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ホールチーズの話

「才能はホールチーズみたいなもんだと思うな」
それまでの会話のいくつかの話題が過ぎ去ったあと、少しの沈黙ののちそう言った。僕は波留の方には少しも視線を向けず、前だけを見ていた。だから呟きのようだった。フロントガラスの向こうは信号の光も前方車のテールランプもはるか遠く、小さくしか見えない暗い道路だった。
「ホールチーズ?」
波留は僕の言葉をあまり頭の中で噛み砕かぬまま、簡単にそう聞き返した。
「そう。誰しも才能という名のホールチーズがあって、それをパンに削って乗っけて、何かを創っていくんだと思う」
「ふうん......」そう言い、今度は少し僕の言葉について考えているようだった。
「チーズの大きさや味は人によって違うんだよね?きっと」
「うん」
「誰かが言っていたの?」
「いや、俺が考えたことだよ」僕が答えたあと、波留は黙っていた。僕は続けた。
「そして怖いのは、自分のチーズの大きさが自分では分からないってことなんだよ」
波留はまだ黙っていた。
「だからさ、早いうちにチーズをガリガリ削ってチーズトーストを作っちゃうと、思わぬところでチーズが無くなるかもしれない」
そう言い、「チーズトーストは創作物のこと」と付け足した。波留は「チーズトーストね」と口元を少しだけ綻ばせ、相槌を打った。
「ならもしチーズが無くなっちゃったらどうするの?」
今度は僕が黙った。それに対する回答が頭になかったわけではない。ただそれを言うべきか迷っていたのだ。しかし結局、2秒くらい考えて答えることにした。
「そのときは死にどきなのかもしれない」

数百メートル先の信号が赤色に変わった。道はずっと真っ直ぐの二車線道路だった。
助手席の方へちらりと視線を向けると、彼女の顔は影に覆われ、口元だけが見えた。白い肌の柔らかな割れ目の端が、ほのかに、そして穏やかに引き攣った。
「だからこんなに暗い道を走ってるの?」
波留は微笑みながらそう言った。
「たまたまだよ」僕も微笑んでそう答えた。僕には波留のような気の利いた返しは思いつかない。
だから、波留に運転できるかと尋ねた。
「うん。できるよ。それとね......」
僕は言葉の続きを待った。
「私はチーズと才能が一緒とは思わないな、やっぱり。チーズは美味しいし減っていっちゃうだけだけど、才能って食べられないでしょ?」
いくらでも反論はできた。
だけど、もうそれは無駄なじゃれあいなだけに思えた。

「たしかにそうだね。......今度チーズフォンデュ食べに行かない?」
「いいね。美味しそう」
僕はまた波留の顔をちらりと見た。美味しいチーズのことを考えているようだった。

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