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男と女は分かり合えるのか(1)~合理主義とお気持ち主義~

ここで話す、男性と女性に、全ての人が当てはまらないことを前提に。

性被害者として男性に対しても発信をする中、どうにも男性からのあたりが強い。
女性専用車両について反対派(廃止を訴える派)に言わせれば、どうやらわたしは性差別の加害者らしい。
性被害という盾で殴りつける加害者、そう言われた。

どうしてそんなことになっている?
論理的な男性?感情的な女性?どうにもそうは思えない。
男は女を馬鹿にし、女は男を軽蔑する。
様々なことで、男女であまりに違う思考の方向性。
体格、体力、腕力、身体機能、それ以上に違う内面がある。
合理性、共感と人間性、重視するものが男女で違うのではないか?

考えれば考えるほど、腹立たしくも面白い。
男女の違いについて、男女の差についての考察。
フェミニズムは、なぜ男性に馬鹿にされるのか?
わたしの個人的な考察を、このマガジンでしてみたい。


男の方が政治家に向いているというのはある種の真理だと思う。
女性は共感の生き物だから、多少の犠牲であっても見捨てることは心苦しくて仕方ない。
それに比べて、男性は合理的な生き物だから、多少の犠牲が生じることや、ときに大勢のために生命を見捨てる選択でも最善策と言うことが可能だ。

心を重視する女性。
数値やデータを重視する男性。
その違いであろう。

「戦争は女の顔をしていない」という書籍があると聞いた(読んだことはない)が、この言葉がまさにそれを表していると感じる。
男性は戦争や紛争をする結論を出すことに、女性より積極的であるように思う。利益のために戦うのだ。
反対に女性は守りたいものがあるときに、その選択しかないとなってようやく戦いを選ぶ。
女性は平和をしたいのだ。誰一人、置いてけぼりにならないようにとして、小さな犠牲に心が痛む。そのことで大勢が救われていても、その犠牲に目がいってしまう。

選択することと責任を負うことに、男性より女性の方が重圧を感じる。
選択には犠牲が付いて回るから。
男性は救われた大勢のため責任を負えるが、女性は責任を負うのなら切り捨てられた少数のために負いたいと考えるのではないだろうか。

ひとの心を思い、女性は見捨てたことを悔いるだろう。
成功の利益が数値化されれば、男性は満足のみに変えられるだろう。

そうして女の臆病と優しさを優柔不断だと男性は嘲笑う。
そんな男の犠牲を厭わない成功に、非道だとして女性は軽蔑する。

性欲から女を取っ替え引っ替えできる男性。
唯一のひとを愛ししたいと思う女性。

そんな違いだろう。

こうした部分は、夫婦のどちらかが難病や癌を発症したときの、妻と夫の行動にも見ることができる。
妻は夫を支えることを選ぶに、そこまでの躊躇はない。
夫は妻との別れを選ぶ傾向が高い。
子供がそれらを発症したときも、父親はその子供共々家族を見捨てる選択を母親より選ぶことが多い。そうして新たな妻と子を得ようとする。

男性は自身のための利益を、感情を排除して求めることが可能。
女性は、自身の利益を、感情を、見えない利益をも含めて考える。

その性差は、まるで人間とコンピューターの違いだと感じる。

アンフェを名乗る男性たちの考え方は非常に合理的だ。非情なほどに合理性を追求する。
そこに必要なのは見える形になった客観的事実。数値化されたデータ。見えない感情を挟まずに、人間にまつわることを考える。

女性の権利を訴える「フェミニズム」の骨子はいわば心にある。
ひとを敬い、ひとりひとりを尊重すること。
客観視された根拠や数値化されたデータをもとに語る思想ではなく、こうであったら良いという理想のようなもの。
つまりは、人権や人間性を語るものだろう。

