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小説|コーヒー好きの海賊


はじめに

 以前pixivへ載せていたものに加筆修正をし、こちらへ再載することにしました。
 7,040文字という、それなりの文字数となっており、一抹の不安がありますが、最後まで読んでくださると嬉しいです。

あらすじ

海賊船の船長になることを夢見る女の子、七海(ななみ)は母親が飲むコーヒーの香りが大好きだった。ある日、いつも登っている木の上に、人の姿を見つける。それは異国からの転校生だった。ミルクココアのような優しい出会いが、時を経てコーヒーの苦さを楽しめるような大人へと成長する物語。 

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『コーヒー好きの海賊』

 小学三年生になる七海は、海賊船の船長になることが将来の夢だった。
 校舎や校庭を海賊船に見立て、船長になったつもりで海賊ごっこをするのだ。教室のベランダの柵に寄りかかればそこは船べりに、木の上に登ればそこは見張り台に、朝礼台の上で一輪車を逆さにして立てばそこは操舵席になった。

 ――そう、わたしは海賊。欲しいものは手の内に。

 海賊にあこがれるきっかけとなったのは、図書室で借りてきた一冊の本だった。海賊船の船長が、船に勇敢な仲間と宝物を乗せて、海を渡って冒険をする物語だった。
 
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 七海は学校から家に帰ると、手洗いうがいをきちんと済ませてから、まっさきに自分の部屋へと向かった。ランドセルを学習机の上に放り投げて、ベッドの下へ小さな体を潜り込ませる。蛍光灯の明かりが遮られたこの空間は、七海にとっては狭い洞穴だ。ほふく前進をして奥までゆくと、ある物を手に掴んで地上へと出る。
 ベッドの下から引っ張り出したのは、丸型の缶だ。ふたには有名な船の形をした横浜銘菓の名前が、側面には白地に赤と青のトリコロールのチェック柄が印刷されている。空き缶となってからは、七海の宝箱になった。缶のふたを開けて、中にしまってある宝物を眺めるのが日課でになっていた。
 ツルツルとした石、ひびが入って万華鏡みたいに色が変わるビー玉、季節を閉じ込めたような鮮やかな橙色をした落ち葉、面白い形のかさを付けたドングリ、友達と作ったビーズアクセサリー――。
 これまでに集めた宝物はたくさんあった。
 そんな七海には、密かに宝物にしたい物がある。
 一階のキッチンから立ち上ってくる魅惑の香り。七海は鼻をクンクンさせて部屋を出ると、階段を下りていった。


 母親が食卓の椅子に座って、コーヒーを飲んでいるところだった。しょっぱい系と甘い系のお菓子がバランスよく用意されている。これから、おやつの時間だ。
 母親の向かいの椅子に座る。目の前のマグカップの中身はミルクココアだった。わざわざ、ココアパウダーと牛乳と砂糖、それらを手鍋に入れて、じっくりと火にかけて作った母のミルクココアは絶品である。
 しかし、七海は口をとがらせる。
 「ねえ、わたしもコーヒーが飲みたい」
 「まだ早いって。前に一口飲んだけど、苦かったでしょ? 飲みきれないから淹れません」
 コーヒーは大人の飲み物なのだと教わってきた。飲むと夜になっても目が冴えて眠れなくなってしまうので、子供は飲んではいけない。
 だけど七海は、駄目だと言われると余計に気になってしまうのだった。いつものように母親が、美味しそうにコーヒーを飲んでいるものだから、尚更だった。
 七海の母はインスタントのコーヒーではなく、近所の専門店で焙煎したてのコーヒー豆を買ってくる。それを飲むたびにコーヒーミルで粉にしてから、ペーパードリップで淹れている。
 彼女によるとコーヒーというのは、味も淹れ方も、奥が深いものらしく、やけに詳しそうにこんなことを言うのだ。
 「コーヒーの味を決めるのは豆の鮮度よね。豆の種類はよくわからないんだけど、煎りたての豆で淹れたコーヒーはとてもおいしいわ。お湯を注ぐと挽いたコーヒー豆がふんわりと泡立つのが新鮮な証拠よ」
 コーヒーの良さや違いがわかる。それが大人なのだろうか。
 七海は、コーヒーは苦くて飲めなかったが、その香りは堪らなく好きだった。だが、あの小さな缶の中に、コーヒーの香りは宝物と一緒に入れることはできなかった。
 だから、いつか船長になったら、世界中で集めたおいしいコーヒー豆をいっぱい船に乗せるつもりだ。もちろん船には焙煎機を積んで、いつでも新鮮なコーヒーを淹れられるようにする。


