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「ふつう」の外

圧倒的多数の自分が「ふつう」だと思っている方々へ。
今日は、「そこに入れなかった私たち」のお話を少しさせてください。

物心ついた時から、人と話すことが苦手だった。
妹が話せるようになってからは、全て妹任せ。
「言ってきて」「聞いてきて」が当たり前。
ただの引っ込み思案だと思っていた。
きょうだいで過ごすステージから、幼稚園にうつってからは、よりひどくなった。
常に同じ友達2-3人としか話せず、先生は怖いイメージしかなく、教室が居心地が悪い。
まるでエアポンプのない水槽のように息苦しい。
教室という空間に対する苦手意識は結局大学を卒業するまで改善されることはなかった。

人と目を合わせて話すどころか人の顔を見るのが苦手だった。
大抵の場合、目が合っている振りをするために相手の目の下あたりに顔を向けて、取り繕っている。
美容院に行くようになってからは必ず前髪は目のふちギリギリのぱっつん。少しでも視線を誤魔化すためだ。
前髪ぱっつん姫カットがアイコンのようになっていたがなんのことはない、目を隠しイヤホンを隠すのに適したスタイルがそうだっただけのこと。ストレートは元々。

会社に入ると、会議というものに参加せざるをえなくなる。
逃げられない会議室、何か口を開けば全員の注目が集まるという空間。
意見を言う順番が近づいて来ると、じりじり体温が下がり、指から順に氷のように冷たくなる。いざその時が来ると、今度は一気に体温が上がり、喉が震える。声が出ない。意識が遠のく。気を失う。そんなことが続き。診断がくだった。

診断名、社交不安障害。
特定の状況下またはそうでない場合も、対人関係が築きにくく、場面緘黙症や吃音、失声を伴う人格障害。
生来の性質であることが多いが、いじめ等の原因で後天的に発症することもある。
同時に当時新卒で就職した会社に疲弊していたことから、鬱も発症していた。躁鬱でなく、鬱。

主治医は、こうも告げた。
医学的見地からは存在を定義されていないけれど、とひとこと断って
「エンパスの気質はあるね」
「HSPも」

エンパス。HSP。繊細さん。
最近耳にすることが多くなった言葉だと思われる。ネットの診断で、自分はそうだと悲嘆に見せかけた歓喜を呟く人も多い。
まず前提としてエンパスとHSPが、違うものであることをご存知だろうか。
HSPは、いわゆる感覚過敏。
あらゆるものごとにおいて、繊細に敏感にセンサーが反応する性質のこと。
あらゆる、という点が核になってくる。
対人に限らず、五感、全てが常に張り詰めている状態。緊張状態に置かれていると言っていい。
エンパスは、超共感能力。
感情についてというくくりでの感じやすさを異常値でもつ能力のことを言う。
超能力の一種と考えられ、対峙している相手の感情を共感・共鳴することを自分では「止められない」。相手の気持ちを自分のものとして疑似体験する、と言えば分かりやすいだろうか。
混同されやすいが両者は別物である。
性質か、能力か。
全般か、特定か。
併せ持つ人も少なくないが、同一のものではないということをご承知おきいただければと思う。

「先回りして答え勝手に出すな」
人生でよく言われたフレーズのひとつ。
相手の感情がわかるから、一手二手三手先を読んで勝手に結論を出して途中の問答を飛ばす。
逆に読めているからこそ、相手を怒らせないように気分を害さないように遠回りすることで、結果的に堂々巡りを展開し、突き放されることも多々。
0か100しかない。
読めているものは読めているのだから仕方ない。
読めている「つもり」だとの非難も当然だ。
読むつもりもない。勝手に流れてくるものだからだ。
わかりたくもない他人の感情が「見える」気分はどうかと問われたら、間髪入れずにこう答える。

この世の地獄。と。

わかるがために、他人の怒哀で疲弊し。
わかるがために、他人の喜楽で振り回され。
染まる事に自分の感情を見失う。
自分がない。私が居ない。共感している間、私は私ではない。ではいま怒っているのは、泣いているのは、笑っているのは、何故か。わからない。わからなくなる。
そして、沈黙。
沈黙は最後に与えられた盾だ。
何を読んでも口にしなければなかったことになる。適当な相槌。相手すら分かっていない深層心理に共感するため「わかっていない!」と怒られることも少なくない。
だから。沈黙する。
肯定する。
同意する。
相手の感情に振り回されることがわかっているから、なるべくその揺らぎをおさえるための言動を選ぶ。
こうして身につけた処世術が、相手の望む私を演じることだった。
相手の欲しい言葉を吐き。
相手のとってほしい行動をとり。
危機を回避する。
次第にその回避すらも億劫になり、関わる人数を意図的に減らした。
共感して、一緒に悲しんで、悩んで、出来うることを尽くしても私を踏み台に最後は突き放す人しかいなかった。
そうして私は、人間関係を諦めた。

前向きになれ。
ポジティブになれ。
頑張れ。
やろうとしていないだけだ。
甘えるな。
逃げるな。
会話しろ。
仲良くなれ。

全部の言葉が刺さった。
したかったけれど出来ないことだったからだ。
出来るならやっている。
出来なかったのだ。
10数年費やしても。努力しても。
出来なかったことを毎日申し訳なく思いながら生きている。
人間のなり損ない。
それを突きつける言葉だからだ。

出来なくて申し訳ありません。
生きていて済みません。
関わらなければ許してくれますか。
傷つけば許してくれますか。
居なくなれば清々しますか。
お願いですから、私たちに「頑張れ」を言わないでください。
あなたたちの世界に必要以上に関わりませんので。
ポジティブでないからといってネガティブだと決めないでください。
0が最高値の人間も居るんです。
どうか、頑張っている人間にこれ以上「頑張れ」を言わないでください。
そして、インターネットの自己診断で自分にラベリングして悲劇の主人公を勝ち取ったと喜んでいる殆どの、自称メンタル系の方々へ。
速やかに受診してください。
そして、異常なしのパスポートを手に入れてください。

あなたたちの逃げに精神病質を使わないでいただきたい。
本物の地獄と代わってもらえるなら代わっていただきたい。
たまの人間関係で「病んだ」と言うくらいは可愛いものだ。
「鬱」を自称するな。気に入らない人間を「パーソナリティ障害」「スペクトラム」と決めつけるな。あなたたちはまだ、そっち側のはずだ。わたしたちが望んでも手に入れられなかった、そっち側のはずだ。生きやすさとは、何ものにも替えがたい天恵だ。前を向いて、休んでいいから、遠回りしていいから、歩め。その力があるのだから。

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