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「ひとつの箱を守りたい」女性専用車両は女性への性差別と性暴力を軽視した社会の象徴

女性専用車両を擁護すれば叩かれる社会


女性専用車両は、女性に男性から性暴力被害が多く発生している状況を重く見た鉄道会社が導入したもので、一部の男性から「男性への性差別の象徴だ」と言われている。

「男性も乗れることを周知して形骸化すべき実質的な憲法違反である」
「女性を優遇している悪しきもの」
「男性は女性と同じ料金を払っているのに、一両に乗ることをしない協力を強いられている。同じサービスを受けられないなんて不平等」
「無関係で性加害もしない無辜の男性である自分がその協力をしなければならない理由はない」

主にこんな主張なのだけれども、それを主張するのは「インセル」と呼ばれる女性を敵視した男性たちや「ミグタウ(MGTOW/ Men Going Their Own Way)」という自身の道を行く男達として女性とも社会との決別を決めたとする男性たちだ。
どちらも女性蔑視でミソジニーに生きている人たちだ。

けれども、女性専用車両は、女のわがままで出来たのではなく、男性から女性への性加害の多さと深刻さが作ったものです。
無辜の男性が女性専用車両に乗らない協力をする(性差別的扱いを受ける)ハメになったのは、その性加害を行う犯罪者のせいです。

ちなみに、この男性たちの主張の最後には「女性が犯罪者に性加害を受けることなんてどうでもいい。自身の不当な差別さえ無くなれば良い」になる。

話し合いで理解を求めようと何度か挑んでは落ち込むを繰り返しましたが、相互理解は無理なのかもしれないと、思いはじめました……。

女性専用車両について、今回は話したい。
わたしの命を繋げてくれた箱なのです。

女性専用車両は男性差別で不当なものか?

男性ってさ、女性専用車両をどうしてそんなに目の敵にするのかな?
一箱に乗れないことに目くじら立てて、ちっさ!って思う
それに、女性のわがままで、女性に性差別されたわけでもなく、男性の性加害者のせいで、全ての男性が被った被害ですよね?
なんで女が叩かれなあかんの?

Twitter(現X)ハココ@WLTOSより

この投稿に、インセルとミグタウの男性からバッシングともいえるような、そしてセカンドレイプと言える発言をガンガン浴びせられました。

性暴力の深刻さを知っている性被害者のわたしは、男性が女性からの性暴力で被害を受けないための、女性恐怖の男性が安心できる男性専用車両にも大賛成である。
女性に対する性差別的扱いの側面をその車両が持っているなんて小さなことは全く気にならない。
一部の男性が安心して乗れる男性専用の車両を一箱、ぜひ導入してほしい。

これには女性蔑視の男性から不思議な答えを頂ける。
「差別に差別で返すなんて俺はしたくない。性差別は辛いから。差別に対して差別を増やす解決なんてダメだ」
「性暴力を軽視するなと、性暴力の深刻さを知らないと俺に言ってくるくせに、性差別を知らないお前が自分は性差別を軽視していないと言ってくるのは矛盾だろ」
常に性差別に晒されている女性に大真面目にそう言ってくるから、どうしたものかと思う。


自衛しろ!と言われるも、自衛すると怒られる


男性から見ても、性加害する男性と性加害しない男性は見分けがつかない。
こう発言した男性はその発言の意味をよくわかっていないようだった。

見分けがつかない。つまり、自衛するなら全男性に対してしなければならないはずだ。
男性から見ても性加害するかしないかの見分けがつかないなら、当然に女性が自衛すべき相手の見分けもつかないので、すべての男性に対して自衛全開でも怒られるいわれもないはず……。

わたしはそう思うのだけれども、男性にとって性犯罪者予備軍扱いが、余程屈辱的らしい。
自分は無関係!と声高に唱えるのも、そこから来るのかもしえない。

けれどもし、その男性たちが「無関係なんだから巻き込まれたくない……」ではなくて、電車内でもいつでも常に「性暴力を許さない!」という空気を作り出してくれていたら。
そんな風にないものねだりをしてみたりする。
性暴力を軽視しているこの日本社会で、それはなかなか望めない。