 次の日の放課後も、七海はいつもそうしているように、校庭の片隅にある木の上へ登ろうとした。七海にとってその木は海賊船の見張り台だったのだが、根もとから見上げると人の姿が見えた。体の大きさからして、七海と同じ、子供だろう。
 これは、七海にとって非常事態だった。何者かによって船が乗っ取られようとしているではないか。
 急いで木を登る。すると七海の気配に気が付いて、木の上から言葉が降ってくる。
 それでもお構いなしに、七海はするすると登った。
 木のてっぺん付近の枝に、七海の単眼鏡が紐でくくりつけられている。その単眼鏡を覗いて、何者かは遠くを眺めていた。
 それを見て七海は、こいつは敵だなと判断した。
 「ここはわたしの場所だよ。ほら、その単眼鏡、わたしのだから返して」
 枝を足場にして、幹を支えに立ち上がる。近くで見上げてみて、やっと七海はその相手が外国人でることに気が付いた。思えば先ほど上から聞こえてきた声は、日本語ではなかったかもしれない。
 「あっ!」七海は声を上げた。「怪我してるじゃん。ここと、あとここも」
 顔を見れば、頬の一部が赤くなり少し腫れている。膝にはかすり傷、脛には青あざまであった。
 「保健室に連れてってあげる。ほら、下りて」
 その異国の子はしきりに目をしばたたき、次には顔をしかめて怪訝な表情をした。何か言いたげではあるが、口を引き結んでいる。
 おそらく日本語が伝わらないのだろう。七海は相手の傷を指さして、そして校舎の方を指さした。
 下から服をつかみ、軽く数回ひっぱる。しつこくするとやっと、観念したようにその子はゆるゆると、木を降りはじめた。
 

 「せんせーい! 木の上に怪我人がいました!」
 勢いよく保健室の引き戸を開けると、中には同じクラスの女の子がいた。ちょうど部屋を出るところだったのか「きゃ」と小さな声を漏らした。
 「びっくりさせてごめんね」
 「なんだ七海ちゃんか。どうしたの?」
 「怪我人つれてきた」
 七海の後ろをついてきた子を見て、クラスメイトの表情が引きつった。
 白衣を着た保健室の先生が奥からやってきたので、七海はもう一度を説明をした。
 「あとは先生が見てあげるから、もう戻って大丈夫だよ」
 白衣の先生はそう言って、七海がつれてきた子の背中を押して丸椅子の方へと促していった。不貞腐れているのか節目がちになったその横顔が、どこか寂しげに見えた。
 廊下を歩きながらクラスメイトが七海に忠告した。
 「あの子、隣のクラスの転校生だよ。たしかアトリっていう名前らしいんだけど、毎日男の子と喧嘩してるんだって。わたし、あの子と同じクラスの友達がいるから知ってるんだ」
 「なんで喧嘩するの?」
 「さあ? 言葉が通じないから、なに考えてるのかわからないし。七海もぶたれるかもしれないから、あんまり関わらない方がいいよ」
 

 そこからは七海にとって、より困った事態になってしまった。
 例の異国の子――アトリが、木の上にいつもいるのだ。次の日も、さらに次の日も。七海は声をかけることもできずに、すごすごと立ち去るしかなかった。
 あの子とはあまり関わらない方がいい。というクラスメイトの言葉が頭にちらついていた。男の子とよく喧嘩をしているらしい。気に障るようなことをすれば、七海にだって暴力を振るうかもしれない。そう思うと七海は怖くなり、口をつぐむしかなかった。


 テーブルを挟んで向かいに座る母親が、マグカップを片手にして訊いてきた。
 「ところでその子は、どこの国の出身なの?」
 連日いつもより七海が早く家に帰るので、母が気になって理由を尋ねてきたのだ。事情を聞いてから、そんな質問を七海にする。
 七海は、アトリがどこの国から来たのか答えた。これもクラスメイトから聞いた情報だ。
 母はコーヒーを、一口すする。ふわりと、香ばしい匂いが辺りに漂う。
 「珍しい国ねえ」
 「わたし、決めた。手紙を書く」
 テーブルの上で両手をぐっと握り、真剣な眼差しで七海は決意表明をした。その口元には食べていたサーターアンダギーの食べかすがくっついている。
 「あら、いいアイディアじゃない」母親も感心したような声を上げる。
 このままあの場所を占拠されるのは、困る。船長として、無法者を船にのさばらせるわけにはいかない。ここはガツンと言ってやるべきだ。勇気を出して、七海は手紙を書くことにした。
 

