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私の詩の楽しみ方と本棚紹介#1

こんにちは、薄明です。唐突ではありますが自分の本棚から何冊か好きな本を紹介します。#1としておりますが、#2はあるのか…なかったらそっと終わります。

と書きだしたら詩集だけで何冊も出てきました。こういう本棚紹介だと普通小説や実用書だと思うのですがご容赦ください。詩作が趣味ではありますが、詩を味わうのも好きなことの一つです。特に近代詩あたりが好みです。

詩の楽しみ方

詩の楽しみ方というのが、正直十代の頃はわからなくて敬遠していたところがありました。しかし十代の早期に書いた自分の詩やことばを恥ずかしく思う時期も過ぎて、また改めて自分のことばに向き合い始めると、逆にその頃の方が自分に「自由でないもの」を書いていたんだなとしみじみしています。

当時書いていたのは一般的に中二病みたいに定義されるタイプのもので、どこか語彙や形式が似通ったものになっている。自分自身のことばではない、どこかのだれかからの借り物のように今は思えます。(当時の自分にとってはそうでなかったのかもしれませんが) いずれにせよ、書いたものは書いたもので愛おしいものですが。十代後半に書いていたのもまた、人を慰撫するようなものが多くて今とは違うなあと思いました。

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成人後にことばや字、絵や写真など、自分が何を気持ちよく思うか、何を吐き出したいのか、何を書き記したいのかといったことを落ち着いて整理していった先に、とりあえず中途とはいえ今の私があります。

今の私は、一般的な詩の楽しみ方や、かくあるべきといったことには興味はなく、自分さえ気持ちよければいいという思いで詩と関係しています。(写真にしてもそうです) 少なくとも商業的な活動を主としていない、あるいは他人からの承認を必要としていない以上はそれでいいと思います。私がネット上に書いたり、冊子にしたりすることの目的は自分自身のアーカイブと他人とのコミュニケーション窓口です。共感が得られたらラッキー。

あくまで私の、という前置きでですが。詩の楽しみ方はというと、私の中で「詩とは」から始まったおはなしで、「詩は音である」というところが原始です。音であるということは、サウンドでありメロディであり、つまりは音楽です。韻律、テンポ。これだけ世の中に多くの音楽があふれているわけですから、詩を楽しむということは皆誰もが意識せずにしているのではないかと思います。

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学校の勉強で詩に触れるものの、学校が指導する要領に従い、ある程度模範的な回答を求められがちでありましたし(今はどうかわかりませんが)、また回答せねばならない、すなわち言語化しなければならないのに、十代あるいはそれ以前の語彙力では、必ずしもその思いを形にすることができないでしょう。それをもどかしさと捉えるか、無駄な努力と捉えるか、ただの苛立ちと捉えるか、児童によりけりでしょうけれど結果的にその人の感性によりよいものをもたらしたかどうか。

私は、詩というひとつの入り口から、その人自身が気持ちいいと思うことばの音を探して欲しいと思います。意味を深く読み解くよりもまず、個人個人によって受け取り方の異なる、ことばの響きの美しさを感じ取ってもらえたらと思います。

つまり、ここでは先天的であり原始的な感覚に近い深領域の共感によって、楽しむことができます。音だけなんてライトな楽しみ方と揶揄られがちですが、私はむしろ生物としては深い部分だと考えています。

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そして「詩はことば」(音声語も含み)から組み立てられています。ひとつの意味をあらわす言葉はいくつもあって、また時代によっても違っていますし、それぞれがもつ響きも異なります。これは書く側の話ではありますが、自分の感覚をどの言葉が、どの形が、どの音が一番近く表現してくれているかを探っていく作業は、ある時には楽しくわくわくするもので、またある時は深い沼の底から探し物を拾い上げんとするような絶望に囚われることもあります。しかし自分の感覚を書き出してしっくりきたときの喜びは何にも代えがたいものです。そして読む側からすれば、その言葉の意味がはたしてひとつを指すのか、多重裏に並行した意味が存在するのか、読み解く楽しみもあります。

つまり、ここでは後天的に発生・会得した感性と感覚によって紡がれたものを楽しむことができます。

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そして「ことばは文字」でもあります。ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベットなどその文字、単語、文の流れに、形としての美しさや気持ちよさが存在します。フォントだけでなく、これは実際に手で書いてみるとより実感できます。最近字を書くことを進めると、ほぼ9割の人が「自分は字が汚いから」とおっしゃいますが、丁寧に書けば汚いという印象はほぼないです。丁寧に書くということがわからない、という意味ならわかります。字を書くことについては以前noteを書きました。

字ひとつひとつ、ことばひとつひとつ、一行ずつを丁寧に書けば、雑な字にはならないし、美しいと思います。整った字が欲しいならプロにまかせるかフォントでいいかなと。丁寧に手を動かすことが大事です。紙、インク(墨)、ペン(筆)、指、手、腕、感情といろんな要素が連動しながら字は書かれますので、一種の運動性能の訓練とも言えます。ひとの詩を書き写してみてもいいですし、自分のものを書いてみてもいいと思います。書き散らしてしまうくらいでやっています。

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前置きが主題みたいになってしまいましたが、いくつか好きな詩集を挙げておきます。多分図書館なんかでも大抵置いてあると思いますので、開いてみて私が楽しんでいる音やことばを覗いてもらえると嬉しいです。買ってもらえたらなお嬉しいです。ちなみに私は作家研究をしたりがっちり読み込んだりするタイプではないので、好きな詩人であってもすべての作品を網羅しているわけではありません。適当に開いてそのページを味わってまた閉じる、というようなことが多いです。

萩原朔太郎詩集

三好 達治/選 岩波文庫
朔太郎が好きなのですが、その弟子である三好達治が編んだ詩集です。ほかに「猫町 他十七篇」というのも岩波文庫から出ていますのでそちらもおすすめです。

大手拓次詩集

原 氏朗/編 岩波文庫
朔太郎たちと並ぶ詩人である、大手拓次の詩集です。耽美的で大変好きです。学生の頃は全く耳にしたこともなかったのですが、教科書に載っていたのだろうか。社会人になって知って、こんな素敵な詩人がいたのかと衝撃をうけたひとりです。

泣菫詩抄

薄田 泣菫/著 岩波文庫
薄明という名前を付けてから見つけた詩人です。すすきだきゅうきんと読みます。明治時代、岡山県の出身です。非常に美しい韻律の詩が並びます。一番最近ハマった詩人です。

種まく人の譬えのある風景

倉田 比羽子/著 書肆山田
近代詩人が並ぶ中、この倉田さんだけ現代詩人です。富山県出身の詩人で、特にこの詩集が私のお気に入りです。詩の一篇一篇が長めなのですが、これがまた流れるような旋律すら感じる心地よいリズムで…。置いてある図書館も少なくて、県外から取り寄せて読んだ日に即古本屋(にしかなかったので)へ発注しました。

中原中也全詩集

中原 中也/著 角川ソフィア文庫
どこか心の裡を叫ぶように書かれた中也の詩もとても好きなのですが、全詩集とあって多数未発表詩篇も収録されています。

花嫁人形

蕗谷 虹兒/文・画 国書刊行会
虹兒自身の多数の挿画と詩がほとんど交互と言っていいボリュームで描かれている詩画集です。詩も好きですが絵がまたすばらしい。

他にも白秋、犀星、光太郎など好きな本が並んでいますがこのあたりで。私も随分傲慢にものを書くようになったものだなあと思いました。いいことです。

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