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第一章〜片親、DV。でも夢を追いかけた少年時代〜

私は岡山県で生まれ育ちました。
物心ついた時には父親は家にはいなかったのです。
(ちなみに、父と母は今は一緒にいます。) 

結婚しているのに父はいない、そんなシングルマザーのような環境で私は育ったのです。

親戚の家で過ごしていた時期

当時、私は、母方の親戚の家で、母と二つ歳の離れた姉の三人で過ごしていました。

「父親がいない」
それが当たり前の複雑な家庭で私は育ったのでした。

親戚の家で過ごす私は、母方の親族一家を含めると大家族でした。

私は自分の家というか親戚の家というか、従兄弟と同じ屋根の下に暮らす
いわゆる、一般的な家庭とは異なる、子供心に不思議な環境で育ちました。

この頃の生活が、私の人生の中でどこか他人の目を気にする私を創造したのかもしれません。

当時私の母は、大手精肉メーカーの営業をしてました。いつも帰りは夜遅かった記憶があります。
(のちに聞いた話ですが、日に何軒も得意先を回り、県外も頻繁にいくような仕事だったそうです。)

そう。
母はバリバリの営業マンだったのです。

仕事へのストイックさには私も自信があります。
もしかしたら私は母の血を受け継いでいるからなのかもしれません。

親戚の家で暮らす私と姉

私には聞けない事がありました。

「何故、父親が家にいないのか?」
「何故、母親は朝から晩まで働いているのか?」

聞きたくても聞けない雰囲気で私はいつも不安で心が押し潰されそうだったのです。

言いたかった、聞きたかった、知りたかった、でもどうしても私はその言葉を発する事ができませんでした。

父の写真はこれしかありません。

ある日のことです。
私と姉が通っていた幼稚園で
いつまでたっても誰もお迎えが来ない日があったのです。

いつものお迎えの時間になると、
『1人』、『また1人』とお母さんが笑顔で友達を迎えに来ていました。

私と姉は、
ちょうど見たいアニメがあり、早く家に帰りたくてウズウズしながらも笑顔で迎えに来てくれる母親を心待ちにしていたのです。
(従兄弟と同じ幼稚園だったので、うちは伯母が毎日迎えに来てくれてました)

まだかまだかと待っている私達を残し、友達たちはどんどん帰っていくのです。

ぽつーんと残された私と姉。
(心なしか先生方もあたふたしていたのを今でも覚えています。)

今思えば、伯母が先生方に電話をしていたのかもしれません。

『寂しい』


心のどこかでその思いをかき消すように、幼い私と姉は、いつまでも迎えに来ない母を忘れようと夢中で砂遊びをしていた記憶があります。

皆が帰ってガランとした幼稚園。
やっとのことで伯母が迎えに現れました。
(伯母が何故、時間通りに迎えに来てくれなかったのか当時の私たちは知る由もありません。)

『もう、毎日迎えに行くのが面倒くさい』

笑顔でお迎えにくる多くの母親とは全く違う形相が私達の目の前にはあったのです。

伯母が私達に放った言葉でした。
(伯母はいま思えば専業主婦のネグレクトだったのでしょうか。。。)
幼い私達にとっては、それは強烈なインパクトを与えたのです。

私も姉もただただお互いの手を強く握ることしかできませんでした。
そんな経験をしながら時は経ち、私は小学生になっていたのです。

運動神経が良く、計算が得意だった私はクラスでもリーダー的存在で常にクラスの中心だったかもしれません。

小学3年生の時の事です。
相変わらず毎日帰りの遅い母。
そんな中寂しさを紛らわし二人で必死に生きていた私達。
ある日知らないおじさんが家にいたのです。

『父』でした。
(いままで、父親がいない事を聞けなかった私達ですが、母は離婚していたわけではありませんでした。)

知らないおじさんと思ったらまさに私の本当の父親だったのです。
『父は仕事で遠くに行ってる』と母から聞いていたので、仕事を終えて父が帰って来てくれたのだと小躍りして喜びました。

まるでシングルマザーのように親戚や祖父母達と大家族で過ごしていた私達の元に父は帰ってきたのです。

突然帰ってきた父。
のちに知ることになるのですが愛人を作って私たちから逃げていたそうです
(愛人と別れたからでしょうか?戻ってきた父を)母はまだ幼い私たちの事を思い、父を許し家に迎え入れたのです。

しばらく、父のいる幸せな時間が私たち姉弟に訪れました。

当時、私と姉はあるアイドルのプロマイドを集めていたのです。

(が、つかのま)ある日の出来事です。
大好きなアイドルのプロマイドを食事中に眺めながら私はにこにこしていました。

そんな矢先いきなり私は吹っ飛んだのです。

父親が私に言いました。
『食事中に何してるんだ!』
大きな音とともに私は転がっていました。

痛みに耐え、顔をあげると
鬼の形相をした父が私の大切なプロマイドを音を立てて破いていたのです。

ビリビリに破かれた私の大切な宝物が、目の前でどんどん紙屑に変わっていったのです。

私は父親に暴力をふるわれ、私の宝物がその場で消えていったのです。

幼い私には恐怖しかありませんでした。
その日から私は度々暴力を振るわれるようになったのです。

私だけではありません。

私の母も一緒でした。

お酒を飲んでは暴力を振るうようになったのです。
そんな姿をみた私は、父親が大嫌いになったのです。

(こんな父はいらない。)

