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一番遠い者が一番近い

昨日ある人から「息吹さんは、クリエイター(の女性)が合うと思います」と言われました。この前書いた「リア充」の話です。一般の女性は相手としてあまり合わないように見えるみたいです。確かにそうかも知れません。前に書いたことと矛盾するかも知れませんが、クリエイターはどこかに安住してはいけないような気がするのです。というか、安住できない生き物のように思われます。
そういえば、僕は前から自分の理想的な恋愛の形として、中島みゆきさんの「炎と水」という歌に描かれる2人をイメージしてきました。歌詞を調べてもらえれば分かりますが、私(=女性)を「炎」、あなた(=男性)を「水」に喩え、「私たちは互いに誰より遠い」けれど「いちばん遠い者がいちばん近いの」と歌います。お互いがお互いを傷付ける存在でありながら、唯一お互いを癒やせるすべを、それとは知らずに持っている者同士である、と。そして、お互いが自分であろうとすればするほど、互いは互いを必要とする。求め合う。何故なら「私たちはあまりにひとりでは担いすぎる炎と水」だからなのだ、とそういう内容です。

ふわっと包み込んでくれる、優しく癒やしてくれる、故郷のような、母親のような存在。それとは正反対な、完全にぶつかり合うしかない存在。でも、無視したり、避けたりすることがどうしてもできない存在。お互い魂のエネルギーが強すぎるが故に決して1つにはなれない。ぶつかれば火花を散らすしかない存在。それなのに求め合ってしまう。そういう関係であり、そういう関係になりうる人が、僕の求める人なのでしょう。
一緒にいようとすれば火花を散らし、安定を求めようとすれば対立する。お互いが表現者であることを認め合い、リスペクトし合うからこそ、譲れない大切な部分があることを知っているし、ずっと同じ場所にとどまれないことを知っている。お互いを大切に思うが故に、最後は別々の道を歩まざるを得ない。そんな関係です。しかし、2人が一緒にいた日々と、散らした火花によって2人の中に注ぎ込まれたエネルギーは、それぞれの作品として結実するのです。それは2人が出会い、ともに過ごした日々がなければ決して生まれ出ることのないものです。
そして2人は別れ、やがて別のエネルギーを持った存在に出会う。
その繰り返しです。

現実はこんなに綺麗にはいかないでしょう。本当に僕と別のクリエイターが交際したり同棲したりすれば、お互いの魂がボロボロになることは容易に想像がつきます。「何でこいつと一緒にいるんだろう」とお互いが思うでしょう。日々のぶつかり合いは精神を消耗させ、病さえ引き起こすかも知れません。2人が一緒にいる理由を探そうとして激しく抱き合い、求め合って、それでも何もつかみ取れない。静かで激しい地獄の毎日です。そんなハードなものに僕は絶えられるでしょうか。
ですが、一方で、僕が普通のよき恋人、よき夫、よき父親になれるとも思いません。そんな自分が想像できないのです。クリエイターなどというと格好いい肩書きですが、しょせんはヤクザです。クリエイターの社会的地位を上げたいとか、社会貢献をして、それでちゃんとお金を貰って生活したいとかさんざん書いてきました。それは嘘ではありません。しかし、それはあくまでもパブリックな立場としてのクリエイターです。周りと協力しながら、しかし最後は我を貫き通す。そんなものです。だからクリエイター同士はお互いの最高の理解者になれると同時に、最もお互いを激しく傷付け合いもするのです。

クリエイターとは何と厄介な存在なのでしょう。何かを表現しようなんて思わなかったら、人生はもっと喜びと安寧に満ちたものになっていたかも知れません。ですが、それを捨ててでも表現せずにはいられない。自分ではどうにもコントロールのきかない「熱」を僕は持ってしまいました。
だから、僕はやはり同じような、でも相容れない「熱」を持っている人間と出会うべきなのです。いや、そうなるしかないのです。
一番遠いけど、一番近い存在。
出会えるのかな、この人生で。

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