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【らんまん&博物館ニュース】牧野富太郎の大先輩たち……江戸時代の博物博士による図鑑が展示されています@東京国立博物館

“虫好き”や“図鑑好き”の皆さんに朗報です。現在(2023年6月25日)、東京国立博物館(トーハク)1階の奥の方の、少し薄暗い部屋では、「虫譜(ちゅうふ)づくりの舞台裏 栗本丹州著『千虫譜』とその展開」というミニ展示が行われています。

“図鑑”の定義はよくわかりませんが、仮に西洋式の図録を意味しているとして、“図譜(ずふ)”は、江戸時代に作られた、和式というか中国式という感じの図録です。

江戸時代、特に後期には、大名や絵師、そして医師たちが、身分や地域をこえて動植物を研究する同好会を開き、多くの博物図譜を作ったと、トーハクの解説パネルにあります。

これって、何がすごいかといえば、よく日本の江戸時代は「士農工商」の身分制度があって、その身分を超えての交流はなかったかのようにイメージされがちですよね。ただし、俳諧などの文学や絵画などの芸術の分野では、上は藩の殿様から市井の人々など、趣味を同じくする人たちが身分の垣根を超えて、集まっていたんですよ。

この“博物図譜ずふ”を作ろう! っていう機運も、そんな自由な雰囲気を象徴するものでした。

江戸時代の博物図譜 関係人物年表(トーハク展示パネルより)

実際、トーハクには様々な図譜が収蔵されていて、魚や貝、鳥や動物などの図譜が、いつ行っても見られます。見られるんですけど……それらは、ほんの少しずつしか見られないのが、常々残念だなぁと思っていました。

それが今回、栗本丹州さんの虫譜(ちゅうふ)《千虫譜》が集中して展示されると聞いて、勇んでトーハクへ向かいました!

「虫譜づくりの舞台裏」のパンフレット
「虫譜づくりの舞台裏」のパンフレット

ということで、今回の特集の詳細については、パンフレットを読んでもらえればと思います。ものすごく分かりやすく、立派なパンフレットです。

こういうのを作っているから、トーハクは儲からないんじゃないかな……なんて余計なお世話ですねw こちらのパンフレットは、どこにも置いてありません。本館の正面入口を入ったところにあるインフォメーションセンター?(受付?)で、こっそりと「虫譜のパンフレットをください」と言うと、「あ…はい…こちらですね」と、ひそひそとやり取りすると受け取れます。とはいえ、下記サイトでPDFを配布しているので、ぜひご覧ください。

ということで、まずは先ほど挙げた博物図譜の年表……としていますが生物系の図譜の年表ですね……を、改めて見ておくと時代背景が分かって良いかと思います。今回のnoteとはあまり関係ありませんが、この年表の後に連なるのが、朝のテレビ小説『らんまん』主人公のモデルとなった、植物分類学者の牧野富太郎さんと言って良いはずです。

まず1600年頃……つまりは関ケ原の合戦前後に、中国・明代の1596年に李時珍が著わした『本草綱目(ほんぞうこうもく)』が、日本に伝わりました。本草(ほんぞう)とは、専門家でない限り、ざっくりと薬草と思って良いでしょう。本草綱目とは、薬草を作る際に便利な書籍といったところです。

この『本草綱目(ほんぞうこうもく)』が伝わってきたこともあり、日本でも、本草学が盛んになり、さらにはもっと自然を知ろうじゃないかという機運が各地で高まります。

そして、今回の特集企画の主人公、栗本丹州は、そんな本草学者の家に生まれたんです。その縁からなのでしょう、将軍家お抱えの医者(奥医師)の栗本家の婿養子となり、後年には自身も奥医師となります(将軍の子息たちのお産にも立ち会います)。

栗本丹州さんの実父・田村藍水(らんすい)さんは、薩摩藩主の島津重豪さんから、琉球(沖縄)の草木の標本を贈られます。それをまとめた植物誌が、『琉球産物志』(1770年)です。

田村藍水著・田村西湖(お兄さん)撰『琉球産物志』明和7年・1770年
主に薩南諸島の植物約730品の彩色図と注記から成るそうです

父も兄も本草学者という家庭で生まれたためでしょう。栗本丹州さんも、虫に限らず、森羅万象を片っ端からまとめたくなったようです。虫だけでも何冊もの本を著していますが、そのほか草木、鳥や蛇、魚や貝の本や図譜や図巻など、数えきれないほどの著作を残しています。もちろん全てを1人で描いたわけではなく、中には、日本初の洋画家とも言われる高橋由一が参加した『博物魚譜』などもあります。

下は、栗本丹州が狩野惟信などと著した『栗氏図森(りっしずしん)』です。やや再現性に欠けるような気もしますが、それでも美しいですね。

栗本丹州、狩野惟信ほか著『栗氏図森(りっしずしん)』江戸時代・18〜19世紀
栗本丹州、狩野惟信ほか著『栗氏図森(りっしずしん)』江戸時代・18〜19世紀
栗本丹州、狩野惟信ほか著『栗氏図森(りっしずしん)』江戸時代・18〜19世紀
栗本丹州、狩野惟信ほか著『栗氏図森(りっしずしん)』江戸時代・18〜19世紀

