どこへ行った、かも吾郎
前回は、アート活動のため岐阜県恵那市飯地町に来てから、ニホンカモシカにはじめて会った話を書いた。
一昨年の秋から、家の敷地内に入れ替わり立ち替わりニホンカモシカがやってくるようになり、
今では主に、母カモシカと子カモシカが来てくれている。
ニホンカモシカは、もちろん野生動物だ。
餌付けをしているのではないかと言われたこともあるが、そんなことはしていない。
柵がないのをいいことに、勝手にやってきては、勝手に草を食べて帰って行く。
私たちの存在に気づいてもすぐに逃げることはないが、かといって親しげに近づいてくるということもない。
「つかず、はなれず」
この絶妙な距離感。
ただ、なかには定期的にやってきてくれるカモシカがいる。
何回も顔を合わせていると、向こうも分かっている様子で、お互い顔なじみになってくる。
これが、意外と嬉しい。
しかし、一昨年は来ていたのに、去年から来なくなってしまったカモシカもいる。
寂しいが、これにはカモシカの生態が関係しているので、仕方ない。
まず、ニホンカモシカは単独で行動する。
一夫一妻制なので、シカのように大きな群れは作らず、多くても子連れの二頭か、まれに三頭で行動することもある。
定着性が強く、何年も同じ場所で生活をして、季節移動もしない。
ただ、同性間で縄張りがあり、縄張り争いをするときがある。
思えば、一昨年の秋、師匠と柿をとっていたら、二頭のニホンカモシカが追いかけっこをしながら、すごい勢いで目の前を駆けぬけたことがある。
もしかしたら、家の周辺で縄張り争いをしていたのかもしれない。
とはいえ、一昨年の冬まで、5、6頭のニホンカモシカが入れ替わり立ち替わりやってきていた。
一頭のときもあれば、二頭、三頭で来たこともある。
意外とニホンカモシカは縄張り意識がゆるいのか、それとも、家にやってくるカモシカたちが例外なのか…。
真意は分からないが、去年の春までは、色んなカモシカが来てくれたことは確かだ。
そのなかで、確認できた5頭には名前をつけた。
・かも吾郎
・かもの助
・かも吉
・かも奈
・かもみーる
そのうち、今日まで頻繁に家に来るのは、「かも吉」だけだ。
かも吉と出会ったのは、一昨年の春。
飯地町に来る前、家の内覧にいったとき、師匠がはじめて顔を合わせた。
「かも吉」はもともと家の周辺に住んでいたのだろう。
ちなみに「かも吉」と呼んでいるが、かも吉はメスのカモシカである。
大きなカラダと大胆不敵な態度からオスだと勘違いしていたが、
去年の5月、子供を出産したことで、かも吉がメスだと判明した。
ニホンカモシカは子供が生まれると、1歳になるまで母親がずっと付き添って行動するらしい。
1歳をすぎると母親から離れて単独で行動するようになるが、2~3歳までは母親の行動圏内に留まる。
今では、家の敷地内はすっかり「かも吉ファミリー」の子育ての場となっており、
去年生まれたカモシカは「かもジュニア」と呼んでいる。
そのせいか、「かも吉ファミリー」以外のカモシカは来なくなった。
もしかしたら、去年の春まで複数のカモシカの共有地だったのが、
かも吉の出産を機に、かも吉ファミリーの縄張りになったのかもしれない。
最後に「かも吉ファミリー」以外で姿を見たのは、「かも吾郎」だ。
かも吾郎は一昨年の秋くらいから姿を現すようになり、去年の2月末に目撃したのが最後だった。
「かも吾郎」は、とくに一昨年の秋から冬にかけて、頻繁に家に来てくれていた。
大きな体と堂々とした態度。
「かも吉」同様、近づいても全然怖がらないカモシカだった。
そして、年をとったような印象がしたので、勝手に「この土地の長」なんじゃないかと言って親しんでいた。
かも吾郎は、何時間も敷地内に居座ることが多かった。
ゆっくりと草を食べた後、ちょうど家の真上の土地に座ってじっとしているのが好きだった。
その姿はまさに、長老。
まるで、私たちのことをじっと見守ってくれるかのようであった。
しかし、去年の春から、かも吾郎の姿が見えなくなった。
かも吉の出産を機に、身を引いたのかもしれない。
かも吾郎が真っ正面からこちらを見つめる姿を思い出す。
一昨年は何回も家に来てくれて、雪降る日にもヒノキの葉っぱを食べていた。
ペットでもなんでもないけど、急に姿が見えなくなると、ちょっと寂しくなる。
かも吾郎、元気にしてるかなあ…。
去年は「かも吾郎」の顔をヒノキの葉っぱで描いた。
