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本と僕と一人

本は嫌いだった。
中学生の時だった。あの青春のカースト制度は顕著にそれを表した。いじめなどは無かったが、それにしても明るいのは正義で暗いのは悪だというある意味宗教もびっくりの差別制度だった。その中でも静かな陽光が差す、窓際の静かな子が本をよく読んでいて、孤独の象徴のように感じた。だって、その子はいつも一人だったから。休み時間に学校で友人と談笑していたら、窓際の静かな子はずっと本を読んでいた。あまり関わりたくないと思った。自分も本を読むとその暗い部分に入り浸ってしまうのではないかと、気が気ではなかった。

その影響か、反響か、なぜか映像作品は好きだった。
基本的にずっと見ていた。映画やドラマなどをよく好み金曜ロードショーは毎週必ず観ていた。でも、一切アニメは見なかった。金曜日の6:30ごろの某青狸型ロボットは観ていたが、なぜか僕の中であれはアニメというくくりではなかった。どちらかというとサラリーマンのおっさんが課長や部長などに引きつられて行く接待ゴルフの様なもの。もう習慣化されていた気がする。

その窓際の子は深夜アニメを見ていたらしい。その当時からその子は時々友人とよくアニメの話をたびたび話していた。ああ、一人じゃなかったんだと思いつつも、主に感じることは好きな事で語れるのは羨ましいと憧れのような、妬みの様なものを僕は心の中に育て続けた。テレビの話をしないと僕の友人との話は合わず、置いていかれる。そんな友達との関係だった。大好きな映画やドラマなどの話は一切と言っていいほどその友人とはできなかった。そう共有できないというのはある意味、僕の中でのサブカルチャーの失墜であった。僕の中でどんどんその壁はドミノ倒しのように倒壊し、進行していった。

それから数年たった。僕は頭が悪かったものだから、高校は進学校には行けなかった。行きたかったが、もう諦めていた。そんな僕の周りには静かな子たちがいっぱいいた。その子たちに聞くと僕と同じ学校に行くという。そんな子たちだった。話してみるとなんというか前の友人よりも心は軽くなった。その静かな子は静かだけども心の中に情熱を秘めていた。しっかり考えるし、その後もしっかり肯定して進んでいく、僕にはなかった要素の一つだった。単純に羨ましかった。勉学もうまくいかないそんな自分はもうどうしようもないと思ってその失墜ドミノをずっと心の中に秘めていた。別にこの学校に来ても、好きな事ができるわけでもない。そうおもい、ゲームに逃げた。

それから数カ月経ち、いつも通りの不貞腐れた生活を営んでいたときの平日に友人たちといつも通り談笑しているとこう返ってきた。
「俺実は映画すごく好きなんだよね。特にアクションなんだけどさ。昔の人みたいだろ?」
静かな陽光の窓際でできた陰に隠れながら、苦笑いで自虐気味にいうとこう返ってきた。
「いいじゃん!映画かぁ、全然みたことないんだよなあ。俺アニメ好きなんだけど見て観ない?アクションとかいっぱいあるしさ。おススメ送るよ。LINEでさ。」
と僕のことを肯定しつつもしっかりと自分の好物に巻き込んだ。竜巻の様な言い具合だった。そんなこんな話週末LINEにリストが送られてきた。
自分はhuluに入っていたからそこで見ようと思った。正直乗り気ではなかった。でも、そこから僕のアニメ小説旋風が巻き起こった。

「リゼロを見て観ろ」と文面に書いてあったから、その通り見て観た。あんなに泣いたのは久しぶりだった。ストーリーの構成が玉置浩二並みの抑揚をつけてくるものだから、ずっと感動しっぱなしで阿鼻叫喚に近い泣き声だった。それからというもの、ゲームをした後にアニメを見るという夜中を全部使うという時間のドミノ倒しルーティンを続けた。学校では普通に眠いし、死にかける朝からの体育で最悪のルーティンだったが、僕のサブカルチャーは立て直しを図っていた。水面の様な心に映る瓦礫のようなサブカルチャーはこのまま安静にしておけば魔法のようなもので治るのではないか。そう錯覚させた。

それからというものずっと見続けた。ジャンル問わず、原作問わず。映画との違いはないかなど、今までの感性を総動員して見続けた。それから一年ぐらい経ったある時、若干の懐疑心を抱きながらもある作品を見た。

それは「転生したらスライムだった件」という作品だった。
「ん?転生?」と疑い深い僕はそれにずっと囚われ一旦はスルーをしたが、ずっと気になってしまい結局視聴することになった。作中の登場人物が可愛いのは勿論だが、その中の竜がめちゃくそ可愛い。おっさんの性格なのにだ。そんな感じで惚れ、ずっと見ていた。

そんな日が続き友人の一人に打ち明けた。
「転スラ見たんだよね。普通におもろかったんよね。続きが気になるわ。」というと、そいつはいけしゃあしゃあとこう言った。
「ああ、それ『小説家になろう』っていうサイトで連載されてて無料で見えるから、ホントにおすすめやで。読んでみろよ。」っていうものだから、ネットで調べて見ると284話ぐらいまであって嘘やろと思いながら、数日読もうか読まいか悩みに悩んだ。

その結果読んだ。
すごく長いし、ホントに疲れるしで読んだ作品は数多く今まで体験してきた。でも、この作品は興味が先行し、疲れなんて一切気にならなかった。すごく時間がかかってしまって、もう二、三週間ぐらいだったと思う。今まで毛嫌いして本を読まなかったものだから、時間がかかったのだ。あまりにも酷いものだった。人作品を読む学校の通学時間、家に帰っての時間、アニメや映画を観る時間など、学校と日常生活における時間をすべて犠牲にして読んだ。

あまりにもそれは非生産的な所業だったが、その作品は僕のサブカルチャーを見事に治してくれた。物語はとても美しく面白かった。主人公が友人に奮起するとき、友を無くした時、師ができた時。それぞれで喜怒哀楽し奮起した。最後はなるほどと納得してしまった。そんな作品だった。
それからというもの現在まで本という存在は大好きなものの一つに仲間入りを果たした。

今では一日に一冊から最低でも全体の半分のページ数は読むようになった。web小説であれば150話ぐらいを見ることが可能になった。案外成長したように感じる。ライトノベルも読むが他の文学作品を圧倒的に多く読むようになった。村上春樹、東野圭吾、三島由紀夫、川端康成、ダンブラウンなど外国国内限らず、時代も限らず、文体やジャンルも限らず僕自身が興味を持ち、謎の魔法のような感性のそれに引き寄せられた作品を手に取るようにしている。意外といい買い物ができるようになったのではないかと最近思う。

本の虫になるのは意外といいものだと今では心に密かに思う。

そして僕は静かな陽光が差す、窓際のテーブルでこれを書き記す。