下は、栗本丹州、関根雲停ほか著『緑漪軒動物図(りょくいけんどうぶつず)』。解説がなかった気がするのですが、「緑漪軒動物図」で調べてみると、栗本丹州さんの虫譜をもとに写した一冊のようです。「緑漪軒」というのは、緑漪軒と号した幕府の医師の久志本左京さんの依頼で作られたもの……という意味のようです。写したのは博物画の名手、服部雪斎という方(要確認)。

その中でも今回、展示された巻は、魚が収められています。そのほかの巻では、まったく分類されていないような……例えば「ゲジゲジ」の次のページには「マガタマ(勾玉)」が描かれていて、そのまた次のページには毛虫といった感じです。

栗本丹州、関根雲停ほか著『緑漪軒動物図(りょくいけんどうぶつず)』江戸時代・18〜19世紀

そして『千虫譜』ですね。原本は現存しないのですが、トーハクには同書の原図と思われる作品や写本、『千虫譜』を参考にしてつくられた虫譜が所蔵されているそうです。今回は、そうした資料が展開されています。

まずは栗本丹洲さんの 『千虫譜』を、転写した本です。そうした転写本が世界に二十数点残っていて、その中の1つが、トーハク所蔵の『千虫譜 第二巻・第三巻』。約300匹の虫が、説明とともに掲載されています。

栗本丹州著写『千虫譜 第二巻・第三巻』江戸時代〜明治時代・徳川宗敬氏寄贈
栗本丹州著写『千虫譜 第二巻・第三巻』江戸時代〜明治時代・徳川宗敬氏寄贈
栗本丹州著写『千虫譜 第二巻・第三巻』江戸時代〜明治時代・徳川宗敬氏寄贈

下は、上の『千虫譜』とはまた異なる写本のようです。

『千虫譜』
『千虫譜』
『千虫譜』
『千虫譜』
『千虫譜』

↑ 「其虫大如●」と注が入っているのは、俗に「カケダシ」という虫なのだそうです。ポツポツと描かれているのが、実物大で、その左に描かれているのが、顕微鏡で見て描いた拡大図……というようなこともメモ書きされているのですが……そうしたことがパネルで解説されています。

『千虫譜』の虫の絵の周りにはいろんなメモが記されています。例えば、絵を写した日付、虫によっては、どんな場所に生息しているか、採取した場所、贈ってくれた人の名前などもあります。

解説パネルには、『千虫譜』を読んでいると、丹洲の交友関係が分かる記載が頻出するとあります。「例えば、大坂の本草学者・木村蒹葭堂や国学者で蔵書家としても知られる屋代弘賢からも虫を入手していました。さらには、動植物の勉強会である赭鞭会を主宰した富山藩主前田利保や、鳥類図鑑『観文禽譜』(寛政6年(1794)序) で知られる堅田藩主堀田正敦など大名との交流もありました。」

でましたね……堀田正敦(まさあつ)さん。この方、仙台伊達家の出身ですが、政治家としては松平定信さんの引き立てで若年寄にまで勤めています。松平定信さんと言えば、博物バカの1人ですよね。で、松平定信さんといえば、画家の文晁(ぶんちょう)さん。その文晁さんのような画家で、堀田正敦さんの息子・正衡(まさひら)さんの側に近習としていたのが、日本最初の洋画家とも言われる高橋由一さんです(東京藝大の『鮭』を描いた人)。

文晁さんは、殿様・松平定信さんの半ば命で西洋画法を学びました。高橋由一さんの場合も、博物図譜を描く中で、西洋画を学ぶように言われた……または必要だと実感したんでしょうね。

ちなみに松平定信さんと谷文晁さんについては、以下のnoteで詳細を記しました。

以下は、あの! 高島秋帆さんが題字(表紙タイトル)を記しているという豪華版の『虫譜』です。誰が著したのか不明ですが、書の説明文に「千虫譜云……」とあることから、栗本丹州の虫譜を引用していることが分かるといいます。

それにしても、高島秋帆も関わっているとは……あの、板橋区の高島平の名前に残っている砲術家として有名ですね。

描かれているのは、いわゆる蛾(が)です。実物は、キレイな柄であるほど、ゾッとしてしまいますが、絵を見る分にはとてもキレイです。宝石を見ているような気持ちになりますね……って、わたしは宝石を見ても、これほどワクワクしませんけどねw

以下は……ちょっと展示物の同定が難しく……。おそらく『丹州虫譜』なのでしょう……って、この展示の解説パネルが、正直、初心者には分かりにくいです。だって、原本は残っておらず、展示物はすべて写本なんですよね? それなのに、作品名が全て『丹州虫譜』もしくは『虫譜』で、著者名として栗本丹州が記されているんです。ちゃんと読めば書いてあるものの、誰が書写したのかを大きく書いてほしいなぁ……と。「栗本丹州著書・明治8年(1875年)」っていう表記は、分かりづらいですよ……丹州は何歳まで生きていたんだ? っていう感じですよ(ちなみに1756〜1834年です)。

で、おそらくこれが『丹州虫譜』です。「近代の博物画家服部雪斎と博物学者伊藤圭介の蔵本から写された」そうです。2人ともトーハクの前身・博物局のスタッフです。特に伊藤圭介さんは、これから『らんまん』に出てくるかもしれないので、憶えておきたい人物です(圭介さん本人は分かりませんが、息子か孫が出てきます)。


すみません。後半、力尽きました……。また時間がある時にぽつりぽつりと整理していきたいと思います。

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