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破壊の読書会 第5回『夢・アフォリズム・詩』 開催レポート 06.01.24

課題本はフランツ・カフカ『夢・アフォリズム・詩』(平凡社ライブラリー)。
今回はカフカの没後百年に合わせて開催月と課題本を決定しました。参加者はカフカに馴染みのある方が多かったのですが、課題本は(主催者も含め)全員初読の様子でした。

選書時はあまり意識していなかったのですが、カフカの残した手紙、日記、ノートから断片的な記述を集めた本となっており、小説やエッセイなどと比べると、やはり手に取る人は少ないのかもしれません。
記述の内容はタイトルが示す通り、「夢」「アフォリズム」「詩」の三つに分類され、それぞれパートごとに収録されています。特に「アフォリズム」のパートに大部分のページが割かれているのですが、夢日記を参加条件とする「破壊の読書会」の性質上、「夢」のパートに関する話がメインとなりました。

夢日記はどこまで「創作」か?

カフカの夢の記述については、「あまりに詳細で具体的なので、部分的に創作が混じっているのではないか?」という意見がありました。編訳者の吉田仙太郎は明らかに完全な創作と思われる夢は省いたとしていますが、同時に夢を記述することは不可能なことであるとして、夢の記述を夢を素材にした創作と見做す態度を示しています。

「夢日記はどこまでが『記録』で、どこからが『創作』なのか」という問題は、夢日記を書く全ての人にとって永遠のテーマとも言えるのではないでしょうか。夢日記を共有するイベントを主催する者として、これは避けて通れない問題であると常々考えてきました。
ここで言う「創作」というのは、「(夢から覚めた後で)想像されたもの」という意味かと思いますが、そもそも夢と想像は神経学的には非常によく似たメカニズムを持っていると言えます。

夢は想像の一種といえます。覚醒時に想像できないものは、夢の中でも想像が困難です。[中略]想像は脳の中で行われます。見たり、聞いたりする想像はそれぞれの担当の皮質、つまり視覚皮質や聴覚皮質で行われています。夢でものが見える、ということは夢でも視覚皮質が働いている、ということになります。

宮崎総一郎・北浜邦夫編著『睡眠学I: 「眠り」の科学入門』, 北大路書房, 2018 , p.111

つまり、夢は「睡眠中の脳が想像したもの」であると言うことができ、そのように夢を理解する場合、夢は(事実ではなく想像されたものである、という意味で)「創作」的な側面を持っていると考えられるのです。
夢を想像と見做す場合、起きている時の想像との違いは、「意識が覚醒状態か睡眠状態か」にあると言えます。ただ、人間の意識を「覚醒/睡眠」のように単純に切り分けてしまうような考え方は妥当ではないとする研究者もいます。
アンドレア・ロックの著書『脳は眠らない』では、睡眠学者のアラン・ホブソンが提唱した新たな意識のモデルが紹介されています。

これまではレム睡眠、ノンレム睡眠、覚醒時と、意識の状態をおおまかに三つに分類していたが、実際には覚醒時とひとことでくくっても、数学の問題を解くときのように集中して思考するときや、統合失調症患者や幻覚剤の作用を受けた人のように白昼夢を見るときなど、さまざまな状態がある。ホブソンの新しい分類では、三つの変数で意識の状態を定義する。第一は、脳波の測定で確認できる脳全体の活性レベル。第二は神経伝達物質のバランス。第三は外界の情報処理しているか(覚醒時で、外界に注意を向けているとき)、脳内で生じた情報を処理しているか(夢を見ているときや目をつぶって瞑想しているとき)だ。

アンドレア・ロック著, 伊藤和子訳『脳は眠らない 夢を生みだす脳のしくみ』, ランダムハウス講談社, 2006, pp.94-95

意識の状態を「覚醒/睡眠」で分類することは妥当ではないという見方が正しいとするならば、「睡眠中に想像したことの記述(=夢の記録)」と「夢から覚めてから想像したことの記述(=夢を素材にした創作)」の境界は、ふつうに考えられているよりも遥かに曖昧なものなのかもしれません。

実際に自分が経験した出来事を記録する通常の日記とは異なり、自分が「睡眠中に想像したこと」の記録である夢日記の記述においては、「事実をありのままに記録すること」にこだわる必要はないのかもしれません。
今回の読書会参加者にも、目覚めてから夢の続きを想像し、夢を起点に創作を行っているという方がおりました。

主催としましては、本当に重要なのは「夢をありのままに記録すること」ではなく「想像すること」であり、夢は(忙しない現代社会においては特に)「想像に使う時間を増やしてくれる」大切なものである、というふうに捉えたいと思います。
せっかく自分が想像したことを忘れるままにしておくのはとても勿体ないように感じます。寝ているときの想像を、起きているときの想像と同じように覚えられるようにすることに、夢を記録する意義があるのです。

