見出し画像

「トランスジェンダー」と「女性スペース」についてを「性被害者として」考える

女性スペースは身体が女性であるひとの避難所である


「トランスジェンダー」「性同一性障害」そして「オートガイネフィリア」の定義と「性的適合手術」について(Wikipediaより)

「トランスジェンダー」とは、性同一性や性表現が、出生時に割り当てられた性別と一致しない人を指す包括的な用語である[11][16]。「トランスジェンダー女性(トランス女性)」は、女性の性同一性をもち出生時に医師により男性と割り当てられた人、「トランスジェンダー男性(トランス男性)」は、男性の性同一性をもち出生時に医師により女性と割り当てられた人を指す[1][17]。「MtF(Male to Femaleの略)」や「FtM(Female ​to Maleの略)」という言葉も使われていることはあるが、「トランスジェンダー女性」や「トランスジェンダー男性」の方がより望ましい表現とされる[18]。ただし、本人が呼ばれたい呼称を使用するのが大前提であるので、本人が「MtF」や「FtM」という呼び名を希望し、「トランス女性」や「トランス男性」と呼ばれることを望まないのであれば、強要すべきではない。性同一性が男女のどちらでもない人はXジェンダーやノンバイナリーといった用語を使う場合もある。「トランスジェンダー」は形容詞であるため、通常は人を形容する言葉として、「トランスジェンダーの人」「トランスジェンダー女性(トランスジェンダー男性)」「トランス女性(トランス男性)」などと、人を指す名詞と併用して使われる[19][20]。

性同一性障害(現在は性別不合という用語に移り変わりつつある。#性別不合(性同一性障害・性別違和・性転換症)を参照)という疾患名として医学で使われる言葉もある[21]。トランスジェンダーに性同一性障害の人々も含まれるが、その用語の成り立ちや当事者の使用感覚の観点からも「トランスジェンダー = 性同一性障害」ではない[22][23][24]。また、自分を性同一性障害者と呼ばれることを嫌ったり、「自分は性同一性障害の立場を取らない」とするトランスジェンダーの人もいるので、特に注意が必要である。トランスジェンダーの人の中にはジェンダー・ディスフォリア(性別違和)を感じる人も多く、違和を解消するためにホルモン補充療法や、性別適合手術、心理療法 を行う場合やトランス女性の例では美容整形や医療脱毛・声帯手術・喉頭隆起切除術などの医学的な措置を用いて外見をより女性に似せる件がある[7]。このような措置を望まない、もしくは必要としない人もいれば、金銭的、医学的、制度的な理由で選択できない場合もある。

トランスジェンダーであることは、その人のセクシュアリティ(性的指向)とは独立した概念である[31]。すなわち、異性愛、同性愛、バイセクシュアル、アセクシュアルなどを含む多様なセクシュアリティを持つトランスジェンダーの人がいる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC
Wikipedia「トランスジェンダー」より抜粋

「性同一性障害(せいどういつせいしょうがい)・性転換症 (せいてんかんしょう)・性別違和(せいべついわ)・性別不合(せいべつふごう)は、『出生時に割り当てられた性別とは異なる性の自己意識を持ち、自らの身体的性別に持続的な違和感を覚える状態』をいう医学的な診断名および状態像。自己意識に一致する反対の性別を求め、時には自らの身体的性別を自己意識のそれに近づけるべく2004年に日本で施行された性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律に基づき性ホルモン治療を含む診療行為や性別適合手術などを受けて戸籍変更や名義変更を望む状態を主に言う。やや簡潔に『性同一性(心の性)と身体的性別(生物学的の性別、解剖学的性別)が一致しない状態[1]』とも説明される。アメリカ精神医学会のDSM-5では性別違和、WHOのICD-11では性別不合と呼称されるようになった。

性同一性障害の者は、性同一性障害者当事者もくしはgender identity disorder当事者(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダーとうじしゃ)と呼ばれ、略称はGID当事者(ジーアイディーとうじしゃ)などと呼ばれる。また診断名などとは別に、身体的性別と異なる性同一性をもち、性別適合手術を希望して予定している者、特に手術済みトランスジェンダーの者をトランスセクシャル(TS)と呼ぶ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E5%90%8C%E4%B8%80%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3
Wikipedia「性同一性障害」より抜粋

