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人格への配慮を他人に求めるって、何なん?

どうも、ハココと申します

そうなのです! つまりは変な生物なんです!
付属品には「解離性障害」「PTSD」「性被害」「黒歴史」なんてものがあったりします。そう、既にお気づきの方もいるんじゃないでしょうか。ハココってやつは、もうね、いや、本当にね、とにかく、ものすごく、大変に、非常に、恐ろしい程に、愉快で不愉快な、変な奴なんです。

んまあ、解離性障害ってやつになったんですけどね、いやもう、そうね。
インターネット創世記あたりからネット見ていた人間でしてね、メンタルヘルスを取り巻くネットも本当に変わったなあって思いますよ。
メンヘラの扱い方なんかの説明なんて、なかったよねえ。懐かしいねえ。
(笑)がwになり草が生えていくのも見守りました。萌え文化が生まれ、反映しまして、いやもう、某朝の連続テレビ小説にまで侵食していません?
すげえ。いまや一億総オタク時代が来てますか。ははは。

そんな感じに、趣味は読書、空想、ものを書く、描く、です。
ラノベ創世記にラノベデビューしましたが、うっかり純文学が好きになってしまいましたが、まだラノベも読みます。
コマンド入力でないFFなんてプレイできないよお!! アクション操作じゃないからRPGが好きだったのにい……って嘆いてます。
そういう人種ですよ。

はいでは、本題に入りますん。


解離性障害当事者として思っていること


わたし、ハココは解離性障害なのら。ってか、まあ、うん。なんていうかなあ、いろいろあったってことよね、うん。察してなんて言ってないから大丈夫!

でもって「わたしさ、戸籍上の人物じゃないのよお」的認識であるし、主訴も診断も、解離性障害で精神科に通院してまーす(事実ですん)。
そう! 今流行りの、自称解離性障害! わあああああ!(誰もがネットでは自称でしかない)。
これが本物、これは偽物議論は、かなりどーでもいーことだってね。
ネット上じゃね、証明できないし、証明して得られるものって、お前は精神障害者のおっかしい人間っていう視線なわけだしな。

ただ、当事者として、ね……。
解離性障害の、同一性が保たれていないという、人格が複数あったりすることに、その人格ひとりひとりを個人として扱う風潮に、間違ってるよなあって思っちゃうのだよ。
扱ってくれる人には、扱ってもらえばいいと思うけどね。

だって、そもそも、戸籍はひとつしかないんだよ?
ってか、元からいたわけでもないし、同じ体を使っている以上、同一性が保たれていないのは問題でしかなくて、だから障害なわけで。
けど! そのみんなを個人個人として認めてたらね、実際に困ることにしかならないんだって、力説はしないけど、身を持って体験しまして、弁えまして、自制して生きまする。
こんなことでもの書いて、自制だあ? 笑わせんなや! うん、そうねえ。まあ、読んでも読まなくてもええんだし、書かせたってよ。

本当にね、みんなが勝手に行動するのは、違うのよ。駄目なのよ。自分じゃないって主張したってね、チミはその体から出で来られないんだもん。その体の責任ってやつを取るべきだって、思うんよね。わたし自身そうなのよね。

多重人格的症状のことは、否定しないけど、個人の権利を認めて!的な主張には、違和感しかないんよね。それによって困るのは、結局のところ、チミが使っているその体なんだから。

(体がおなごなら)別人格がした性行為での妊娠をしたって、それはチミが使っている体に起こることよ? 問答無用で子宮に生命宿っちゃうのよ?
(体がおのこなら)別人格がした性行為で妊娠させたのも、チミの体よ? 相手の体に生命宿らせちゃったのよ?
別人格だから責任がないなんて、そんなのまかり通るかね?

チミらは人間の無責任がきっと嫌いだよね?
だって、人間たちに苦しめられて、そのトラウマやらなんやらで人格を作るに至ったってのが、現在有力な解釈なわけだからさ。とくに、虐待だとか、そういう責任のない大人のせいで。ときに、いじめだったり、相手のまことにまことにひじょーに勝手な行いで、だよね。

しかしながら「個人だ!」「別人格だ!」「個性を尊重してくれ!」って、その態度はさ、自分がしていることに、自分が傷つけたかもしれない相手のことを全く全然尊重してないと思わない?
まるで、チミたちが嫌いなひとの態度じゃないかにゃ?

