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【読書感想文】観念論の教室

こんばんは、はけたです。

私はあまり本を読みません。でも、自分の考えを広げる、深めるためにも、本を読んだ方がいいな、読みたいなと思ったので、読みました。

読んだ本はこちら。

『観念論の教室』冨田恭彦, 2015年, ちくま書房

哲学書です。元祖・観念論者 ジョージ・バークリの思想を読み解いていく本でした。

課題以外の本を読むのは久々なのに、いきなりハードル高いものを選んでしまったかなと思います(笑)

とにかく、読み終えたので、簡単に感想を書いていきます。

読むことにした経緯

Teach For Japan のキャンパスアンバサダーで知り合った方とのお話がきっかけです。

自分がどう生きたいか、自分の存在意義について、話をしていた時に、哲学っぽい話になりました。

そこで「好きな哲学者」がジョージ・バークリであるという方がいました。

好きな哲学者がいる人と話したことがなかった私は興味津々です。

しかも話を聞いていくと、なんと彼女は中学生の頃にいろんな哲学者の本を読んでいたのだそう。

私が中学生の時には、部活をサボりたい気持ちと一生懸命に頑張る気持ちのバランスを、うまーくとることに集中していました。そのときに哲学書を読んでいる人がいると思うと、ほんと人それぞれなんだなと思います。

そんなわけで、ジョージ・バークリの考えを理解したいなと思って、この本を選んだわけです。

感想

率直に言うと、難しかったです(笑)

哲学に慣れていない私には、理解するのが結構大変で、何度も何度も戻りながら読みました。

しかし理解できると「こんなふうに考えるのか。バークリ賢いなあ。」と、私なんかとは次元の違う思考にただただ感服しました。

さて、本の内容ですが、バークリの「明るい観念論」を様々な角度から読み解き、最後には冨田さんが感じる「明るい観念論」の魅力を解説してくれるというものでした。

物は心の中にある観念であり、知覚される限りにおいて存在するとする観念論は、わたしにとって世界の新しい捉え方で新鮮でした。

冨田さんの受け売りですが、存在するのは自分の心だけという独我論的発想に陥りがちな観念論において、他人と神の存在を認めるという「明るい観念論」には、やはり魅力を感じます。

特に神の存在証明の部分は、圧巻でした。神の存在に対して肯定も否定もとらない私(基本的に都合良く捉えちゃいます)でも、納得してしまうほどの説得力でした。

世界を記号として捉えた時に、それを神の言葉として解釈することで辻褄が合うという説明は、「どうしてこんなこと思いつくの???」って感じです。

知覚をする主体以外は観念と扱う観念論において、他の人や神の心の存在を証明しようとする姿勢に、バークリのあたたかさのようなものも感じました。

当然宗教的なところもあると思いますが、神や他者への想いが強いからこその思考だと思います。バークリは優しい人だったのかなぁ

考えたこと

本の内容から離れてしまうけれども、私なりに考えたことがいくつかあるので、これも記録しておこうと思います。

まず、学問を広く学ぶ意義です。

私は今回自分の興味とは違う分野の本を読んだわけですが、興味がある分野との繋がりも感じました。

例えば、知覚されるものを、他者の内面や神の意思が表出した「記号」と捉える記号的観点は、言語学における「記号」を知っている私には理解しやすい部分でした。

言語学では、意味と記号の間には恣意的な関係しかなく、必然性はないという考え方をしますよね。バークリも神の存在証明の際に、経験から記号と意味との恣意的な関係を習得するとしていました。そしてその恣意的な関係こそが神の言語だと。

さらに、知覚する主体としての心と知覚された観念しか認めない観念論の考え方は、心理学の帰属理論に応用できるように思いました。

帰属理論とは、出来事の原因を推測する理論です。自分自身に原因を帰属させる場合は内的帰属、運や状況など自分の外に帰属させる場合は外的帰属といいます。私は観念論を、内的帰属の究極形なのではないかと考えたわけです。

一般に内的帰属の傾向が強い方が、向上心を持って、改善する方向に向かうことができると考えられています。そのため、観念論を取り入れることで、上手い具合に内的帰属の傾向を強められないかと思いました。観念論を取り入れすぎると内的帰属の傾向が強まり、あまり健康的ではないかもしれませんが。

こんな感じで、他の学問の知識でも自分の分野に活かすことができそうです。だから学際的に学ぶことが必要なんでしょうね。

次に、私自身の伝え方への興味深さです。

私は、伝え方、伝わり方を、意識しようと努力しています。子どもに何かを教えるには欠かせないスキルだと思うから、できる限り磨きたいと思うんです。

そんな考えを持っているからか、この本を読んでも本の構成・表現に目がいってしまいました。

論の運びが説得力を増す流れになっていて、読んでいる人を納得させる構成になっていると感じました。

時系列的な部分から入り、必要な背景を補足しつつ、バークリの思考を説明する。そして、バークリの観念論を一旦否定し、バラバラにする。その上で筆者自身が考える魅力を語ることで、不完全さをも人を惹きつける魅力に変換してしまう。

この構成は非常に鮮やかだと思います。

また、冨田さんが冒頭からずっとニュートラルであることは、表現から伝わってきます。常に、バークリの思考の解説に終始し、自分の考えは、最後の章までほとんど述べません。節々に散りばめられた中立性を保つ表現から、読んでいるうちに筆者への信頼が高まったように感じます。十分に信頼感を得てからの魅力だったので、より深くまで響きました。

実はこの伝え方への興味は、TFJのセッションでも感じたことがありました。内容はもちろんですが、セッションの構成なども気になってしまうのです。

本を読んでも、セッションに参加しても、その構成と伝える上での効果を考えている自分に気づき、自分が「伝え方」に強い興味を持っていることを認識できました。

いくつか考えたことがあると言いながら、結局2つしかありませんでしたが、まあこんな感じです。

おわりに

自分の考えを広げること、深めることを目的に読んだ本ですが、目的がしっかり達成されたようです。

考えたことに書いたように、自分の興味分野に活かせそうな収穫もありましたし、自分の関心を改めて認識することもできました。

本っていいですね(笑) もっと読もうと思います。

おすすめなどありましたらコメントで教えていただけると嬉しいです。

ありがとうございました。

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