【発達障害】1年間不登校 のち 学校に行く
読了目安:11分
メンタル落ちたままの中学1年間
長男は中学1年生の丸1年、中学校には登校しませんでした。
1年間は学校とは基本、縁のない生活。
当たり前ですが(笑)
入学直後に行かなくなった学校のことなんて
入学してないのと同じ。
雰囲気とか、さっぱり分かりません。
ときどき例の
特別支援教育にあまり前向きではない
おじいちゃん担任が
自宅にお知らせのプリントと学習プリントやテストを
持って訪ねてきました。
通いたくても通う場所がなく
行けない学校
その学校と縁を切ることは許されず
ドサッと渡される
終わってしまった学校行事の
お知らせプリントと
同級生の皆は解けるけど、
君は分からないでしょう?と言わんばかりに
渡される定期テストの束。
それを見て、自分が集団に属せないこと、
同級生ができることをできない自分がいること、
それらを定期的に突き付けられる長男
そして私は、
毎朝、学校に欠席連絡を入れるように言われて
毎朝、1年間、行かない学校に電話をかけ続けました。
学校に行くときに連絡します、と言ったのですが
欠席連絡が毎朝必要だと言われ、
忘れていると、朝、おじいちゃん先生から
きっちり電話がかかってくるのです。
形式だけの電話
意味があるとは思えなかった
うんざりでした
プリントの束と形式だけの電話連絡———
長かった中学1年がようやく終わりました。
中学2年 4月始業式
年度が代わり、長男は中学2年になりました。
4月始業式の日、
長男は学校には行きませんでした。
その日の昼ごろ、私は長男にこんな話をしました。
「ママね、今まで毎年4月の新学期には必ず
新しい担任の先生に 自分から電話して、
入学式や始業式が終わってすぐに面談をお願いしてて。
その場で、手作りサポートブックを渡して、
キミの特性について説明して、
理解してもらえるようお願いしてたの。
毎年、必ず。」
「へえー」
「でもね、意味なかった。
去年なんて、ほんと、意味なかった。
もう、学校には期待しない。
だから、
小学1年からほぼ毎年続けてきたけど、
新学期だけど、
学校にはもう自分から電話しない!!」
「ふーん」
小学1年入学のときから 私がとってきた
担任との関係構築の手段。
それが『入学式、始業式の日に
積極的に担任へアポをとること』でした。
学校の先生方は、本当にお忙しい。
放課後電話しても、なかなか職員室には
いらっしゃらないし、職員会議だったり。
でも、始業式当日
お昼〜午後って、
先生方、ほぼ職員室で事務仕事してます。
つまり、高確率ですぐ電話が繋がります。
電話が繋がったら
そこで、明るく こう言います。
「先生も聞かれているかとは思うのですが、
長男は特性があります。
今までも色々なことがあって。
これからご指導いただくに当たって
彼の特性などについて、あらかじめお伝え
できればと思っています。
もし、よろしければ、本日この後
面談のお時間をいただけないでしょうか(^_^)」
経験上、全員の先生が
本当に心よく応対いただけました。
感謝の言葉をいただいたことも。
入学の場合は、入学式の後、先生に直接会って
アポをとりました。
経験上、全員の先生が近日中に
お時間取っていただけました。
運が良ければ、
入学式、始業式 当日の午後、
お時間いただけたことも何度かありました。
そして、面談の場で
私がまとめた
長男のオリジナルサポートブックを渡して
長男のことをお伝えしました。
・・・この1年で
すっかり心が折れっぱなしの私は、
毎年していた担任へのアポ取りを
小学1年の入学以来、初めて行わず、
気持ちは完全に学校に背を向けていたのです。
始業式の日の午後、学校から電話がかかってきました。
「私、長男くんの担任になったS(エス)と言います。
長男くん、今日は登校しなかったのでお会いできませんでした。
まずご挨拶と思いお電話したのですが」
「S先生」と名乗られた中年の男性教師。
直感で、「あ、当たりだ」と思いました。
嫌な言い方かもしれませんが
【担任ガチャ】
そう、今年はガチャの当たりを引いた、と
直感で感じました。
電話口で、簡単に現在の状況を電話で説明したところ、
S先生「前任校でも特別支援級を担任していました。
まず、長男くんに安心して学校で過ごしてもらえるよう
環境を整えたいと思います。
ぜひ、お母さんからもお話を伺えれば」
キタ――(゚∀゚)――!!