 翌日、校庭の木の根元には、七海と母親の姿があった。
 「あらあ、本当にいるわ」
 母は手を腰にやって見上げている。なんだかんだいっても七海は女の子なので、あまりやんちゃなことをされると親としても心配なのだ。だから今回は、一緒に様子を見にきたのだった。
 七海に微笑むと、ぱちりとウインクをした。 
 「まあ、行っておいで。もし、七海が落ちてきても、しっかり受け止めるから」
 七海は、こくりと頷くと、地面を蹴って木の幹にしがみついた。上着のポケットにはアトリの国の言葉で書かれた手紙――ではなく、抗議状が入っている。
 

 『3年1組 アトリ様 あなたに一言申し上げたく、この抗議状を書きました。あなたがいつもいるこの木の上は、わたしにとってとても大事な場所なので、すぐに降りてください。そこは私の船、海賊船の見張り台なのです。
 P.S 海賊になってくれる仲間を募集しています。
 3年2組 船長の七海より』


 昨日、母に手伝ってもらいながら、七海はこれをしたためた。
 それから七海は、その国で『こんにちは』という意味の言葉だけは、言えるように練習をしてきた。こちらの要望を伝える前に、最低限の礼儀は必要だという、母からのアドバイスだ。
 途中まで登ったところで、樹上から鋭い視線を向けられたが、構わず七海は上を目指した。
 この前は、単眼鏡がくくりつけられている枝よりも数段下の枝からだったが、今度こそ七海は、アトリがいるすぐ近くの枝までよじ登って、立ち上がる。座っているアトリと、視線がほぼ同じ高さになる。
 アトリは七海よりも肌が白く、髪の毛が月の色をしていて、大きな瞳は空よりも深い青色をしていた。いつ見ても、表情はどこか緊張しているみたいに固かった。
 七海はアトリにも通じる言語で『こんにちは』と、挨拶をしてみる。
 すると、それまでの強張った表情が一変し、アトリは目を丸くした。まばたきを繰り返し、数秒後、わずかに口元が緩むのが分かった。
 そこに至って、七海は、はっとする。
 完全に警戒心が解けていないせいか、わかりづらく、とても控えめだけれど、アトリが笑った顔を初めて見た。
 そして……
 (すごく綺麗な目……)
 間近で見る、その瞳の深い青さを、七海は美しいと思った。なんて綺麗なんだろう。まるで、深海に眠る宝石のよう。
 思わず、羨ましくなるほどに、見とれていた。
 まるで宙に浮かんだような心地で、ふわふわと考えていると、アトリは口を開いた。
 何を言うのかな? と七海が待っていると、しばらくもじもじとしてから、こう言った。
 「このまえは……、ありがと……ぅ」
 発音がずれた日本語で、ゆっくりと、アトリはそう言った。
 たったそれだけ。その一言だけを告げて、アトリは木を降りていく。
 そうだったんだ……と、七海は気がついた。保健室へ連れて行ってくれたお礼を七海に言うため、アトリは毎日この木の上で待ってくれていたのだ。


 木から降りると、アトリが七海の母親に捕まっていた。
 どうやら母の、熱を持った質問攻めに、アトリは戸惑っているようだった。
 「ねえねえ七海。アトリちゃん帰る方向が一緒みたいだよ」
 母が嬉しそうに報告してくる。
 アトリは無言で、七海たちが帰る方向を指さしていた。
 「じゃあ家でおやつ食べていきなよ。おやつ! お菓子がるよ!」
 七海の言葉に、アトリがぴくりと反応する。指を下ろして、それまでへの字に曲げていた唇が「おかし」という言葉をなぞるように動いた。
 それから、こくりと深く頷いた。