男性の語る言葉に足りないのは人間性に思う。
反対に、それを重要視している女性には選択をすることが困難にある。
犠牲を強いられた側に心を寄せるあまり、共感性の強さで、重圧に耐えられない。
小さな犠牲であっても、その人生を背負い込むから、責任が重くて仕方ない。
男性はそれを切り捨てることに対して、女性よりドライなのだ。
利益をより重視するなら、そうなるのは納得だ。
が、女性はそこに徹することに向いていない。

合理性と人間性の両立は不可能だろう。
だから2つに分かれているのだろう。

合理主義の男性には馬鹿に見えるフェミニズム(お気持ち)。
心を大切にしたい女性からしたら軽蔑に値する合理性重視の思考の男性。

それのことを元に、補い合えば良いよ思う。
が、男女はお互いにいがみ合っている。
お互いに軽蔑したい部分である相手の得意分野に助けてもらえるなどと考えるのは、男性たちにとっては合理性に欠ける馬鹿げた話で、心を無視した結論を出すこと合理性に女性たちの心は拒否感を示す。

だから男と女は分かり合えない。

そう理解している合理的思考にある男性と話し合ってみたい。
そこに何かの答えがある気がするのだ。

合理的な男性でも人間性に欠けると言われたら、人間であるから否定するだろう。
選択や責任への重圧に女性は耐えられないのではないかと言えば、女性も否定するだろう。
お互いに有能であること相手に認めさせたいのだから、相手にあるものが自分にないと認めるのは嫌に決まっている。

けれど、そんなことで足踏みしていて何になる。

男性よ、合理的に無駄だ。
が、数値化しデータとして見えない人間性に欠けることに根拠はないとして認められないだろう。
女性よ、できるけど負担がありすぎて困難である選択や責任を負うことを、女性は何とかこなせもするから向いていないと言われるのは認めたくないだろう。

男女ともにいがみ合っているから、相手より劣っているとすることは、どうにも先には認めたくない。

それを解決するのは、考えてみたのだけれど、変えるために必要なのは、女性の力に思う。
男性はお気持ちに価値を感じにくい。が、女性はその価値をよく知っている。そして、女性は学問において、その知能が男性に劣っていないことは証明もできているのだし、お互いに認めるために、合理的には無駄である「お気持ち」の価値を男性が受け入れるに足る理由、根拠を、女性が数値化して見せるしかないと思う。

例えば、お気持ちを無視したことでの経済損失等のデータ化をするとこだ。
お気持ちを重視した選択で得られる利益を数値化しデータ化し見せること。

合理性の男性はお気持ちの価値を理解しない。
それはお気持ちの価値を知っている女性が、理数系に弱いわけでもないし、学問の中では犠牲とするものなく男女平等に能力はある(学問の外での生活等の犠牲はあるが)、その女性がその有能さでもって、お気持ちの価値を数値化したデータにするしかない。

男性がフェミニズムを馬鹿にするのはお気持ちの価値が理解できないからに他ならない。
お気持ちの価値を思想として唱えたところで、合理性にしか価値を感じない男性は一生理解しない。
伝えたいことは相手に伝わるように話して差し上げるしかない。
男女平等クソくらえという男性に、その価値を理解させることは、非常に難しい。
合理的に男性が思う平等と、心を重視して女性が考えた平等には、差がありすぎる。
差を埋めるに、男性からの歩み寄りを期待するのは難しい。フェミニズムは合理的にあり得ないものであるからだ。

女性よ、男性はお気持ちを馬鹿にする生き物だ。お気持ちの価値なんて、その思想を説いたところで伝わらない。
男性の人間性を信じたい気持ちはわかるが、男性はその人間性に少々疎い。
そのことを認めがたいこともわかる。なぜならひととして尊重したいと考える女性は、男性もそういう部分があると思っているのだから。しかし、実際には違うかもしれないのだ。
そんな男性がいることは事実。そんな男性にこそ理解してもらうべきフェミニズム的な、男女平等の思想は伝わらないかもしれないことを、一度飲み込むしかない。

そして、そのためのデータ化に、わたしは全く協力できない。
なぜなら、わたしはトラウマ由来の精神疾患で、自分の治療で生活で精一杯だからだ!

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