女性が男性からの性加害を受けやすいことは、性差別である

インセルやミグタウの男性たちは「女性専用車両に乗らない協力を強いられているのは性差別」であり、それも「女からの加害行為」としたいらしい。
女性蔑視の男性たちはどうしても「その扱いを強いたのが性加害をした男性であるとは絶対に認めない」のはどうしてだろうか。
「それは原因の一つにすぎない。現に性差別の加害行為をしているのは女だ!」
何も言い返せないほどの強固な女性蔑視だと感じた。

男性の性差別とは一体どれほどの苦痛なのだろう?(ハココはよくわからんのだ)

わたしはどうにも納得できない。

「差別行為であってもときに不当に当たらないこともある」とわたしは思う。

たとえば、
「優先席があることは健常者差別」だと感じるか?
「妊婦や体調不良と思しき人、お年寄りに席を譲る行為は不当」だと感じるか?
それには否と言う人がほとんどだ。

それと同じように、女性専用車両を考えられないのはどうしてなのか?
これへの返答は「男性には一生メリットが無いから」だった。
冤罪被害も減るんじゃない?と言ったところで、冤罪を作る女が悪いのに俺が差別されるいわれはない、とのこと。

反論に反論を繰り返していたけれども、それを崩すことは無理なほどに強固な女性蔑視で、反論するのも馬鹿馬鹿しくなった。
生意気な女には鉄槌を。そんな女への支配欲と加害欲だと感じたから。

女性専用車両は廃止すべきだの理由は男性に対する差別だからである。
が、廃止することによって、性暴力に悩む女性たちは、更にその困難を増すことになる。
当然なことだが、人はみな「犯罪に遭わないで暮らすことが保証されている」べきで、「犯罪に遭わない=人権侵害をされないで生きる権利」がある。

性暴力を放置することは重大な女性の人権侵害に当たるが、インセルもミグタウもそんなことはどうでもいいのだ。
通りで話が通じないはずだった。

これを女性専用車両廃止論者の男性は、性暴力は自分に無関係として、自身の性差別のみの解決を求めている。
自身への人権侵害のみを是正すべきであるとして、自分の利益のみを重要だとする自己中心的な考え方をして、正当だと言って憚らない。
利己的な思考。
社会の一員という自覚が欠けているとも取れる言動に思う。

わたしがこの女性専用車両廃止論者に反論し返す行為は、ある種の自傷行為で、ミソジニーに痛めつけられるべきという心理からだと思う。
加害欲、支配欲に立ち向かい、抗って、それを打ち砕いて見せたい。
トラウマ反応なのだと思う。トラウマの再演でもあるのかもしれない。

性被害のトラウマって他人から見たら意味不明なものもあるのです

ときに聞きたいのだけれども。

性差別として騒ぐ男性、性暴力の被害者に大袈裟だと嘲る男性、女性が全ての男性に警戒することが不愉快な男性は「自宅のドアや窓に鍵を掛けますか?」

性被害者は人口の数%なのに全ての男性に警戒するなんてと嘲笑する男性、大袈裟だと言う男性、自分は性加害をしないのに!と怒る男性は、自宅に鍵を掛ける行為に対して「自分は強盗犯・窃盗犯・空き巣犯・無断侵入の犯罪者じゃない!」「無関係の人間を犯罪者予備軍扱いするな!」と言いますか?

窃盗犯も強盗犯も空き巣犯も無断で侵入する犯罪者も人口数%、それに備える人を馬鹿だ大袈裟だと言いますか?
そうしている人がいたら不愉快だと感じますか?

たとえば、小学校ではこう教えられる。
「いじめを見て見ぬふりをすることはいじめに加担する行為です」
「傍観することもいじめです」
そうやって、いじめはダメだと教えるとき、傍観者の加害性を教える。
関係ないから無関係って姿勢でいることも、加害行為に該当する。

小学生にそう教える中で、多くの(一部の?)成人男性は、「性暴力(性犯罪)に対して、関係ないことを関係ないから関係ないと言って何が悪い」と開き直る。
関係性を説いてみてもバカ女と蔑む始末。

性暴力に対して無関係の姿勢を貫く男性は「性暴力の補完勢力である」のに、いじめはダメとどの口で言うのだろう?
加害者だけに駄目だと言えば解決すると本気で思っているのだろうか?
「いじめの傍観者には加害性がある」と説くことを小学生にしているのに、「性暴力に対して自分は無関係だという姿勢を貫く」成人男性の態度は、矛盾ではないのか?
大人として、子供たちにそれこそが正しい姿だと言いたいのだろうか?