 キッチンからコーヒーの香りが漂ってくる。母は何やら手元でごちゃごちゃと作業をしていた。いつもはしない、やけにビターな香りも後からついてきて、七海は居ても立っても居られず駆け寄った。
 コンロに置かれていた変わった形をしたポット。小さくておままごとにでも使いたくなるようなサイズ感だった。銀色で角がいくつもついて、キラキラと蛍光灯の光を反射している。
 「ちょうどいいところに来た。これ、トレーに乗せて運んで」
 「この道具は、なあに?」
 トレーを水平にして持っていると、そこへマグカップが二つ置かれる。七海がキッチンのコンロに置かれている謎の道具を示すと、母は「エスプレッソメーカー」と言った。
 「お砂糖は入ってないから、自分たちで入れてね」
 さらにそう付け加えると、母はトレーにシュガーポットと二本のティースプーンを添えた。
 七海はこぼれないよう慎重にトレーを運んだ。乗せられたカップの中身が、いつもと違う。
 テーブルの上に、そっとマグカップを置くとアトリはクンクンと鼻を動かした。
 「じゃーん、母オリジナルのなんちゃってカフェモカです」
 母が自らそう紹介をする。
 「カフェ……モカ⁉︎ これはっ、まさかコーヒー!」
 七海は歓喜し、両手の拳を握った。
 「そうよー。コーヒーはカフェインレスの豆で、ちょっとだけ入ってるの。エスプレッソメーカーで淹れたから、濃いめのコーヒーなんだよ。代わりにミルクがたっぷりと無糖のココアパウダーが入ってます。仕上げは、スチームミルクの代わりにマシュマロを浮かべてみました」
 「やったー!」
 喜びながら、七海はアトリの向かいの椅子に腰掛ける。
 おそるおそる、カップに口をつける。ずっ、とすすると、甘くない。まろやかな舌触り。ココアパウダーのほろ苦さの中に、かすかに豆の味がする。これは母親がいつも飲んでるコーヒー豆の香りだ。
 「おいしい! けどぉ……ちょっと苦い!」
 七海は砂糖をたっぷりと入れた。
 「あはは、やっぱりもう少し先ねぇ」
 その様子を見ながら、アトリもなんちゃってカフェモカを一口飲んだ。一口飲んで、イケる! とでも言うように、眉を上げる。
 そして、アトリは最後まで砂糖も入れずに飲み干した。
 「わー、アトリは大人だね」
 「おいしい」と言って、アトリは母親の方を向いた。
 「あらあ、ありがとうね」
 (ふふふ、アトリちゃん、ちょっと無理して飲んでくれたのかもね)
 母親は内心でアトリの痩せ我慢を見抜いていたが、あえてそこを指摘することはしなかった。
 目鼻立ちが整った、大人からしてみても美形に見えるアトリの顔に、母親もしばし見入っていた。するとおもむろにアトリが「おい」と、言ってきた。
 「ん? なあに、アトリちゃん」
 「あ、お母さん!」口を挟んだ七海だったが、指摘をするには遅すぎた。
 それこそ苦いものでも口に含んだかのような表情をしてから――
 「おとこ」
 と、ぶっきらぼうに、アトリはそう言った。
 「え? そうだったの!? ごめん、ごめん。アトリ君だったのね」
 慌てて訂正をする母に、七海は教えてあげることにする。
 「アトリはね、きっと女の子に間違われるのがすごく嫌なんだ。男の子たちが、ふざけてアトリのこと『女の子』って言うから、いつも喧嘩になるんだよ」
 このことは、クラスメイトから聞いた情報ではなく、七海が実際にアトリが喧嘩しているところを見たから知っていた。
 母親は何度も謝るが、アトリの機嫌はなかなか直らない。
 「おわびに甘いココア飲むー? コ・コ・ア」
 七海はテーブルに乗せた手のひらの上に片方の頬っぺたをくっつけて、覗き込むようにしてアトリに訊いた。
 アトリはすかさず「のむ!」と力強く頷くと、にっこりと笑った。
 いつも飲んでいたミルクココアよりもビターな、母オリジナルのカフェモカは、七海をほんの少し大人へと近づけたようだった。

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 それから十数年の年月が過ぎてゆき、七海はすっかり大人になっていた。
 朝のダイニングには、コーヒーの香りが漂っている。今ではコーヒーも毎朝のように自分で淹れ、ブラックで飲めるようになっていた。それでも、やっぱり七海はミルクと砂糖を多めに入れるのだった。
 テーブルの上にそっと、もう一つ、マグカップを置いてから、七海は椅子に座る。
 ゆるく立ち昇るコーヒーの香りを挟んで、向かい側の椅子を引いて座った彼の瞳は、深い青色をしている。やっぱり今日も、ミルクと砂糖は入れない。
 あの日、抗議状を渡すことなど七海はすっかり忘れてしまったのだが、翌る日には、木の上で足をぶらぶらとさせる彼の姿があった。その日だけでなく次の日も、さらにその次の日も、彼はそこにいた。いつしか木の上は、二人の待ち合わせ場所になっていた。
 海賊船の船長になって世界中のコーヒー豆を集めることはできなかったが、代わりに、それを物語にして書くことはできる。彼女は、絵本作家になっていた。
 七海は大人になっても、心の中に船を浮かべている。海賊船の船長になったつもりで、想像をする。見張り台に登って、単眼鏡を覗く。甲板に立ち、舵を回す。マストが風を受けてふくらむ。
 傍には、思い出が、子供の姿をした自分がいた。

 ――そう、わたしは海賊。欲しいものは手の内に。
 七海は、合言葉のように唱える。

 思い出の肩を優しく引き寄せる。コーヒーの苦さをミルクと砂糖で和らげて、その香りを楽しむのは、成長した大人の器用さと似ている。七海は、そんなことを思いながらマグカップに口をつける。
 コーヒーの香りに包まれて、海賊船は海原を駆ける。

 了

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