私が今年やらないと長男に宣言した
面談のアポ取りを、先生からお申し出いただくなんて。
しかも、前任校で特別支援級担任。
環境整備についてまで言及いただけるなんて。
出てくる言葉の端々で、ガチャの当たりを確信しました。
電話を切った後、私は長男に言いました。
「長男くん、新しい担任の先生から電話がかかってきたよ
多分、学校、去年とは全く違うよ」
担任の先生の様子を、長男に伝えました。
突然「行ってみる」発言
長男の反応は、
「じゃぁ、ちょっと学校行ってみようかな」
長男の気の変わらないうちに
私はすぐに学校に電話。
始業式の午後、長男を連れて学校に行きました。
校舎内の位置関係すら、長男は怪しいのですから(笑
登校再開への第一歩でした。
今年度も、特別支援級は1クラス。
3年生2名と、長男の2年生3名、計5名とのこと。
S先生とお会いして、ご挨拶のあと、簡単に話をします。
1年生のときに、一番困ったこと。
特別支援級に在籍しているのに
支援級で過ごすことが許されなかったことでした。
就学相談のときに、
小学校の支援級「みずいろ学級」と同じように
中学でも支援級で学びたいと訴えたにも関わらず、
通常級で勉強するように言われた長男は
学校に居場所がなかった。
そのことをS先生に伝えたところ
「もちろん、支援級で過ごすことができるようにします。
校長と話をして、私は教科担任を持ちません。
だから、ずっとこの支援級の教室にいます。
支援級の担任が教科担任を持つと、
自分の教科を教える時に支援級からいなくなるので
支援級の生徒はほったらかしになってしまう。
それを避けるため、
私は教科担任を持たないようにしました。」
納得しました。
中学校の特別支援教育に対する学校の考え
それは
支援級担任が教科担任を持つか 否か
その辺りで垣間見えるのです。
中学校毎で違う 特別支援級のあり方
話は 中学1年の入学式直後に遡ります。
入学式直後に、長男が登校をあきらめた後、
市の不登校生徒の施設に通うにあたり、
校長先生と面談する機会がありました。
その席で長男は、自分の書字の困難さや、計算困難、
ワーキングメモリの低さからくる書き写しの困難さを
校長先生に説明して、
生徒みんなに一律で配布されるプリントや
一斉授業で学習することが難しい自分の特性を、
彼なりに一生懸命に説明しました。
校長先生は、一生懸命話を聴いてくれました。
ですが、結局、その年度は
彼が特別支援級で学べる環境———
すなわち、支援級で丸1日過ごせるように
先生が常にいる体制が整えられることはありませんでした。
おじいちゃん先生は、教科担任を持っていて、
支援級に先生がいる時間が、ほとんどなかったのです。
だから、支援級の生徒は、通常級に行くように言われ
通常級に行くことができない、
もしくは行かない選択をした生徒は登校できず、
結果不登校になっていました。
後で聞いた話ですが。
校長先生は、特別支援教育に造詣の深い先生でした。
様々な生徒の指導ご経験があり、
長男の話を聴いてくれた 中学1年4月のあの時は
校長先生も赴任されたばかりのタイミングだったのです。
その後、1年間登校しなかった長男を
校長先生は心に留めてくださっていたらしく。
そして、翌年の中学2年に進級する時、
校長先生のご尽力で
校長先生と懇意にされている
特別支援教育に携わっているS先生が転任してきた——
そういう経緯だったのです。
当市では、
特別支援教育への取り組み方は、
校長先生の裁量に大きく左右され
同じ市内の生徒なのに、受けられる支援が
本当に天と地ほどの差があったのです。
校長先生は、前校長のやり方を一新したといえます。
小学校のときと同じく
苦しむ私たち親子に手を差し伸べてくださったのは
またしても校長先生だったのです。
長男はラッキーだった
そう思います。
ただ、こんな【ガチャ】のような
運任せで受けられる支援が違う、という現実。
納得はいくはずがありません。
でも、これが私たち親子が経験した現実です。
そして始まった登校
話は中学2年の春に戻ります。
1年ぶりの学校生活は
あっさり再開しました。
1年ぶりに引っ張り出してきた制服。
小さくなっていて着れなかったら(汗
と、一瞬ヒヤッとしましたが
大き目を準備していたおかげで
無事袖を通すことができ、
長男は始業式の翌日から、登校を始めました。
行って、1時間過ごして、帰ってくる。
そこから始めました。
というか、そんなやり方を
S先生は許してくださったのです。
今までの経験ではありえないことでした。
小学校時代は、全員の登下校の時間帯以外に
登下校する際、必ず保護者が付き添い送迎しなければならず、
それが、パートタイム勤務とはいえ
仕事をする私にとっては かなりの負担でした。
長男本人も、みんなと違う時間帯に
ひとりだけ登下校することを極端に嫌がったので
学校に丸一日行くか、
丸一日休むか
長男にとって学校生活は 100か0だったのです。
それが、中学2年になって、
朝、遅れて登校するのであれば、
学校に連絡さえすれば
私が出勤した後、長男ひとりで遅刻して登校。
早退する際は、担任から私の携帯に連絡を入れていただき
彼はひとりで帰宅する、ということができるようになりました。
私の負担は激減しました。
時間の拘束からも、精神面からも。
そのうち、長男は
給食を食べて帰ってきました。
実は、入学してしばらく経ってから
給食を止めることができることをSNSで知って、
おじいちゃん担任に申し出て、給食を止めました。
このシステム、意外と知られていないと思います。
学校は教えてくれませんでした。
教師の口から言ってはいけない不文律があるのか・・・
給食って、止めることができるんです!
食べない給食費、払わなくていいんです!
当市のシステムでは、月単位とかではなく
申し出から数日後に止めることができました。
中学2年になっても、そのまま給食を止めていたのですが
ある日、給食を食べて帰ってきたのです。
私は驚いて、担任に電話して
「給食止めているんです」と伝えました。
S先生「欠席者等の、余分の給食を食べてもらったので
気にしなくて大丈夫です。
長男くんが一緒に食べてくれて、
私もクラスメイトもうれしかったです」と
言ってもらったのです。
もう、なんか、肩の重荷がどんどん降りていく気分でした。
それから、学校の滞在時間もどんどん伸びて行きました。
給食も、もちろん再開しました。
気が付くと、夏休み前には
朝登校して、6時間目まで学校で過ごす、という
生活リズムが定着していました。
学校に居場所ができた。
人生を左右する大きな出来事でした。
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