「オートガイネフィリア(英語: Autogynephilia)とは、レイ・ブランチャード(英語版)が性転換症の分類において定義した用語であり、男性が、自身を女性だと想像すること、または、女装行為自体、女装中に「女性」として男性と肉体関係を持つこと、そして、これらのような各種「女性化」によって性的興奮する性的嗜好。性的倒錯の一種。日本語では自己女性化性愛症自己女性化偏愛性倒錯症。略称AG。女装している自身を想像だけで満足する者から、実際に女装して男性と性的行為に及ぶ者まで差がある[5]。 

自身の女性化(女性装や性適合手術)に性的興奮を覚えない性的違和当事者(トランスセクシャル女性、TS女性)とは異なる。当事者も、自身がどちらであるか混同することが多い[3][5]。そのため、精神医学においては、医師が注意深く識別すべき精神医学的概念とされる[6]。性欲由来要素が強くて性適合手術での性欲低下後に後悔するケース、性適合手術を究極系女性化として満足してなじむケースに分かれる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%8D%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2
Wikipedia「オートガイネフィリア」より抜粋

「性別適合手術(せいべつてきごうしゅじゅつ)とは、社会的性別移行の他に、身体的性別移行をも望む性同一性を持つ性同一性障害者(トランスセクシャル)に対し、身体的性別移行を行う外科的手術。主に外科的手法により内外性器に関する手術を指し、英語の"Gender-affirming surgery "(GAS)または“Sex Reassignment Surgery” (SRS) の訳語。この英語を直訳した性別再割り当て手術性別再割当手術)、性転換手術などの名称もある。日本のGID(性同一性障害)学会、日本精神神経学会では「性別適合手術」を正式な名称として用いている。

性同一性障害を抱えるのうち、身体的性別移行を望む者に対し、内外性器を他の性別の特徴に類似した形態を得ることを目的とする。女性から男性への手術(英語版) (Female to Male SRS; FTM SRS)、男性から女性への手術(英語版) (Male to Female SRS; MTF SRS) に分類される。

FTM SRS では、子宮卵巣摘出術、膣粘膜切除・膣閉鎖術、尿道延長術、陰茎形成術がある。MTF SRS では、精巣摘出術、陰茎切除術、造膣術(英語版)、陰核形成術、外陰部形成術がある。

内性器を切除するなど生殖能力を永久的に失わせる不可逆的な外科手術で、本人の意志に基づくものである。他の性別としての新たな生殖機能も得られない。この手術を受ける者の多くは、すでに性ホルモンの摂取(ホルモン補充療法; HRT)、豊胸術、乳房切除手術などにより、自己の性別としての外観を得、そしてその性別としての実生活をしており、その過程で既に生殖能力をホルモン補充療法などによって不可逆に生殖能力を永久的に失っている場合もある。日本精神神経学会のガイドラインでは手術前に性ホルモンの投与や、新しい性別での実生活経験(英語版) (real life experience; RLE) をおこなうことを重要視しており、これを条件にしている病院も多い。

性別適合手術は、揺るぎのない人格としての性同一性に沿うように、そして身体的性別が本人の同一性に与える苦痛を緩和するため内外性器の外観を調整する手術と考えることができる。国際的な組織であるハリーベンジャミン国際性別違和協会(現・世界トランスジェンダー健康専門協会(英語版))の「性同一性障害の治療とケアに関する基準 (第6版)」においては、『性別適合にかかる手術は実験的でも、研究的でも、美容整形でも選択的でもなく、性転換指向(transsexualism) あるいは重度の性同一性障害の治療として極めて有効で効果的である』と記されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E5%88%A5%E9%81%A9%E5%90%88%E6%89%8B%E8%A1%93
Wikipedia「性別適合手術」より抜粋

わたしはこう思って理解しようとしていた

わたしは女性スペースについて考えることは自分を守ること、自分の生活に直結することだったので、関心が高い。
女性専用車両というひとつの箱を憎々しく思う男性と二日に渡って反論し合ったことも有る。
でも、どうやら最近、トランス女性という自称彼女たちに脅威を感じている。

