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教育者と狂育者

 今日ツイッターでこんなのを見た。「息子曰く、数学の提出物のおしらせを手でメモらずiPadで写真を撮った事で、息子のiPadが先生預かりになったらしいけど、ほんとにそんなことどーでもよくない?学校ってほんとにくだらないことにこだわるよね。なんのためのひとり1台のiPadなんだろう」というツイートだ。

 皆もこんな理不尽な経験ないだろうか。よく聞くのは数学や算数でまだ学校で習っていない解き方をして答えは合っていても、解き方が違うからそれは違う、間違いだと言われるとかだろうか。私も高校の時に、正弦波形の分野のテストだった。その時に、二分の一パイラジアンと二分のパイラジアンは同じだと言ったのに、先生は断固違うと拒否をした。その分の点数を上げたところで、あまり関係ないのだからいいではないかと。

 言葉を選ばずに言うと「クズが、死ねよ。」と思ったのを今でも覚えている。その時の私の顔は今に呪い殺さんという勢いに、見舞われていただろう。

 このように先生、教師の中にはゴミの様な奴もいる。ガキの様な思考回路をしていたり、どう考えても合理的じゃない事をしようとしていたりと、なかなかに大学を卒業しているとは思えない思考力をしている人もいる。もちろん、善い先生もいるが。学校の教師になりたいと思っても、残業過多や、パワハラなどいろいろな問題がある。こんなに問題を抱えているのならば、誰が先生になろうというのだろう。教育とはそうでは無いだろうに、一生懸命一部の先生たちは戦っている。なんという世界だろうか。

 今の時代はIT化が進んでいる。子供一人ひとりに、iPadを与えるという表面だけの、教育では何も生まないだろう。一人一人の子供に論理的思考をさせてあげるのならば、自由に使わせ、その利用方法がいいのか悪いのかと問うべきだ。先生一人で決めてはならないのはたしかだろう。

 こんな名言をどこかで見た。

「殺人犯は一人の人生を狂わす、学校教師はクラス全員の人生を狂わすかもしれない。」

 もしも、教師になりたい人やなる人は覚えていてほしい名言だ。実学も重要であるが、それ以上に人として出来ていないと、碌な人格を形成しないと。その優良な人格の形成は実学を学ぶ上での学友や、教師、家族の中で育まれるのだ。どこを許し、どこを怒り、どこを学ぶのか、そうしないと先生自身や生徒自身も壊れてしまう。

 日本には教育の人が足りないと聞く、難しいこの世の中でリモートでも仕事や教育がどうにかなると感じた人もいただろう。そんななかで教育の指針がこれからどうなっていくのか楽しみだ。

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