父がいなくて寂しい幼少期を過ごした私。
『遠くの仕事からやっと帰ってきてくれた。』
(やっと父親と過ごせると喜んだ私。)

一気に天国から地獄へ私はたたきおとされたのです。

後から聞いた話ですが父は30代半ばで岡山に戻ってきて、何の資格もなく、学歴もない父を雇ってくれる会社はほとんどなく、給料も少なかったそうです。

しかし、小学生の私にそんな事を理解できるよしもなく、父と私の信頼関係は完全に切れてしまったのです。

そんな小学校時代を過ごした私は、父に対する不満はどんどん大きくなりました。

そして母に対する寂しさも誰にも打ち明ける事ができず私の心はどんどん疲弊していったのです。

誰にもどこにも打ち明けられない心の闇と寂しさは私を非行の道に走らせてゆくのでした。

気づけば勉強もついていけなくなり、学校にもあまり行かず夜な夜な不良連中とつるむようになっていたのでした。

中学時代の私

野球が好きで野球部に入り、頑張った時もありましたが、気づけば部活も辞めて喧嘩や窃盗に明け暮れ、荒れ放題の中学時代。
今思えば自分の胸の内を明かすことが出来ない苦悩を爆発させていたんだと思います。

ある日、担任の先生から
『お前は好きな事を仕事にしたくないか?それなら高校に行ったほうがいいぞ』
と荒れた生活をしていた私に声をかけられました。

その先生の言葉が私の救いになり、
なんとかギリギリで道を踏み外さずに、私は高校に進学する事ができました。

高校時代の私

『私は父親みたいにはなりたくないと』
いう思いがどこかにあったのかもしれません。

好きな仕事さえできれば、
『父親のようにならなくて済む。』
『自分を卑下して、未来を悲観して生きなくて済む。』
こう思って私は高校に通ったのでした。

友達が変わったことで私も少しはまともになりました。
ただ勉強は相変わらずできないまま、自分の将来を真剣に考えるようになりました。

当時、自分なりに考えたことですが
父がDVを繰り返す事は、会社でのストレスも原因だったと思います。
仕事が選べなかった父は、多くのストレスを抱えていたのかもしれません。

それでも私たち家族との生活のために父は働く必要があったのかもしれません。

もしかしたら父は心の中で

『こいつらのせいで自分はつまらない人生を送っているんだ、全部こいつらが悪いんだ。』

と考えているのではないか?

時折そんな気持ちが私の心をよぎったのです。

私はそんな父を反面教師にして、自分はやりたい事を仕事にするんだ!と強く決心していました。

私は何をやりたいんだろう。


最近までこの自問自答を繰り返しながら生きてます。
私の人生の原点はこんなことから始まったのかもしれません。

私は親戚の家に預けられることが多かったので、歳の離れた幼い親戚の子供の面倒を良く見ていました。
無邪気な子供たちと遊んでいる時に、私は幼い頃の自分とその子達を重ねていました。

心配ごとはないかな?
寂しい思いをしてないかな?

そんな事を考えていたら、やりたいことは、いつからか『保育士になりたい』と思うようになっていたのです。

そんな思いは日に日に大きくなっていきました。

(そうだ子供の笑顔を作りたい。)


人生で初めて目標を定めた私。
諦めた勉強を始め、受験をして地元の短大に進学しました。

順調に夢に向かって進んでいた学生時代でしたが、2年生になり初めての保育園実習の時です。
3歳児クラスを受け持っていた私。
そんな時、子供が誤って転んで怪我をしてしまったのです。

『これだから男性は駄目なのよ』
『細かい所が全く見れてない』
『あなた、保育士に向いてないわよ』

担任の先生が私に向かって放った
言葉がこれでした。

その時の鬼の形相をした先生の眼差しが今でも私の記憶から消えません。
(鬼の形相のフラッシュバックです)
そう、まるでプロマイドを破いた酔っ払いの父のような光景が目の前に広がっていたのです。

当時は男性保育士がまだ珍しい時代で、そこは女性の職場だったのです。
(子供を産まない男なんかに保育が務まるわけがない・・・)
私は先生方からどこか白い目で見られている気がしていたのです。

分からない事を質問しても女性の実習生には詳しく笑顔で答えているのに、私にはいつもそっけない返事しかありませんでした。

私は完全に自信を喪失し、夢であった保育士を諦めたのです。
今思えば、これが初めての挫折だったかもしれません。

子供の笑顔を作りたい。
そして私は周りを笑顔にしたいと思ってきましたがこのような事から夢を諦めたのです。

しかし私は周りを笑顔にしたい。
この想いを諦める事はできませんでした。

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プロローグ
第一話 〜片親、DV。でも夢を追いかけた少年時代〜
第二章 〜挫折からの初就職。社会人になってまた挫折〜
第三章 〜いよいよネットワークビジネスの世界へ〜
第四章 〜人生の転換期はいつも突然やってくる〜
■第五章 〜物事の真理。再度ネットワークビジネスにチャレンジして解ったこと〜


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