minolta SRT101を持って能登へ
こんばんは、薄明です。もう3月だというのに、ここ数日はまた寒さが舞い戻ってきて、自室で冷えと戦っています。先日ふらりと能登へドライブに行ったのですが、その時もいい天気だと思って向かって行ったらどんどん曇ってきて風も強く、気温とはうらはらにひどく冷えた経験をしました。
その時に持って行ったカメラが、minolta SRT101です。他にも車であることをいいことに、中判フィルムカメラのMamiya press super23、デジタル一眼レフカメラだとNikon D80、その他にもOlympus E-PL1やNikon COOLPIX P5100なども持って行ってました。メインはあくまでSRT101ですが。
撮りきってすぐに現像に出しましたので、翌日には上がってきた写真を見ることができました。Mamiya press super23も撮りきったのですが、こちらは今度現像に出そうと思います。
特別場所も考えずに走っていたので、結局いつものコースとなりました。ただ、冬場とあって千里浜は走れず、そのまま長手島のあたりまで進みました。ここで降りてしばらく撮ってはいたのですが、あまり防寒具をしっかり持ってこなかったせいで体の芯まで冷えて参りました。
長手島。持ってきたレンズは55mmと35mmです。前半はずっと55mmで撮っていました。
詰めていたフィルムは lomography 100 Color Negative。やや暖色系の感度100の使いやすいフィルムです。ただ、最近C200が恋しいのかKodak GOLD200やlomography 100CNの暖色が強いように感じています。C200にはどうか復活してほしい思いです。別に寒色とまでは思わないのですが、ちょうどいい色合いで好きでした。
一日風も強く、波も高めでした。さすがに今日は釣り人もいないでしょう。
せっかくなので、以前noteにも書いた弁天島(安部屋港)にも行ってみることにしました。途中で車を止めて山の方を撮る。右側の森のあたりの写りがなんだか好きです。
どうもSRT101のシャッターは心地よい感触がします。minolta機は私の中ではわりとカシーンとしっかりと響く感じで、Nikon機に近いようなカテゴライズをしていたのですが、このSRT101はOlympus OM-1に近い音と感触がします。さくさくのミルフィーユにやわらかく歯を立てるような心持ちがするのです。
サンセットロードだったか、そんな名前がついていた気がします。夕陽をのぞめる坂道です。車が来ないのを確認してさっと横断しつつ撮りました。マミヤプレスでも撮ったかもしれない。
等間隔玉ねぎ。
一人なので余計に目に留まるものそれぞれに集中して撮っていました。こういうものは鍋に目がつきましたがその後ろの枝ぶりの形を凝視、結果こういう構図になっていました。もう少し引いてもよかったかもしれません。50mmで撮っていたらちょうどよかったか。
そんなわけで弁天島のあたりまで来ました。ぽかぽかしたいい天気の日はよくここで写真を撮りながらぼーっとしたりしていたものですが、今日は堤防に高い水しぶきがあがるような日で、カメラを持っている指も冷えてなりません。近くの車のカップルも車内で食事をとって早々に移動していきました。
ここでSOLIGOR 35mm F2.8に付け替えました。船の手入れをしていらっしゃる姿を入れつつ、港の方を向いて一枚。暖色系とはいえ、この曇り空はさすがに寒々しさが写っていました。
その後町の方へ車を走らせ、昼食にうどんを食べました。志賀町の道の駅です。ここは温水プール、銭湯、食事処、足湯、特産品売り場などが併設されていて、よく立ち寄ったものです。(特に風呂) ここのうどんは割とコシがある方で私は好きでした。月見うどんを頼んだのですが「きつねうどんですね」と復唱されて、まぁいいかときつねうどんにしました。美味しかったし温まりました。
よく通っていた大判焼のお店も、昨年おばあちゃんが亡くなられ、おそらくはお孫さんが継がれてるようです。ただ、それが一時的なものなのかこれからも続けてくださるのかは、今の世情ですから聞くこともはばかられたのでした。あんことクリームを一つずつ買い求め、その場で貪るように食べました。もうお会いできないのだと覚悟はしていたものの、寂しさがわいてきて、それを飲み下すようにふたつを平らげたのでした。
上の写真はお願いして撮らせていただきました。同じアングルでおばあちゃんを撮ったことも思い出します。
一応顔が隠れてる一枚だとちょっとハイアングルですが、ありました。隠そうと思って撮った一枚ではなかったのですが、ちょうどよかったか。この当時(2006年)は80円ですが、いま(2021年)はさすがに値上がりして、一枚120円です。あまさ控えめで美味しいです。(この一枚はNikon D200で撮影)
帰途についたものの、確か今浜あたりで海のそばに停めてまた海の写真を撮っていました。少し日差しが出て寒さも和らいできたので、まっすぐ帰るのももったいないなと思いました。
何台か車も止まっていて、シーグラスを拾い集めている人たちがいました。もとはゴミとはいえ、綺麗ですね。
遠くに見える看板は、なぎさドライブウェイ終点と書かれていたような気がします。もちろん今は車は乗り入れできません。しかしこの写真はましにしても、漂着ゴミの多さはここに限らずすごいです。加えて海遊びをしたあとゴミを持ち帰られない人もいるように感じました。
この写真が今回のフィルムで一番好きだったな。
きっと全国的にツーリング日和だったんだろうなという日曜日でした。
自分にとって大切なこと
寒くはありましたがやはり春の匂い、そしてやはり海に来ると潮の匂いがします(夏に比べると薄いです)。田畑に行けばより春の匂いを感じるだろうと思います。実家に住んでいた時がいつもそうだったように、自然に、あるいは人為的に土が起こされては春匂いたつ季節です。匂いや風、空に響く音、鳥の声、草葉の温度、土の湿り気、いろんなものに触れては感じ、ただそれを享受してきたことが私にとっては自分自身の感覚器を形作ってきたように思います。
当時私はカメラを持っていなかったし、写真に興味はなかったのですが、この世界に触れていたらどうだったろうと考えることはあります。
その当時の私の感受性でもって、その周囲を好きに撮り続けていただろうと思います。しかしその一方で、自分の好きなものに対して、自分自身の感覚による評価は今より難しかっただろうと思います。周りのもつ物差しに振り回されて、自分を見失っていたんじゃないかと想像します。今はとりあえず自分の基準が好きで、それを大事にすることが馴染んでいるのでいいのですが。
やはりあの草や土の上を歩いたり音や温度を感じていたころの自分は、ただその感覚を受け取るだけ受け取って、五感に貯めこんでいっておいてほしいと思います。それがあったから今の自分の写真や詩、文字、目線、ことばがあるのだと感じているからです。
遠回りした気もしますが、後悔するほどのものがないので後悔もせず、ただ淡々と写真を撮り続けていきたいと思います。(そのほかのことも)
それでは、よき写真生活を。