよりしてしまうでしょう。その点ゲッベルスは一枚も二枚も上手だったのです。

最後に

今回はヒトラーの経済政策を紹介しました。この内容を見て、当時のドイツ国民はどう思うのかと考えると自ずと答えは見えてくるはずです。ヒトラーが作り上げたナチスドイツには今の日本が持っていないものがたくさんあります。「ヒトラーを見習え」と言った日本の政治家が批判されましたが、そもそもヒトラーが成し遂げた経済政策は日本の政治家には到底不可能なことです。

ヒトラーは演説の天才でドイツ国民の心を掴みましたが、演説だけでは国民は支持しなかったでしょう。ヒトラーが達成した経済政策、これがドイツ国民がヒトラーを支持した理由です。

白狼(はくおう)ちとせ🐺

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