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写真展「私は石ころみたいな写真が撮りたい」を終えて

2023年4月1日(土)~12日(水)に開催していた個展「私は石ころみたいな写真が撮りたい」が無事終了しました。私自身の個展としては初めての機会でしたが、想像以上の多くの方にご来場いただきました。ありがとうございます。全日在廊していたわけではないので正確な数字ではありませんが、確認できただけで来場者数はのべ325人でした。

会期が始まる前のnoteでは、色々と不安や期待をにじませておりましたが……まずは無事開けて良かったです。

ご感想から

「いつまでも見ていられる。見ていて飽きない。押しつけを感じない。疲れない。家に飾りたい。」
ありがたくも多くの方からいただいた言葉です。私自身が自分の写真に感じていることでもありますから、私と感じ方が近しいということでとても嬉しいです。他にも、ポジティブな反応として「なんだこの写真たちは!なんだこれ!なんでかわからないけどすごくいい!説明できないけど、なんかいい!」といった声も(発言ほぼママ)。私もよくわからないけど好きな感じの写真なんですよ、とお答えしていました。
私にとって気持ちいいところと必ずしも一致しなくてもいいと思いますし、何よりこういうのは別に答え合わせが必要なものとは思っていないので、鑑賞者が好きなように受け取って、好きなように解釈していいと思います。そのときの気分でも見え方は変わるでしょう。ただ私はいいなと思って飾っているし、ポジティブに評価してくださる人は単に近しい感覚を持っているというだけに過ぎません。

「知っている日常の風景で、自分なら見ても流してしまうところを撮っている」「同じところを撮ってもこうはならない」
という声もありました。どういうところに自分の美しいと思う何かが反応するのか(感応するのか)、というところに起因している気がします。それは、私は金沢に生まれて育ったわけではないというのが実のところ大きいのではと思っています。このあたりの話は以下の記事でも触れています。

「写真を撮るときにどんなことを意識しているのか?」
私の写真を見ている人には伝わっていることと思いますが、先の感想にあったような「押し付けられることがない」という印象の元になっているのはつまり、言い換えれば「強く伝わってくるものがない」とも言えます。その通りで、私は写真を通じて何か自分の内面を伝えようという意図を込めてシャッターを切っていないのです。もし何か伝えたいというのであれば、あとから何か言葉なり、見せ方なりでメッセージを込めるのだと思います。それで、撮影時に意識していることというのがそういう込めるものとしては存在しない、というのが答えです。

ですがその一方で自分がその写真に対して気持ちよくなれるように意識的にせよ無意識的にせよ動いている部分はあります。それはすごく単純化してことばにすると、構図なのだろうと思います。といってもいわゆる「構図に当てはめる」という意識ではなく、自分の画角(つけているレンズの画角とも言います)で目の前の世界を見て、そこには多くのラインや枠組みを認識します。直線、曲線、円、連続性、形態による比重、色による比重(といっても私は色に対する認識があまり秀でていないので、優先度は落ちます)などといったことです。それらの組み合わせが、自分にとって気持ちいいと思ったとき、私は足を止めているのだと思います。あとはファインダーを覗いて微調整し、シャッターを切っています。

特に石ころの写真においては「モノ」を写そうとしていない。撮り手の撮影時に観ている主題がモノではありません。モノらしき対象が写っていても、あくまでそれはその空間を構成するラインの一部なのだと思います。もちろん、写っているのがそれだからこそその空間が成り立っているのは確かで、他のモノであれば撮っていなかったかもしれません。しかしそれが主題かと言われるとそうではない。

今回の展示テーマのもとになった写真集「私は石ころみたいな写真が撮りたい」について書いた、以前のnoteでも似たようなことは言っていました。終わってみてつくづく過去の自分の記事を読むと、今回展示でもお話していたことが書いてあったものでした。