カフカの夢体験

読書会では、カフカの夢の記述を参加者が想起した自身の夢体験と重ね合わせて読むことで、カフカの体験を追体験し、より感覚的に掴むことができたように思います。
たとえば、テレビのチャンネルを変えるようによく展開や場面が唐突に切り替わるような夢や、自分が全く知らない他人になってしまう夢を見ることがあるという参加者は、以下のような記述に共鳴するものを感じたようです。

 ひとつの夢、短い。痙攣的な短い眠りのなかで、痙攣的にわたしを呪縛する。限りない幸福感のなかで。ひどく枝分かれした夢。(1919年10月20日の日記より)

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 きのう君の夢を見ました。細かい出来事はもうほとんど憶えていない。これだけはまだ憶えているが、わたしたちは絶えずお互いのなかへ移り込んだ、わたしは君で、君はわたしだった。(1920年9月、ミレナ・イェセンスカーに宛てた手紙より)

フランツ・カフカ著, 吉田仙太郎編訳『夢・アフォリズム・詩』, 平凡社, 1996, p.53, p.78

また、まるで映画を観ているように自分自身の姿を眺める三人称視点に一人称視点が入り混じるような夢をよく見るという別の参加者の話からは、以下の記述が想起されました。

 一昨日、夢を見た――すべて劇場のこと。自分は上の天井桟敷にいたり、かと思うと舞台にいたり[中略]ある幕では舞台装置が大きくて、そのほかのものはなにも目に入らない、舞台も、観客席も、暗がりも、フットライトも。というより大勢の観客がみんなその情景のなかにいて、それはたぶんニクラス通りの入り口から見た旧市広場だった。(1911年11月9日の日記より)

フランツ・カフカ著, 吉田仙太郎編訳『夢・アフォリズム・詩』, 平凡社, 1996, p.21

梁石日による解説でも指摘されているように、カフカは心理主義には批判的だったようですが、上記の劇場の夢からは、夢を夢見者が演出家と観客の両方の役を兼ねる劇場と捉えたユングの言葉を思い起こさずにはいられません。

夢を伝える手紙

『夢・アフォリズム・詩』にはカフカが書いた夢日記のほかに、カフカが友人や恋人に宛てた手紙に書かれていた夢の記述も収められています。カフカは親しい人が出てきた夢を記録し、それを本人に手紙で伝えるということをよく行っていたようです。
そのような手紙を受け取った時の反応は人それぞれであると思われるため、これはともするとかなり勇気が必要な行為なのではないかという意見も出ました。

カフカがミレナに宛てた手紙のなかの以下の夢の記述からは、ミレナを失うことへの恐怖心や、カフカらしい不器用な愛情が感じられるという意見がありました。

 けさまた君の夢を見ました。わたしたちは並んで座っていて、君はわたしを拒みました、怒ってではなく、やさしく。わたしはとても惨めだった。拒まれたことにではなく、わたしに対して。君のことを、誰でもいい黙りこくっている女のように扱って、君の声を聞き逃したわたし自身に対して。(1920年6月15日、ミレナ・イェセンスカーに宛てた手紙より)

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 最後にわたしは怒りに燃えてわめいた、「誰でもミレナの名前を傷つけてみろ、かりに父親(わたしの父)にしたって殺してやる、さもなければ自殺する」と。そこで目を覚ましたが、それは眠りでもなく、目覚めでもなかった。(1920年8月7日、ミレナ・イェセンスカーに宛てた手紙より)

フランツ・カフカ著, 吉田仙太郎編訳『夢・アフォリズム・詩』, 平凡社, 1996, p.73, pp.77-78

ちなみに、自分が出てきた夢を記した手紙が親しい人から送られてきたらどう思うかを参加者に尋ねたところ、「夢の内容に関係なく嬉しく感じる」「別にいいと思うが、夢の内容によってはちょっと怖く感じるかも」などの反応が返ってきました。
主催は内容に関わらず嬉しく感じる派ですが、少数派だと思っていたので、自分以外にもそう感じる人がいたことに驚きました。


最後に、参加者が生け捕りにした夢をまとめます。
(※カフカの夢日記にドストエフスキー似の男が登場する夢があったので、「有名人/推しが登場した夢」をメインに聞いてみました。)

☞「刀剣乱舞」の天下五剣キャラとメイドカフェに行く夢。
☞ハリウッドザコシショウが銅鑼を鳴らしている夢(YouTubeで音声を聞きながら眠りに就いたら頭の中で映像がそのまま流れた)。
☞平沢進がTシャツ屋さんを開くことになり、本人が自宅に開店告知のビラを配りに来た夢。
☞歯が抜け落ちた矢先に次々と生えかわる夢。

[参考]

☞宮崎総一郎・北浜邦夫編著『睡眠学I: 「眠り」の科学入門』(北大路書房, 2018)
☞アンドレア・ロック、伊藤和子訳『脳は眠らない 夢を生みだす脳のしくみ』(ランダムハウス講談社, 2006)
☞スティーヴン・ブルック編、小川捷之・石井朝子訳『夢のアンソロジー』(誠信書房, 2000)

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