はじめてTwitterで女性専用車両の話をしたときのこと

わたしが性被害後に治療での精神科への通院が電車でしかできなくて、そのときに男性恐怖でも、女性専用車両であれば乗れたことに、感謝する思いと共に「このままその箱をひとつ、そんな女性のためにください。どうか協力をお願いします」そう投稿をしたとき。

「お前の性被害は自分には関係ない」
「すべての性犯罪に自分は関係ない」
「お前は性差別という加害を男性にしている」
「謝れば許されることでもない。感謝でチャラにもならない」
「同じ賃料を払っていながら、自分たちには乗れない箱が一両あるなんて不平等だ」
「自分は関係ないから、性差別の加害者に、誰かからの性被害者だからといって配慮はしない」
「自分たちは、お前たちに感謝という形で、性被害という盾で、性差別という加害行為で、殴られているんだ」

そう返って来た。

女性専用車両を良く思わない男性は多いことはわかる。
YouTubeに投稿されている、女性専用車両に男性である自分が乗り込む動画を投稿している人物もいる。
そのときに女性から注意されること、駅員に協力を求められること、その不当な扱いへの抗議としての動画なのだろう。

でも、わたしはあの箱が一つあったことで命を救われたから、そんな女性はこの先にも絶対に現れてしまうから、その箱を守りたい、そう思う。

でも、そのときはさすがにぺこんと凹みそうだった。
わたしの境遇とか男性に性加害を受けたことのトラウマとか、本当に何にも感じないで、わたしを性差別の加害者だって言い切るのんだな、と。

ちなみに。
「性被害で男性恐怖ならタクシー乗れ。代金は加害者に払わせろ」
そう、たとえ裁判で勝っても、無理なこと提案される。
被害届を出してもいない、出せる状況にも無かったのだと言えば。
「被害届も出していないなら、加害事実は無いということだ」そう言われる。

うおう!ってなった。
出せなかったし、裁判で勝ったとしても、通院のタクシー代も治療費も、生活費ももらえるものじゃない。賄えるだけもらえもしない。
それが可能と思っているなら、たぶん犯罪被害者全般が抱える困難を何にも知らないんだろうなと思う。
性被害だけではなく、犯罪被害そのものを軽視しているんだろう。

性被害の軽視と言うより、社会に不満が募りすぎている。
現実が上手くいかないことからの不満。
炎上させることも、誹謗中傷も、馬鹿にして嘲笑したり、現実ではできない大柄な態度と口調も、一種の娯楽なんだろう。
みんな生意気な女を叩いてぶっ潰そう!
現実では不可能な見下しのし放題。馬鹿にし放題、嘲り放題。
誰かを叩いてストレス発散しなきゃならないような社会なのだ。

それが女性に相手をされないことの不満であれば、まだかわいい。
けれども、蔑視して、見下して、嘲るだけの、劣った女の価値は「穴」で、女はモノであるべきという考えであるなら、おぞましい。

最悪だなって思う。

女からしか産まれられなかった、産んでいただかないと存在できなかったとか。女を支配することで承認欲求を満たしたり、女に性欲処理して頂いている分際で。無能扱いの女を黙らせられもしないじゃあないか。
そうやって、わたしの方も挑発に乗ってしまいたくもなる。

けれども、そうしたら意味がない。

「女性差別」と「女性蔑視」と「性暴力を軽視する社会の象徴」の女性専用車両


どうしたって、女性専用車両は必要だ。
とりわけ、この性被害を軽視する日本社会では。

海外では、被害者が逃げなければいけない、非難する形の女性専用車両を批判する意見もある。

男性が性差別を受けている象徴だと主張する男性もいたが、違う。

女性が性加害を受けやすく、性暴力が野放しになっているかのような警察や司法と社会の性暴力の軽視が、集約されたものだ。

女性差別の象徴として、あの女性専用車両は存在している。

女性専用車両に対する記事の紹介

最後に女性専用車両について、女性蔑視の男性には詭弁だと嘲笑された記事を二つ紹介する。


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