「展示の方法・配置が面白かった」
整然と並べるのではなく、今回のテーマの「石ころ」のように大小サイズをばらばらにして、配置もあちこちに散らばらせました。私自身が歩いている視界であったり、足元だったり、見上げた先にこれらの石ころ=写真のもとはありました。ですから、会場でも同じようにいろんな形で写真を配置しました。(とはいえ、天井貼りまではしませんでしたが) 
箱庭のような写真は作り合わせた箱の中に、金網の向こうに。小さな写真のさらに小さな写真は、いくつかの展示写真の一部を切り取った履歴書の写真くらいのサイズであったり。パネル貼りした写真は大きな写真の間を縫うように配置され、また空間にすぽんと浮いたように置いてあったりしました。トイレの中とか。

反省点

「DMのような写真ばかりかと思ったが、そうでもなかった」
お褒めの言葉とセットでいただきました。まず前置きとして、まずDMの写真をお褒め頂いた話をします。それについては「まさに偶然が必然になる、という写真だ」とのことでした。それについて真意はその場で聞き出すより考えるようにしようと思って、細かく聞き出すことはしませんでした。した方がよかったのかもしれません。自分の考えだけでは都合のいいように解釈してしまうかもしれないので。
しかし今そう思っても時すでに遅し。「偶然出会うような光景を写真に収めた、しかしその瞬間にシャッターを切れるのは、その瞬間を予期していてもしないでいてもいずれにせよ、カメラを持って「撮る」という行為に及ばねばならない。“そういう撮り方”をしている。」ということだろうか。しかし。そのあと少し残念そうに、「そういう写真ばかりが展示されていると思ってきたのだけど、他はそうでもないね」とおっしゃっていました。
その時私はセレクトの甘さを悔いることになりました。メインビジュアルに添えたこの写真と、本当に方向性の合う写真こそを展示すべきだったのだと。そしてその写真は果たして何枚撮れていただろう。きっと驚くほど少ないに違いない…。嫌な汗をかきながら、その方が写真を順番に見て行かれるのを眺めていましたが、「でも、きっとあなたは撮り続けていればこういう、素晴らしい写真が撮れるでしょう」とおっしゃっていました。もっと歩き、そして力を抜いて撮らねば、と思いました。

「直射日光が強いので、一部の作品は光を反射して鑑賞しづらかったし、写真に影響がありそうで気になった」
これはその通りで、大きな窓から外光が入るギャラリーの好きなポイントでもありつつ、今回の展示の仕方だと見づらくなってしまった点です。ロールスクリーンで遮光は出来るのですが、それだとただ暗いだけになってしまうので雰囲気がない。もし時をさかのぼることが出来るのなら、レース状の布地、カーテンのようなものを設置して太陽光を和らげるとよりよい空間になっただろうなと思います。反省点です。

「今回の展覧会図録はないのですか?」
準備が間に合いませんでした。また、実際の展示写真が確定したのが設営当日で、それ以降に編集作業にあてられるような時間がありませんでした。もういっそ終わってから記録的な冊子は作りたいなと思います。

体力
ご意見から、ではないのですが一番大きな反省点です。それは体力作りですね。というのも、今こうしてnoteを書いている現在、いえ、会期終了日くらいから体調を崩しはじめ翌日にはダウン、風邪をひいてしまいました。さらに体力と抵抗力低下から急性結膜炎(右目)に。きっと元気ならなんてことない雑菌が、今の私の体では抵抗しようもないくらい弱っていたようです。会期中もとにかく終わるまでは持ってくれ、と薬を飲みながらだましだましやっておりましたが、まだ回復の兆しが見えません。普段からの体力作りが大事だなと思わされました。寝ていても体力が回復している気がしない。夜は眠れないし。

展示の記録


さておき、さきほど書いていた記録冊子と言えば、今回友人でありカメラ仲間であるいちがみさんが、設営から会期中に渡って密着取材(というか映像記録)をしていいか、という申し出がありました。自分でも記録写真は撮っておこうと思いましたが、誰でもないいちがみさんからの申し出と言うことで快諾。先日公開されましたが、会場の雰囲気が伝わるいい動画になっていました。以下です。

