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マリー・ローランサンと青木繁……アーティゾン美術館@東京・京橋

何週間か前に……そう、体調が崩れる少し前のことなのですが、アーティゾン美術館へ『マリー・ローランサン』展を見に行きました。マリー・ローランサンさんは、パステルカラーのフワァ〜っとしたやさしい描き方で、1920年代のフランス・パリで人気となった画家です。ただし、『大人の教養講座』の山田五郎さんによれば、「長らく、母国のフランスよりも、日本で人気だった画家で、良い作品の多くが日本にある(所蔵している)」のだそうです。

そんな彼女が生まれたのは、1883年10月31日のこと。そうなんですよ……今年は彼女が生誕してから140周年。ということもあってなのか、今年は渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムを皮切りに京都、名古屋と巡回した『マリー・ローランサンとモード』展が、ちょっと話題になっていましたよね。

そちらの展覧会は「モード」って書いてあったので、わたしには関係ないかなぁと思ってしまったために行かなかったのですが、今回のアーティゾン美術館『マリー・ローランサン』展は、行ってきました。


■一流のホテルのような、ゆったりとした時間の流れる美術館

その時のレポートは上記サイトに記しているので、もし興味があれば……というところなのですが、なんといっても、わたしはアーティゾン美術館へ行ってみたかったんですよね。初めて行ってみて、その優雅な空間に驚きました。いやまぁ色んな美術館や博物館がありますけど、わたしが今まで行ったなかで、もっとも“居心地の良い空間”だったなぁと。

東京国立博物館や国立西洋美術館などとは、まったく空気が異なりますね。同館は、タイヤメーカーの株式会社ブリヂストンの創業者、石橋正二郎さんが設立指示したもので、現在も同社の本社屋ビルに入っています。同ビル1階を入ってエスカレーターに乗って2階へ進むところから、なんでしょうか……美術館へ行くというよりも高級ホテルへ行くような趣です。そのまま3階まで上がっていくと、美術館の入り口です。出迎えてくれるのは、N.ハリウッド(N.HOOLYWOOD)デザインの、制服に身を包んだ女性たち。さらにゴージャスな内装のエレベーターで上がり、『マリー・ローランサン』展の会場へ入っていきました。プレス内覧会だったからなのかもしれませんが、監視員からの視線を過度に感じることもなく、不要に近寄ってくることもないのも好印象でした。そのため、ゆったりとした気持ちで作品を見て回れたからです。

いやぁ〜、この美術館って素敵だなぁと思っていたところで、『マリー・ローランサン展』を見終わり、いよいよ常設展へ向かいました。“いよいよ”なんです。なぜかと言えば、今回の目的はローランサンさんもですが、同館が所蔵する青木繁さんの作品を見たかったからなのです。

マリー・ローランサン《女と犬》1923年頃
石橋財団アーティゾン美術館蔵

■ブリヂストン創業者が美術館を作ったわけ

青木繁さんは、マリー・ローランサンさんと1年違いの1882年7月13日に、福岡県の久留米市で生まれました(ローランサンさんは1883年10月生)。1900年(18歳前後)で東京美術学校(現:東京芸術大学)に入学。1904年(22歳前後)に卒業したのと同時に、仲間らと房総半島の南端の布良めらへ旅行し、後に重要文化財に指定される『海の幸』を描き、同じく重文指定となる『わだつみのいろこの宮』を、この地で構想したと言われています。

さて、その布良めらへの旅行を共にした仲間の1人に、坂本繁二郎さんという方がいました。青木繁さんと同じ久留米出身で、小学校からの親友です。青木繁さんは、現在の高校にあたる学校での学業を半ば放棄して上京し、1900年に、そのまま東京美術学校へ入学したのですが、それに対して坂本繁二郎さんは母校で図画代用教員となりました。その後、青木繁さんに「お前も、東京へ来てみぃや」とそそのかされて、坂本繁二郎さんも1902年に上京します。つまり、郷里で図画代用教員をしていたのは2年ほどのことなのですが、その短い期間に教えた生徒の1人が、株式会社ブリヂストンの創業者・石橋正二郎さんだったのです。

アーティゾン美術館のWebサイトには、石橋正二郎さんが「本格的に絵画収集を始めるきっかけ」となったのが、「(石橋)正二郎の高等小学校時代の図画教師だった洋画家・坂本繁二郎との再会でした」と記しています。そして……

若くして夭折した同郷の画家・青木繁の作品の散逸を惜しんだ坂本は、正二郎に青木の作品を集めて美術館をつくってほしいと語ったといいます。その言葉に感じ入った正二郎は、青木を中心として日本近代洋画の収集を始め、およそ10年間で《海の幸》など青木の代表作を購入、コレクションを形成していきました。

