旧態依然のPTA、町内会を本気で変えるには

 今日の朝日新聞、読者欄にPTA活動に忙殺される女性の悲痛な声が載っていた。役員を引き受ける羽目になり、平日・土日を問わず、連日出席せざるを得ないという。PTAだけでなく、町内会も役員になれば行事のしわ寄せが仕事や生活に深く及ぶ。そのため、やむなく「クジ」を引かされ、役が当たった瞬間に泣き崩れたり、途方に暮れたりする人もいる。

 PTAも町内会も、建前上は任意の組織であり、加入は自由なはずだ。にもかかわらず全員参加が前提になっており、抽選や回り持ちで役員を割り当てられる。建前は自由参加でありながら、全員参加が原則というところがいかにも日本的だ。

 


 旧態依然とした組織の体質や運営方法が問題視され、改革の必要性が叫ばれながら、それが変わらないのには理由がある。

 一つは、改革の方向性が見えないからである。多くの人が現状に問題があると感じていても、具体的にどうするかというビジョンが描けない。
 もう一つは、本気で変えようとしないからである。それは改革のリーダーシップを取れる立場の人がいないためでもあるし、また多くの人が自分に火の粉が降りかからなければほおかむりしてやり過ごすからでもある。 
 いずれにしても、このままでは非合理な組織がいつまでも温存され、理不尽な負担を押しつけられて苦しむ人がなくならない。それではいけない。

 では、どうしたらよいか。

 まず前者については、拙著『個人を幸福にしない日本の組織』(新潮新書、2016年)で述べた民主化の三原則、すなわち「自由参加の原則」「最小負担の原則」「選択の原則」を徹底することである。

 そもそもPTAにしても町内会にしても、海外では私が調べたかぎり日本のように半強制的に参加を押しつけるものない。また国内でもPTAを完全ボランティア制に改革したところや、武蔵野市のように町内会がなくボランティアが地域活動を担っている自治体もある。

 つぎに、後者についていえば、参考になるのが「働き方改革」である。周知のように、わが国の長時間労働や厳しい労働条件は長年にわたって問題視されながら、改革は遅々として進まなかった。ところがここへきてようやく、残業の削減や休暇取得などが進みつつある。

 その背景には、深刻な労働力不足がある。労働条件を改善しなければ人が集まらないし、せっかく採用しても辞めてしまう。だから企業も本腰を入れるようになったのである。宅配便の配達指定の見直しや、ファミレス、コンビニの24時間営業一部廃止などはその象徴だ。

 経済学者のハーシュマンは、組織のメンバーが不満を解消する方法には「告発」(うったえること)と「退出」(出ていくこと)の2種類があると述べた。しかし現実には、上述した「働き方改革」の例が物語るように、「退出」という選択肢がなければ「告発」は無力である。

 したがってPTAや町内会も、脱退者があいつぎ、組織が維持できなくならなければ本気で改革に取りかかろうとはしないだろう。そもそも有無をいわせぬ役職の割り当てという、人権侵害に近いやり方が今日まで続けられてきたのは、「任意参加」という建前の存在、すなわち退会の自由があることが前提になっていたからだ。だったら、勇気を出してその最終手段を使ってみようではないか。
 もう、錆び付いた伝家の宝刀を抜くしかない時期にきている。

「個人」の視点から組織、社会などについて感じたことを記しています。