2023年4月1日〜12日に開催された薄明さんの写真展「私は石ころみたいな写真が撮りたい」の記録動画です。 わたしが訪問できた日程のみの記録ですが、訪問した方は、きっと会場にいた時の記憶の補助になると思います。 個人的にも友人の晴れ舞台を撮影できて光栄でした。 みんなのあの日の思い出は、いつまでも色褪せず心に残り続ける。そう断言できる素晴らしい空間でした。時々、動画を見返して、にんまりしようね。

Ichigami Tomoo - 薄明写真展「私は石ころみたいな写真が撮りたい」の記録 概要より

撮影のために会期中何度も足を運んでいただき、ありがとうございました。いい記念になりました。こうしてnoteを書くよりもずっと会場の雰囲気が伝わると思います。是非ご覧ください。

さて、あとは写真での記録です。以下、撮影は私のものを掲載します。しかし来場くださった方々と夢中で話をしていると、思いのほか写真を撮れていませんでした。かろうじてスマホで設営直後に撮ったやつや、日々の合間に数ショット撮ったものでなんとか…というところです。各画像のキャプションは後日追記するかもですが、とりあえず。


入って最初目にする場所(柱)に展示キャプションやInstagramのQRコード、DM、名刺、芳名帳などを設置しました。横並びで物販コーナー(写真集・写真詩集・ポストカード)
メインビジュアルのものはフジフイルムの写真用パネル(半切)に。
沢山のお祝いのお花を頂戴しました。河合さま、阪井さま、杉井さま、田井さま、西村さま、長谷部さま、水本さま、ありがとうございました。また、その他書ききれないほど多くの方から差し入れを頂戴しました。ありがとうございます。


4/8はギャラリーミュゼの15周年記念日でした。そのお祝いの花

謝辞

深く感謝申し上げます。
ギャラリー:ミュゼ益田さま
映像記録:いちがみさま
一部額の貸出:原さま、村上さま
大判プリント:フジカラー北陸さま
諸々準備・運営:アマヤギ堂

まとめ

まだ展示が終わって(体調不良なのも手伝って)頭がぼうっとしています。会期中の展示ハイが抜けきってもいないような気がします。しかし展示の感想などを声に出して話をしたくとも、体調を戻してから…と思っていたら、どんどん記憶が抜け落ちていきそうで、もどかしいものです。あんなにたくさんの方と言葉を交わし、いろんな言葉を頂戴して気づきや思いもあったのですが、書こうと思うとうまく出てきません。まるで自分がとても不誠実な人間に相成ってしまったような心持ちがいたします。会期中、結局予定よりも多く在廊しました。できなかったのは4/11(火曜日)だけです。あとはすべての時間とまではいかずとも、出来るだけ会場におりました。おかげさまでいろんな方の反応や声を伺うことが出来ました。
自分はこの展示でなにをやりたかったのか、ということを今更ながら考えます。やるときは「好きなギャラリーの、ここで展示がやりたい」というのが目的だったと思います。しかしやってみて、ディスプレイ越しの写真の鑑賞だけでなく、実際のプリント写真を互いに目の前にして、そのことについて言葉を交わすという機会こそが、本当に展示をやってよかったと思うことです。元々知っている人だけでなく、初めて会う人も、それこそ忌憚のない意見(といっても厳しい意見はほぼなく)、面白いものに出合ったという反応をしてくださる方も多く、国籍問わず皆、「いい感じの石ころを道端や河原で見つけた子供みたいに」喜び合った気がいたします。

本当に、有難い機会をご一緒できまして、嬉しゅうございました。またいつか、何か形にできるものと先立つものが準備できたら、つぎのことを考えたいと思います。それでは、よい写真生活を。

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