江戸時代の鳥図鑑で“ピングイン”を見っけ! 堀田正敦の《禽譜》…@トーハク
東京国立博物館(トーハク)では、2024年8月6日~10月6日の期間、いつもは古地図が展示されている部屋で、堀田正敦の《禽譜》が、ブファ〜っと展示されています。
禽譜とは、「禽」=鳥類の図譜=図鑑といった感じです。西洋の科学とはまた異なる方法で、おそらく明清時代の中国由来の学問の流れで、江戸時代の日本人は、鳥に限らず様々な図譜を製作していました。
どんな人たちが図譜を作っていたかといえば、以前、同じくトーハクの特集「虫譜づくりの舞台裏」の際に展示されていた、下の「博物図譜関係人物年表」を見ると分かりやすいです。
この人物年表で、貝原益軒と平賀源内は、教科書に載るようなメジャー級です。が……ほかにも色んな人が色んな図譜を作っていきました。
特徴は……お殿様が多いこと。前田綱紀(加賀藩主)とか松平頼恭(高松藩主)とか、島津重豪(薩摩藩主)や増山雪斎(長島藩主)、前田利保(富山藩主)などの名前が見えますよね。ただしこの表には、自然科学系の人物しか載っていないため、江戸の図譜を語るうえで、かなり重要じゃないのかなぁと思われる、寛政の改革でおなじみの、松平定信さんが載っていません。
兎にも角にもどうやら江戸時代には、殿様の趣味の一つとして、博物図譜を作るというのが流行ったようで、みんなで集まって、わいわいと知識の交換をしていたようです。
その中で今回のお殿様は、堀田正敦(まさあつ)さんです。仙台の伊達家の出身で、後に滋賀県の……景勝地(近江八景)の1つで知られる……堅田(かただ)の藩主になった方です。政治的には引き立てられたり、のちには対立したりもしたようですが、基本的には松平定信さんと密接な関係にあった人です。また、図譜作りにおいても、両者は仲間だったような様子がうかがえます。
その堀田正敦さんが……自分で描いたのか、部下に描かせたのか、それとも絵師を雇って描かせたのか分かりませんが、鳥類の図譜『禽譜』を作りました。今回は、その図譜『禽譜』がざざっと展示されていたので、写真だけをnoteしておきます。おそらくペンギンを描いたのだろう「ピングイン」が、外国人(おそらく欧米人)にも人気でした。
■禽譜《きんぷ》 水禽 一
図譜『禽譜』は、いつもは鳥瞰図的な地図が展示されている細なが〜いケースに、2列で展示されています。まず展示室の東側から入って左側にあるのが、『禽譜』のうち「水禽」をテーマにした一巻です。トーハクのアーカイブでは、下記に収められています。展示されているのは、だいぶ後半……おそらく「ピングイン」が最後に見られるように調整して展示したと思われます。
鴛鴦(オシドリ)の雄(おす)からです。
鴛鴦と記されている下には「百鳥図」とも記されています。これは、このオシドリの図が、中国・清の康煕帝の指示により編纂された、中国産鳥類の図鑑「百鳥図」を参照したもの……ではないかとわたしは思います。
以下は蘇州鴛鴦の雌と雄を収めています。
図譜の各図の横には、鳥の種名が書かれているだけでなく、「長崎寫眞」や「〜〜侯」などと記されています。解説パネルによれば、これらは「図の旧蔵者」を記しているとのこと。
「長崎寫眞」については、「長崎奉行から堀田のもとに届いた外国産の鳥の写生図」とあります。
下の図も百鳥図にあった図から借用しているようですね。紫鴛鴦(オシドリ)とあります。
図の隣には何やら解説が記されているようですが……意味はよく分かりません。解説パネルには「幕府奥医師の栗本丹州の解説もあります」と記されているので、この文章がそれなのかもしれません。栗本丹州といえば『千虫譜』と思っていたので、虫が専門なのかと思っていましたが、鳥にも詳しかったようです。
なんで同じ図の写真をしつこく撮ったかと言えば、ピングインに限らないんですけど、雲母かなにかキラッキラするような素材が絵の具に練り込まれているようで……見る角度を変えるとキラッキラするんですけど、いい感じに撮れないんですよ。それでまぁ色んな角度から撮ったものを、ほぼそのまま載せてみました。
↑ noteのタイトルに「ピングイン」をメインにしたのに、この図について書けることが今のところ(たいして)ありません……すみません。
堀田正敦さんが編纂に関わった図譜は、2月にも《鳥譜》が展示されていました。その時の様子についても、noteしています。
そのほか過去にnoteした、トーハクの図譜関連の展示については、下のとおりです。
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