下記は今日Twitter(現X)に投稿した内容に補足を加えたものだ。

「トランスジェンダー」または「性同一性障害」の、性的役割や自身の身体に対する嫌悪なら、わたしにもある。
男性的な服も好きだし、その自分はそのままに好きだし違和を覚えたことなどない。
でも男性器がほしいなんて思わない。ただ女性器を持っていることによろこびなどもない。

ただそれ(男性器)を手に入れたら、もし性暴力に苦しむひとたちの声を届けることに易くなるならぜひとも欲しい。そんな思いならある。
自分としてはそんなものは欲しくもないし、使いたい気持ちもない。
でもそれさえあれば、男性の立場からモノが言えるとなるなら、むしろ欲しいと思うこともある。

それでも
手に入れたとて男にはならない。
失くしたとて女ではなくならない。

精神科医療の薬物療法のように、性別適合手術は対処療法と大きく違わないと感じる。
男性の生殖ができるようにも、女性として妊娠出産もないし、生理すら起こらないもの。
見た目のみのその張りぼてを手に入れることは、語弊や誤解を恐れることなく言うと、投薬によって気分の安定を図り続ける、死ぬまでその服薬を続けるのと変わらないように感じる(当事者にとっては絶大な効果であることも似ていると感じる)。

根本にあるのは、性別で社会での「何か」が「様々に」違うことだろうに。
その嫌悪の正体ではないのか?
その、男または女の性器でない自分を受け入れられない、反対の性の性器こそが自分に相応しいと思うことが、性別の違和だと、わたしは信じていた。

排尿の仕方。性交の際にすること。入れる/迎える(入れられる)であること。
または、射精する身体なのか、それを受けて妊娠出産となり得る身体なのか。
トランスジェンダーの苦悩は、それらへの違和感だと、ずっと思っていた。
それが自身の性への違和や嫌悪だと信じていた。
自分の性器の形や役割が嫌悪でしかない。
反対の役割の性器が欲しくてたまらない。
それでない自分なんて認められもしない!

トランスジェンダーの苦悩はそれと信じていた。
けれど、彼ら彼女らは、社会的な性別の概念への違和感で、その通りに周囲に扱ってもらいたいと言っているらしいと。
性同一性障害ではない。性別への違和ではない。
じゃあ、どうその苦しみを理解すればいいのだ?

誰か、当事者の方に説明してほしい。

その苦しみは相当だと思っていたのに、どうやらわたしの理解こそが全く違うらしい。
どうにも想像でしかなく、傲慢な理解をしていたらしい。
勝手な自分の理解から、そうであればどんなに辛いだろうか、そう信じていて心を寄せていたのに、当事者たちが手術はしたくないと言っていて混乱してしまった。
「希望はあるができない」ではなく「したくない」ならその身体を受け入れられていると感じてしまうし、わたしと同じようなものに思ってしまう。

その男性の身体のままに堂々と女湯に入れることを希望するのは理解できない。
女性として理解できないわたしは生まれてこの方女性であるのに、自認している女性たちがそうしたい、または「そうした!バレなかった!」と喜び勇んで投稿して、女湯の女性たちの身体を投稿していることのどこが女性なのだ?
ただの女体への興味しかないじゃないか。
女性が女湯の光景を、女性たちの身体や行動を投稿するなんて、それが自称彼女らの普通なのか?
その上、女性の身体のままに男湯に入りたい!は一切聞かない。
当事者の中に、身体に違和あるままにそんなことは希望しない!と話すひとの声は大きくならないのは、なぜなのか?誰か教えてくれ。

当事者が見えてこない

本当に当事者の声が知りたい。
女性スペースは、女性であることの証明のために在る場所ではない。
女性たちの避難場所だ。

女性器を持っていることによる危険から身を守る為の場所である。
わたしはそう理解している。

ジェンダーレストイレに女性たちから反感が集まったのは、その避難場所がなくなったからだ。

女性専用車両という箱に乗りたい女性は、痴漢に遭うことがない安心が欲しい女性たちや、かつての男性からの性被害により男性恐怖に陥り電車に乗れない女性たちにとっては希望の箱。それがないと生活が困難になるほどのものを抱えている女性のためのもの。