わたしは、この話が大好きで、過去にもnoteに記したことがあったはずです。それで、この話を知った時から、アーティゾン美術館へ行きたいなと思っていたんです。だったら、さっさと行けよという話なのですが……。

■青木繁の『海の幸』との初対面

そうしてアーティゾン美術館の常設展の部屋へ入っていきました。『マリー・ローランサン』展よりも、さらにゆったりとした空間なのに驚きました。部屋に入った瞬間に「ここは素晴らしいなぁ」って声に出してしまいましたし、そうしてつぶやくくらいなら誰にも聞かれないほどに、ゆとりのある設計なんです。

壁にはポール・セザンヌやアンリ・マティス、それにパブロ・ピカソの作品が並んでいます。さらにクロード・モネや、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック、フィンセント・ファン・ゴッホなどが、ずらり。

ポール・セザンヌ《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》1904-06年頃・アーティゾン美術館蔵
ウジェーヌ・ブーダン《トルーヴィル近郊の浜》1865年頃・アーティゾン美術館蔵
フィンセント・ファン・ゴッホ《モンマルトルの風車(部分)》1886年・アーティゾン美術館蔵
パブロ・ピカソ《腕を組んですわるサルタンバンク(部分)》1923年・アーティゾン美術館蔵

館内の空気感に任せてゆったりと見て回ったら何時間かかるか分からないな……と思い、足早に巡っていくと、一つ目の青木繁作品『わだつみのいろこの宮』がありました。

青木繁作《わだつみのいろこの宮(部分)》アーティゾン美術館
青木繁作《わだつみのいろこの宮(部分)》アーティゾン美術館

こちらの作品は、春に国立近代美術館で開催された『重要文化財の秘密』で見たばかりですが、思わず歩み寄って「こんな良い美術館に所蔵されることになって、良かったねぇ」と声をかけました。正直、この作品の何が重要文化財指定に値するものなのか、わたしにはわかりません。わからないけれど、良かった良かったと、思ってしまうから不思議なものです。

青木繁作《わだつみのいろこの宮(部分)》アーティゾン美術館
青木繁作《わだつみのいろこの宮(部分)》アーティゾン美術館

それから「そろそろ戻って仕事しなきゃ」と思い、近くのエレベーターを下っていくと……さらにワンフロアが常設の展示室でした。「うわっ……まだあったのかぁ」と思いつつ室内を巡ると、2つめの青木繁作品『海の幸』があるじゃないですか! こちらは実寸の複製は見たことがありましたが、本物を見るのは初めてです。「本当にアーティゾン美術館にあったんだなぁ」と。

青木繁《海の幸》1904年・アーティゾン美術館蔵

いやぁ、ちょっとした感動をおぼえつつ近づいていきました。実寸の複製を、この作品が書かれたという布良めらの家で見ていましたが、やっと本物に会えたなぁ……というのもだし、こんなに小さいものだったのか……とも。

青木繁《海の幸(部分)》1904年・アーティゾン美術館蔵

やはり青木繁さんの筆致を間近にすると感慨深いです。そしてこれが、当時の恋人で後に奥さんになった福田たねさんかぁとも思うし、本当に横や縦に線が引かれているのがそのまま残っていて、未完成っぽいんだなぁと思ったり。

青木繁《海の幸(部分)》1904年・アーティゾン美術館蔵

正直、この作品も何が良いのか、なぜ重要文化財に選ばれたのかなども分からないけれども、わたしの布良めらでの個人的な思い出と重ねて作品を見ると……まぁ重ねなくても、青木繁さんの若さなのか狂気からくるものなのか、何か力強さとか勢いのようなものを感じたりもしてしまいます。

青木繁《海の幸(部分)》1904年・アーティゾン美術館蔵

それに「これって何が描かれているんだろう?」っていう不思議さもありますよね。もちろん布良めらで見た漁師たちを描いているんでしょうけど、当時の漁師たちとはいえ真っ裸で歩いていたわけではないでしょうし、こんなに長い銛で漁をしていたのか? とも思います。布良めらの港の情景から、インスピレーションを受けたのは間違いないのでしょうけど、青木繁さんの中に湧いてきたもの……創作が、そのまま描かれている部分が多いはずです。そうした意味で……良し悪しは分かりませんが……とてもクリエイティブな作品だなぁとおもいました。

青木繁《海の幸(部分)》1904年・アーティゾン美術館蔵

この《海の幸》を見たら、「今日の目標は終わったな」という充足感が満ちてしまいました。尾形光琳や酒井抱一の作品を見忘れてしまったなぁと、後で思い出したのですが、また来ればいいよね……と。

そんな風に思える素敵な美術館でした。本当に、また行きたいとおもいます。

【関連note】


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