この作品は最後に確認したかも吾郎の姿を参考にしている。
これはこれで、力作となったが、これでも飽き足らず、先日「KAMOSHIKA PARADISE(カモシカパラダイス)」というネットショップを立ち上げた。
そこで、これまで家に来てくれたニホンカモシカたちを題材にしたグッズを販売している。
グッズに使うイラストは、自分で撮った写真をもとに、PCで描いた。
イラスト自体描いたことがなかったので、全然デザインができていないが、とりあえず「かも吾郎」の顔は描くことができた。
なぜ、色んな形でニホンカモシカを題材にするかというと、純粋に「好きだから」という理由が大きいが、それだけではない。
ニホンカモシカには、すっとぼけた顔とは裏腹に、複雑な背景がある。
「氷河期からの生き残り」と言われるくらい、はるか昔から日本に馴染みのある生き物であったニホンカモシカだが、戦後の乱獲が原因で個体数が減少した。
1954年に全国的に密猟の取り締まりが強化され、1955年には「特別天然記念物」に指定された。
しかし、近年、植林や農業への被害が報告され、近々狩猟が解禁になるのではないかという話が噂されている。
もちろん、私もこの事情は知っている。
農家の方からすれば、手塩に育てた農作物を食べられたら迷惑するのも当然だと思う。
ただ、私にとってニホンカモシカは先住民であり、単なるご近所さんである。
不思議なことに、互いに顔なじみになってくると、
カモシカが来てくれると嬉しいし、急に姿が見えなくなると寂しくなったりする。
ニホンカモシカは温厚な生き物だ。
今まで、一度も襲われたこともなければ、その気配すら感じたことがない。
じいっとこっちを見つめたかと思えば、尻を向けて草を食べ始める。
立ち去るときは、駆け足で逃げるのではなく、めんどくさそうにゆっくりと森へ帰っていく。
確かに、庭の植物は食べていくが、食い尽くされるほどではない。
葉っぱの先っちょをチョビチョビとかじるくらいだ。
こちらもカモシカを追い立てることはしないので、向こうもそれを分かったかのように、怖がることはなく草を食べている。
確かに、林業や農業を営むひとにとってニホンカモシカは害悪かもしれない。
しかし、飯地町の方の話を聞くと、昔はニホンカモシカが人里に姿を表すことはなかったのだそう。
今や、ニホンカモシカに限らず、イノシシや熊まで人里に降りてきてしまうということは、
山に彼らの食べ物が十分にないということだろう。
原因は色々あるだろうが、少なくとも、戦時中から戦後にかけての造林政策は関係している。
今や、山にはスギやヒノキが乱立し、生態が変わってしまった。
カモシカを乱獲して生息数が減ったのも、
山の動物たちの食べ物が減ったのも、
カモシカを特別天然物に指定したのも、
ヒトがやったこと。
カモシカを見ていると、いろんなことを考えさせられる。
ところが、カモシカはそんなことはつゆとも知らずに、家にやってきては呑気に草を食べている。
先日、飯地町の方にカモシカの写真を見せたら、「よく見ると可愛い顔してるね」とおっしゃった。
少し驚いた。
飯地町では畑や田んぼの管理をしているひとが多く、
農作物を食べてしまうカモシカは、「厄介者」と思われているからだ。
とはいえ、飯地町の方にとってニホンカモシカは身近な存在でありながら、顔をちゃんと見たことがなかったのだ。
確かに、ぱっと見ただけでは、どんな顔をしているかなんて分からない。
私もカメラの望遠レンズを使うまでは、カモシカの顔なんてわからなかった。
ところが、ちゃんと見てみると、意外とおもしろ可愛い顔をしている。
逆にいえば、彼らのことをまっすぐ見てみれば、認識も変わるのかも…?
自分がカモシカの存在を忘れないため、
そして、カモシカがひょうきんな顔をしていることを知ってもらうため、
カモシカの素朴な姿を色んな形に残したい!
そう思い立って、年末年始にカモシカグッズを沢山作った。
まだまだ、デザインがワンパターンしかないので、これから色んな絵を考えていく予定だ。
そして、カモシカを題材にしたアート作品も制作していく。
古代から日本にいる動物なのに、ペットでも家畜でもない。
複雑な背景があるのに、すっとぼけた顔のニホンカモシカを知ってもらえたら嬉しい。
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