思考の泡3

※色々、インスピレーションで書いています。ほとんどが妄想です。すみませんが、上から目線です。


危機感により知識の欲はブーストされる。個人は自分がどのような状況に置かれているかを常に知ろうとする。ファッションの更新を煽ることすらも危機感である。





戦争を意識する者は、戦争や闘争、はたまた逃走のための知識を掻き集めるし、この世を仲良くショッピングするだけと思える者は、良い買い物をするための情報を掻き集める。多様性、マジウケる。








ある程度、100人分の見解による知識を得たものは、そろそろ自分について考えるべきだ。選択した知識がどのような欲求や目的を暗示しているか、自分を知るためのものだった。さあ、メタ化に励もう。












自分が望む未来をつくるために、次にすべきは仮説持ってして、その想いをふりかざすことだ。自由はやって来ないなら自分が影響を及ぼすしかない。







すでに誰彼の手に堕ちている現実。常識に苦しめられているならば、わかり合おうではなく、わからせないと。








情報を経験で咀嚼しただけで、真実へ辿り着けるとは限らない。疑ったところでキリがない。
適当に諦めよう。有限の肉体を持っているだから。そこへ偽りのない希望や欲求を混ぜて自分のスタンスを作ろう。目的は真実に限りなく近い。どんな疑惑も目的の周りをグルグルと回っている。そして、絶対に叶えたい目的は偽ってはならない。目的を尋ねられ、濁すことは手下には許されている。


しかし、頂上の者は偽れない。嘘を語りたくないがために、表へは出てこられない。それは現人神という自己催眠を永続する為である。チカラがない、嘘を吐かねばならないのは弱者だけで、自分達であってはならない。よってその手足ですらないさらに先、トングのような役割をする表の権力者は全て醜い有様をする。汚れている。権力の保持のためのギリギリの駆け引きが、善政である。国民よ、目覚めよではなく、面倒く臭いことを全員で言えばお得ですよ。建前で動かせ。法律の根幹が変わる前に。まあ、間に合わんか。








善意こそ疑え。全人類に言えることだ。最終的に人が窓口でないことは、そこで行き止まり。陰謀論は、責任者の不在で成り立つ。権力者は見えないバイバスで、その輩どもを操る。







ある映像で、お隣の不法侵入による乱獲を訴える漁師たちが、この国のどこに連絡しても解決しなかった。逆に、海上保安官に囲まれているのだ。そんな状況で、関連組織に電話をするがたらい回しで、無法を咎める責任者がいなかった。

Youつヴェよ、真実を動画をありがとう。スパイ防止法作ったら、逆に日本人が工作員にされるかもな。いずれにせよ、機関に日本人の人員が半数ぐらいいるうちに取り締まった方がいい。上司があっちでも、大義名分を与えれば、本当の仕事をしたかったドクターフィッシュたちは上司を問い詰めることが可能だ。正義を振りかざすほど楽しい仕事はない。








エビデンスは人口の半分以上が一定の水準以上で物事を考えられないと通用しない。悲しいことにエビデンスがなくとも、影響力を持つ人がバカを先導すればどんな世界にもなり得る。









鳥の巣は、安らげる場所とは程遠い。人間にとってこれ以上ない理不尽が繰り広げられている。

私に母はなく、可愛い雛どもが母に暖められるのに嫉妬に狂い、外敵に襲われるところをザマァと注視し、そのとき多分、能面のような顔をしていたと思う。自分の嫉妬の感情からは逃げずに向き合った。彼らは老衰で死ねることはない。

特段、母の愛情も羨ましいとも思わなくなった。それは嘘だけど、愛情はトラブルのもとだ。本能的な育児、子育ては猛禽類たちもできる。弱い雛を食い殺し、残りの雛はあたためて雨風をしのいであげる。
自分も親には諦められたものだったが、実は私が普段から全否定したい世間体、世間様こそがセーフティネットになっていたのかもしれないと思えた。愛情には残酷さがある。欠如は地獄。自分が世間の評価の平均より劣ると、不信がられ煽られる。
競争社会を無視して、競争社会に勝つ方法を模索している。そうして、私は人間を探していると言っていた人がいたことを思い出す。






一番やばいのは、自分と向き合うことなく理想を語る者たちである。嘘が多いので周りが不幸になる。嘘にしないには、エネルギーを生み出す呼吸や姿勢を研究すべきだ。エネルギーの枯渇ではなく、躍動は花火を見るようで楽しい。









ものまね師は、遅かれ早かれ世の中の真実を知ることになる。それは、受動的な相手にさえも知られてしまうことを表現出来るからだ。丁寧な解釈が細部に宿る。気付きを生み出せる人間が、無知でいられるとでも?








煮汁に椎茸が入っているやつは大概、美味しいぞ。歓喜せよ。







抑圧された感情を表現する娯楽を抑圧すればどうなるか?きっと、奴等は、ようく知っている。







神を信じる者は漏れなく支配欲を持っている。神の代弁者として権力を保証されようとする。神はいない。何かやらかした古きダサき者はいるかもしれない。本は人が書く。本に目を通すときに、眼球と本の間の空間に認識できない情報が強いて言えば神である。よって神はインスタ映えしない。




人が評価する超絶ものすごいもの、実は総じて悪を成している。ただし、人間という生き物は生殖活動にありつくための強さの証明は他人のエゴであっても許容する。美しさは強さを孕む。美しいとは暴力である。若くエネルギーがある者たちにとって、その暴力の模倣が生存と繁殖の戦略となる。要するに本能が刺激されるものは悪を成していると言ってよいかもしれない。今日は、かもしれないが多いかもしれない。













貧しさは悪い方のトリガーになる。貧しさが仕組まれたことなら目的がある。仏教の師よ。何処まで忍辱を説くことができる、その人類にとって勝利は享受できるものか?
権力者が無視されれば平和が来るように思えるが、その見解は正しいか?





以上です。ありがとうございました。番号振ってあるものはシリーズで他にも、あるから読んでね^_^







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