間違っても女性だという証明のための場所ではない。

わたしは身体が男性によるヒトから、男性器の挿入などの性被害によって、男性に恐怖するようになった。
身体が男性であり男性器を持っているなら、加害する意志が皆無でも警戒する。
オートガイネフィリアも恐怖の対象でしかなく、女性として扱うなんて、無理です。

トランスレズビアンなんてひともいるらしいが、レズビアンさんは大抵身体が女性である女性を愛するひとたちだし、心が女性であるだけでは性愛対象にない。

自認の性別には、身体なんて関係ない!という風潮が、声の大きなトランスジェンダー及びアライたちによって広まって、それに異を唱えれば「差別だ!」「ヘイトだ!」と言う攻撃を受ける。

どんなに苦しんできたのかわたしは知らない。
でも相手の苦しみを無視することは正義なのか?
お互いに歩み寄るどころか、自分の苦しみを解消しろ!としか言わないあなたは何様なのだ?

わたしは性被害者です。身体男性から受けた被害により、身体男性に、その身体や思考に嫌悪があります。

だから、女性スペースに身体男性が入ることが許されるなら、わたしは女性スペースに安心もなくなります。
避難所だった場所なのに。
あなた方にそれを奪われてしまう。

そんな性被害者の女性の声は「トランス差別」「トランスヘイト」と呼ばれるのですか?

あなたたち自認女性の主張は、性被害者の女性たちにとっては「二次加害」「セカンドレイプ」的なものに思うし、多くの女性の権利や人権を無視しています。

あなたにとって譲れないものがあるでしょう。
わたしにも譲れないものがあります。
それを一方的に「差別」「ヘイト」と決めつけて発言できる、あなたたちが本当に羨ましい。

トランス女性として苦しむ方たちは、どうやら性被害によるPTSDに苦しむ患者のことをどうでもいいと考えるらしいと、絶望です。

理解したいと考えて、苦しい気持ちがあるのならと、心が同じ女性なら、そう思ってネット上で記事や投稿を探しても、声の大きな、拡散力の強いものは、身体は男性のままに女性になりたい方のものが多く見つかる。

けれど、女性を思いやり、女性の心を理解しようという言動や行動のトランス女性も方もたくさんいる。

一枚岩でもないのに、身体男性で女性スペースを使いたいトランス女性たちの声ばかりがメディアにもアライの主張にも、重要視され取り上げられることに、危惧しています。

一部の当事者たちが騒ぎ立て、多くの当事者は置き去りになっていませんか?

性被害者たちも、一部の当事者だけが声を発信している。本当にほんの一部だ。
被害後にいのちを絶ったひとがどれだけいるのか、カウントすらされない被害者たち。

わたしは、トランス女性たちに「女性差別」をされていると「女性蔑視」を向けられていると感じます。

わたしたちの人権なんてどうでもいいのでしょうか?

同じように社会に苦しめられてきた存在なのに、敵でしかないですね。
本当に悲しいです。

そもそも「差別」「ヘイト」が広まった原因は、自称自認女性のせいなんですけれども、彼らをどうにもできないのか?

「トランス女性」を名乗る身体男性の中に「オートガイネフィリア」的な思考のひとがいるだろうこと、それらをきっと明かさないだろうことが、最も不安なのです。

性的嗜好は女性であるままに、自認女性と自称して、身体は男性のままに女性に性交を迫る、思考も何もかもが男性でしかないひとが、自認を自称できてしまうこと、こっそりと含まれていることが、世界中で明らかになっているから、余計に女性たちは不安になります。

性被害者たちも、痴漢被害に対して「冤罪」でないことを証明しろ!と言うような風潮です。
どうして苦しんでいる立場にあるのに、迷惑行為をするひと、自称して自分たちの邪魔にしかならないひとからの「害」まで、わたしたちがなくす努力をしなきゃいけないんでしょう。本当に同じような状況なのに、どうして「敵」になっているのでしょうね。

どうか、論破していただきたく存じます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?