「記憶がないから責任取れない」「別人格がしたことだから」「わっちがしたことじゃないいんだもん!」
本人は本気でそう思っているかもしれないし、それを認めてほしいのも、まあ解らなくもない。わしかて昔は思ったこともあるしのう(黒い気配……)。名前だけでも読んでください……って……。
だって、確固たる自分としての個人や個性や性格やら、そういうものが存在するわけだから。チミの中には(わたしの中にも)、完璧にあるんだから。

けどね、体はひとつしかないわけで、その体をみんなで共有しているわけで。

つまりは、認められたくて仕方ない人格の皆さん!
楽しくて愛すべき「ファミリー&フレンドズ」をお持ちのみなさんの楽しい生活は、他人の理解を得られるような、人格たち全員のの協力が必要なんですよ!
幸運にも、意思疎通ができたり、お互いの存在を認識しているなら、節度を持って、協力しなされ!ってことなのよう!

なりたがるみなさまたちにありましては、別人格がいれば、心の中or脳内に友達がいて楽しいとかいうハッピーな想像もあるみたいですが、とても難しいことなのでご注意くださいまし。

辛い現状を、したくない事柄を、肩代わりしてくれるその別人格はですね、もっそい辛いだけなんで、その人格のことを利用して自分はラクをしたいんだよねえってのは、本当に、ただただ、その人格に恨まれることすらあります。その人格が辛くない確証もないんす。すすんで肩代わってくれるとも限らないんす。
それに、あなたが押し付けた嫌な事柄、もしあなたが押し付けられる側だったらどうでしょう?
自ら進んで肩代わりしてくれる都合のいい別人格で、その人格はわたくしにとてもやさしいのでありますしなあんて、いやあ、病気ってそういうものじゃないと思わない?
だって、便利なだけの能力なら、障害とか言わないから。
よーく考えてくだせえ。頼みます。マジで。

解離性障害だって言ったってさ、不便なことがないなら、障害じゃないから。社会的に困ってないなら治療も要らないから。困るから、不便だから、障害であって、治療すべき事柄なんだってこと。

別人格がいることが解離性障害、じゃないんだよね。人格が交代するから、解離性障害じゃないの。それによって、困っていることがあるから、障害になるんだよ。
正直、困ってないなら、そのままでいいと思う。
ほら、体内の臓器が反転してるひともいるじゃん? でも、害とかないらしいじゃん? 必要ない器官がついていても害がないなら放っておくじゃん? 明らかにふつうとは違う状態なのに、そうしておくじゃん。
そういう感じだと思う。
別人格の存在で、困ってないなら、解離性障害としての診断と治療なんて、必要ないのよ。

自称多重人格のみなさん。いやもう、わたしも自称でしかないんだけどさあ、なんていうか、考えが足りてないと思うんよ。

否定しないで! これがわたしたちなの! 障害なの! つらいの! 多重人格がどんなものかあなたたちには分からないでしょ!? これが真実なんだからしょうがないじゃない! みんな生きてるの! 個性があるの! 否定される苦しみ、わからないでしょうが!!!

おお、わからんよ。だって、おいら、お前じゃないし。
そもそも、他人にわかってもらわなきゃ! って、なにをそんなにぷりぷり怒ってらっしゃるのやら。

実際のところね、自分のことを自分のこととして感じて、理解し得るのは、自分だけなんですわ。
多重に人格があってもなくても、おんなじなんだわさ。
なんだかね、理解がないのお辛いのおって騒いでいる心のびょーきの第一党が、解離性障害(多重人格)名乗っている人たちな気がしていてさ、解離罹患当事者として、とっても、恥ずか……いや、うん、残念に思うのだよ。

理解してくれ!って、騒ぎすぎ。それも、なんか、理解のないコメントに噛み付くのも、すんごい嫌。
ああ! 理解しないひとのこと理解しない心の狭さよ!!って感じに。
ネットで発信して、全世界に垂れ流してる自分を、否定されると噛み付く。それが辛いとかほざく。なら、発信すんなや。「理解されない前提で」発信してほしい。
だって、どんなに奇麗事並べて美しく崇高な理念と概念で着飾った多様性の共生社会です、うふふふふって言ったって、現実、差別はありますから。少なくとも、現在は。

ってか、わたしらが生きている間に、差別がなくなることはないと思ってる。ひとは比べるのが大好きなんだもん。優越感って気持ちいし、劣等感だって向上心の素で、そうやって発展していくんじゃないのかなあって、うちは思うねん。

