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映画日記『エコー・イン・ザ・キャニオン』 豊かな国の豊かな音楽

①ジェイコブ・ディランがかっこいい

2019年に公開された、ロック・ミュージックのドキュメンタリー映画だ。WOWWOWやU-NEXTなどの有料テレビでは、すでに放送済みらしい。最初にテレビでやって、その後、劇場公開になるパターンのようだ。ウェスト・コースト・サウンドにはほぼ興味のない私だが、ロック・ドキュメンタリーは観れるだけ観ようと思っているので、映画館に観に行った。

いつものように、アップリンク吉祥寺で観た。昨日の金曜日が初日で、11時30分、1日1回の上映だった。スクリーンは4で客席は58。8割方埋まっていた。

先日見た、ウェストコースト・ロックの聖地『ローレル・キャニオン』と同じ趣旨のドキュメンタリー映画だが、『エコー』は、60年代に時代を限って作ってあった。だから、ジョニ・ミッチェルやリンダ・ロンシュタットは出てこなかった。

いや、趣旨もだいぶ違っているようだった。ドキュメンタリー映画だけど、ジェイコブ・ディランを主演にしたドキュメンタリー映画といえなくもない。そんな印象を受けた。

ジェイコブ・ディランは、ボブ・ディランの息子で、ミュージシャンをやっている。その程度の認識しかなかったが、結構、有名人らしい。体格も父親のディランよりもスラリとしていて顔も頬が薄くて、少女マンガ的だ。ロックバンド、ザ・ウォールフラワーズというのをやっていて、1996年のアルバム『Bringing Down the Horse』は、600万枚を売った、とウィキペディアに書いてあった。私は全然知らなかった。後でYouTubeで確かめてみよう。

ところで、ジェイコブの本名の苗字もディランなのだろうか? 父親のボブ・ディランは、本名がロバート・アレン・ジマーマンだったが、それをある時期に法律上もボブ・ディランに改名したと何かで読んだことがある。ボブ・ディランは、ジェイコブが生まれる前に改名したのだろうか? 子供が生まれた後から親が改名した場合、子供の苗字はどうなってしまうのだろうか? そんな余計なことを考えながら、『エコー・イン・ザ・キャニオン』を見ていた。

冒頭からトム・ペティがやたらと出てきたけれど、対するジェイコブの態度が、妙に神妙に見えた。子供の頃から知っているおじさんが相手でも、馴れ馴れしくはしないのだという、ある種の行儀に良さというか、しつけが行き届いているというか、そいういう好感が持てる佇まいをしていた。きっと他のゲストにも、ジェイコブは礼儀正しく接して、年長のゲストたちの方も、そのような距離感で、しかし、微笑ましく、ボブ・ディランの息子のジェイコブに接しているのだろうと思った。

②そびえたつキャピトルビル

ローレル・キャニオンを空撮した映像と、街中でジェイコブが車を運転して移動するショットが何度も出てくる。それはなんだか、普通に、ジェイコブのPVみたいに見えた。ジェイコブが乗っている車はオープンカーで、カリフォルニアの街並みには、オープンカーがよく似合っていた。

日本と違って、自動車が走っている道路の風景を見ても、時代がよくわからなかった。現代なのか、古いのか、いまいち、はっきりしないのだ。これが日本だとすぐにわかる。車の形も、建物の形も、短期間で、全面的に入れ替わるので、日本は時代がわかりやすいのだ。

ドライブ中、円筒形の高いビルディングが何度も映される。キャピトル・レコードの本社だ。この映画は、キャピトルレコードの何十周年記念で作られたもののようだった。そんなことを、当時の社長が、映画の中に登場して語っていた。それは、映画とサントラ盤とコンサートの3つがセットになった企画だった。

改めて確認すると、
1つは、1964年から67年に、この地で作られた名曲で、新たにトリビュートアルバムを作ること。
2つ目は、それらの曲を演奏するコンサートをすること。
3つ目は、映画を製作することだ。

1は、全曲、ジェイコブ・ディランがメインボーカルだ。曲によって、ジェイコブと同じ世代の、つまりオリジナル曲の担い手たちの子供の世代のアーチスト達が、主にデュエットという形で参加している。ジェイコブと同じ2世アーチストのノラ・ジョーンズ、シンガー・ソング・ライターのレジーナ・スペクターやキャット・パワー、フォーク・バンドの女性ボーカルであるジェイド・カストリオス、フィオナ・アップル、ベックなどの第一線で活躍するアーチストたちだ。この人たちは、そんなに若くなくて、この映画の制作時点で40代から50代だと思う。そして、オリジナル曲に関わった往年のアーチスト達の何人かが、レコーディングにゲスト参加している。

これはトリビュート・アルバムだが、同時のこの映画のサントラ盤でもあった。

2のコンサートも、レコーディングの時のアーチストたちによって行われていた。レジーナ・スペクターやジェイド・カストリオスの二人の女性シンガーが、生き生きと熱唱していて、とても美しかった。ベックは、自信無げな顔をしていて、人の中にいると不安を感じるタイプの人に見えた。

3の映画は、ジェイコブ・ディランがレポーター役となって、往年のアーチストたちにインタビューをして、当時、ローレル・キャニオンで何が起こっていたのかを、証言として引き出すというものがメインだ。

登場するのは、トム・ペティ、ミシェル・フィリップス、スティーヴン・スティルス、デヴィッド・クロスビー、グラハム・ナッシュ、ジャクソン・ブラウン、ブライアン・ウィルソン、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、ルー・アドラーといった面々だ。

彼らの証言から、バーズと、バッファロー・スプリングスフィールドの功績の大きさがよくわかった。しかし、私は、バーズもバッファロー・スプリングスフィールドもちゃんと聴いたことがない。それでも、欧米のロックの流れが、ある程度、理解できた気がした。

興味深かったのは、以前からよく言われていたことだが、ビートルズとビーチボーイズが相互に影響関係にあったことが当事者たちから語られたことだ。また、パクりと影響の違いについての当人たちの認識や、ドラッグや男女関係に関する証言が面白かった。グループが分裂・解散するときは、音楽性の違いが原因というより、やっぱり男女間のもつれだったりするらしい。

これらの証言映像のほかに、アルバムの録音風景およびコンサートの様子が加わって、一つの映画作品にまとめられている。

③一瞬、映り込むジョン・ライドンの顔!

『ローレル・キャニオン』に比べると、『エコー・イン・ザ・キャニオン』は、ジェイコブ・ディランを売り出すための映画に見えなくもないが、私が一番に感じたことは、やっぱりアメリカの豊かさだった。ローレル・キャニオンは、小さな山々が連なる土地で、家々は斜面に建っている。そしてその庭には、小さいながらプールのある家が多いのだ。わざわざ山の斜面を切り開いて、プールが作られているのだ。途中に何度か、レジーナ・スペクター、ジェイコブ・ディラン、ベック、キャット・パワーの四人が、誰かの家で曲を練習するシーンがあるのだが、平屋の大きな家で、庭には当たり前のようにプールがあるのだった。

途中、どんな流れだったか忘れてしまったが、レコード店の中を映すショットがあって、ほんの一瞬だけ、LPジャケットにあったジョン・ライドンの顔が見えて、私はやった!と声が出そうになった。

エンドロールは、ニール・ヤングが、ギターソロを録音している姿を、ガラス窓越しに撮影した映像だった。録音以外にこの映画に協力していないニール・ヤングのその姿が、どうしようもなくロックに見えた。


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