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火事と喧嘩は江戸の華 @東京国立博物館

以前、浅草「を組」の火消しの頭・新門しんもん辰五郎について記したことがありました。

その新門辰五郎のような火消しが羽織っていたという、とっても粋な火事羽織かじばおりが、東京国立博物館トーハクに展示されています。

『火事羽織 紺木綿地雷神模様刺子』東京国立博物館蔵

解説パネルには「とび職の男性は火事の多い江戸では火消しにあたりました」と記されています。

また刺子の羽織を着たのは、水分をよく吸収するから。火事場へ向かう時に水をかぶっていたそうです。

展示を見て「かっこいいなぁ」と見惚れていたこの雷神ですが、実はこれ、裏地に描かれていたのだとか。そして火を消し止めた後に、サッと裏を表に返して、雷神が描かれた方をみんなに見せたのだと言います。

Construction workers in the city of Edo (now Tokyo) were also part-time
firefighters. They had thick, absorbent coats that they soaked in water to
protect themselves before putting out fires. This firefighter's coat is Fireman's Coat (Kaji Baori) with the Thunder God, who was thought to bring rain and protect the wearer from fire.

解説パネル(英語版)


『火事装束 緋羅紗地注連縄模様』

こちらは大名火消しの装束。

「江戸時代は、町火消が町屋の火災消火にあたったのに対して、武家につい しては、旗本からなる定火消が江戸城の、その他の幕府主要地域の消火には大名が当たりました。大名火消の装束は男性だけではなく、その奥方も誂え、華やかに仕立てられました。」(解説パネル)

左側が女性用の火事頭巾です。女性も火災の消火にあたったのかは分かりませんが、まぁ避難する際にも使うでしょうから、こうしたものをしつらえていたのかもしれません。

以前、火消しに熱心な大名を主人公にした小説を読んだことがあるのですが……すっかり誰の著作か忘れてしまいました。

その殿様は熱心なあまり、火事の予行演習を、時々夜中に突然始めるんです。それで、すぐに参じなかった家臣は叱責を受ける。「もう夜中に演習をするのをやめてくれ!」と家臣たちは、ほとほと困ってしまう……という話だったように記憶しています。

なんで大名たちが消防活動に熱心だったかと言えば、もちろん江戸は火事が多い街だったからなのが一つあります。木造なうえに密集していましたから、とにかく延焼しやすい。江戸中を燃やし尽くした大火も何度もあり、明暦の大火や、お岩さんと関連付けられることもある天和の大火などが有名ですね。

そのため八代将軍の徳川吉宗などは、防火に特に熱心で、延焼を防ぐための空き地=火除け地ひよけちを江戸の各所に配置しました。また、上野が有名ですが、火除け地とともに広小路ひろこうじを設けたのも、延焼を防ぐためです。

「火事と喧嘩は江戸の華」とはよく言いますが、結局、江戸から東京へと変わった明治や大正、そして昭和にも、火事や地震、空襲で何度も焼け野原を体験しているのが、いまの東京です。そんなところも、江戸市民の人格形成に影響を及ぼしていたかもしれません。

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