極論なんだけど、誰も理解したくないかもしれないし、理解と肯定がなかなかムズイ、殺人したい気持ちを理解して! 肯定して!って騒ぐのと似てるのよ。まあ、これは違うかなあ。犯罪の動機と行為を理解してもらおうってのとは違うよね。
けど、多重人格の人格を個人として認めるって、別人格の犯した罪は、他の人格に影響ないってことにもつながることになる気がしてさ。それとも、そうなってはじめて自分たちは認められたって思うのかなあ?
いやもう、被害者の気持ち浮かばれないっス。

まあ、法律のことは、よくわからんけどさ。
精神障害だから、罪を償う権利を剥奪されるっていうのも、人間としては悲しいねって、思っちゃったりするんですよね。実際、多くのメンタルにちと問題的なもの抱えた人は、そう思うんじゃないかな。
正直なところ、心理学も、精神医学も、脳科学も、半端にしか知らないんだけどさあ。法律もようわかっとらんのやけどね。

ひとりのひととして、この世界で生きていくなら、他人と違えば生き難いことがあることを、理解する必要があるんじゃないかなって思うんだ。

自分は他人と違うって、理解してほしいって、主張するってことは、自分が他人と違うことを、誰よりも自分がよーく理解してるんだからさ。

自分と理解し得ない人に、ぎゃんぎゃん噛み付くしか出来なくて、理解し得ない人のとことを否定するだけのチミのことを理解したいと思ってくれるひとってそんなにいないんじゃないかなあ。
理解してもらえないなら、理解してほしいなら、チミの方こそ、理解されないことと、理解してもらえないのはどうしてなのかを理解してみる気概を見せてほしいんだな!

できないよ! 現実で精一杯なの! 障害なの!
そんな風に言っている限り、社会には理解されない存在だよ。
問題は、障害じゃなくて、チミの態度だと思うなあ。

まあ、理解してもらえたら素敵かもだけどさあ……。本当の理解って何だろうねって、思うのよ。
配慮がしてもらえればいいのか?ってね。理解されれば、そのままで、自分のこと何にも変えないで生きていこうとするんじゃないのって。どうにか、上手いこと生きていく努力みたいなのを、他人任せにしてさ。結局はさ、個人の問題なのよね。

だって、理解を得られなくったって、自分がそうするしかないなら、そうするしかないんだし、周囲に変わってもらってっていうかさ、もうちっと、自分について、自分がどうすべきか考えるべきじゃないの?って。

統合するだとか、統合しないだとか、はともかくね、共生社会の合理的配慮ってやつにも、人格個人の尊重はまた別な話でしかないと思うから。
だから、人格ひとりひとりへの配慮とか、それって治療と違うんちゃう?って、目指すは単体として行動できる状態じゃないのかなあ。一人の体を複数人で操っていてもそれが単体としての行動をできなきゃ。複数だけど単体なわたくしへの理解と配慮より、複数だけど単体の自分をちゃんと制御しようってね。
なんていうか、そうじゃないと困るよ?ってさ、わしは思うんよ。マジ。

実際、ハココはそれで困ったんでね。いやもう、死にかけたのね。生きてるけどね。マジでさあ、やべえことになったから。


はーい。どうもでしたー!

こんなことをね、日々考えまする、ハココです。
「解離性障害」「PTSD」「性被害」「真っ黒い黒歴史」なんかがハココの一部としてありますが、ほんまに一部なんでね。
でたらめな方言を使ったり、一人称をころころ変えたり、イライラさせる、めちゃくそ変な奴なのは確実です。自覚ありまくりよん。うふん。

止まない雨はない。いやいや、止もうが止むまいが関係ねえ!
いま、たったいま降っているこの雨がもう嫌なの! 耐えられないの!
って思ってましたがねえ、もういまや。
止もうが止むまいがどっちでもいいし。雨が降っていても降ってなくてもマジどっちでも構わないし、どうにしろ生きてくんだわよお!
になれた系の人種なんです。

参考にならないかとも存じます。まあ、そんなもんです。人類みな他人ですから。


最後に、ハココのミニ知識。
物心ついたころに気づきましたが、ハココの視界に映る世界は、少し左に傾いています。眼科で何か言われたこともありません。脳内MRIにも問題ないです。まあ、眼科もMRIも、それで診てもらったわけじゃないんですけどね。
普通のことだったんで、誰にも言ったことなかったのを、ついこの間、主治医に世間話的に言ってみたら、それに気づいていながら困っていないのは珍しいかも、とレア判定されました。
水平なものは左下がり。直角は上に行くほど左に寄っている。そんな世界にいます、ハココです。

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