夢亡き世界 第14話
「今日はこれくらいかしら」
クロミヤの声をユメはサイバーメディカルの床に這いつくばりながら聞いていた。目の前にベールがかかり気がつくとDLFの自室にいる。
ベッドに倒れ込むと涙が流れた。どうしてこんなことになってしまったのだろう。
クロミヤと対決した日から三カ月がたち生活は一変してしまった。
あの日、DLFで意識を失って倒れたらしい。目が覚めたときにはすべてが解決していた。ホシダとシマは潜入任務としてイシベをサイバーメディカルに戻したそうだ。
ナオミは意識を失ったユメを気づかいつつも裏方としてサポートしたらしい。
それからはいつもの日常に戻っていた。ユメただひとりを除いて。
毎日クロミヤの力で、きまぐれにサイバーメディカルに連れ去られる。DLFで過ごしていると突然目の前の世界にベールがかかる。すると気がついたときにはサイバーメディカルにいる。
呼び出されるのは、いつも同じ部屋だ。そこで夢の力をぶつけられる。必死に応じるが、いつも勝つことはできない。
クロミヤによる夢の力をなんとか避ける。それが今のユメにできる精いっぱいだった。
あるときは、いきなり猛獣が目の前に現れてけしかけられる。別の日にはむせかえるような暑さの中、汗ひとつかかないクロミヤに攻撃をしかけられたこともあった。
気がすむまで延々ともてあそばれてからDLFに返される。そのときに世界が逆再生され頭の中に鍵をかけられる。
するとサイバーメディカルで過ごした時間はユメの中にしか存在しなくなる。どうしても自分の身に起きていることが伝えられない。
そしてどれだけ長い時間いなくなっても誰も気づく気配がない。
時計をなんども確認した。毎回DLFに戻ると、クロミヤとどれだけの時間を過ごしても一分たりとも経過していない。
あるときはみんなと食事を取っているときに呼び出された。しかし戻ってきても誰も異変に気づいていない。そのまま会話が続けられていた。
時間を超える能力。目指すべき能力によってユメは日々翻弄されていた。
「明日は夜に呼び出すと思う。サイバーメディカルの仕事が立て込んでいるから」
いつものようにもてあそばれ這いつくばっていると、クロミヤは仕事の予定を伝えるかのように淡々と告げる。
「私に恨みでもあるんですか」
「まさか。あきらめてこっちに来てほしいだけ。恨みがあるなら、こんな回りくどいことはしない。思ったより粘り強いのは困ったものだけど」
クロミヤはしばらく考え込む。その隙をつけるほど甘い存在ではないことをユメはとっくに自覚している。
「あの日、DLFで起きたことだって教えてあげてもいいのに。いつまでも意地をはってもしかたないでしょ。信頼できない人と過ごしてもつらいだけなんだから」
その言葉を最後にユメはDLFに戻された。
クロミヤはDLFでの出来事も知っている。事あるごとに真相を教えるといって、こちらにひきこもうとする。
確実にクロミヤはDLFとも関係があるはずだ。そもそもDLFが敵とみなしているサイバーメディカルの社長が夢の力を使っている。それなのに誰もそのことについて指摘しない。
なんとかしなければ。その想いのみで、ユメはDLFにとどまり続けていた。
DLFでは、ユメの瞬間移動の能力を鍛える方針を打ち立てた。DLFでの任務、つまり夢の力に目覚めた人をサイバーメディカルから救うのに役に立つという判断のためだ。
ユメはホシダとともにエレベーターに乗る。屋上のボタンを押すと扉が閉まり動き出す。
エレベーターが動く音に耳をただ傾けていた。
「今日は五メートルの瞬間移動ができるか試してみよう」
ホシダの呼びかけにただうなずく。
エレベーターに到着して屋上に出ると、空は曇っているが蒸し暑かった。
ホシダは屋上の中央へと向かって歩いていく。立ち止まるとこちらを振り返る。
「じゃあユメさん。そこからここまで瞬間移動してみて。昨日は三メートルに成功したから大丈夫!」
何も考えず、ただ目線を遠くに向ける。ベールが目の前にかかり、ホシダの隣に立つ姿を想像する。ベールがなくなり横に目を向けるとホシダが笑顔を浮かべていた。
「さすが! これくらいの距離なら問題なさそうだね。今日はこの距離でなんども試してみよっか」
すると、またホシダは距離を空けて夢の力を使うように指示する。なんども同じように夢の力を使ってホシダのもとに瞬間移動をすると、その都度褒めてくれる。
「ようやく夢の力に目覚めたね。でも油断しないで。使い方は無限にあるから徐々に慣れていこう。無理をすると漆黒にもなりかねないから」
そんなことわかってる!
叫ぼうとしても声が出ない。クロミヤから夢の力の使い方を嫌というほど味わった。
ホシダの想像を超えた夢の力を使ってみようか。クロミヤとの戦いの中で見いだした夢の力の使い方を示せば、気づいてくれるかもしれない。
ユメは目線を遠くにして夢の世界に入ろうとする。しかし目の前にベールはかからない。さっきは、あれだけ簡単に夢の世界に入れたのに。
これもできないのか。背筋が凍り絶望感が広がっていく。クロミヤとの日々を伝えようと思う行動は、どれも制限されていた。
「大丈夫? ちょっと早いけど今日はおしまいにしよう。今のところ任務はないから、ゆっくりやっていこう」
ホシダたちが用意する訓練は、とても愛があった。丁寧にユメの心境を気づかって決して無理をさせない。漆黒になりかけたせいかもしれないが、それにしても緩やかだ。
早々に屋上から離れる。ホシダが図書館に行こうと誘ってくる。気乗りはしないが、心配をかけたくないため一緒に向かうことにした。
図書館の奥の机ではナオミが漫画を読んでいた。
「ユメさん! 今日の訓練は終わり? だったらこの漫画読んでみない?」
ナオミが差し出した漫画の表紙には体の右半分が機械になった人間が描かれている。
「ありがとうございます。あとで読んでみますね」
漫画を受け取り笑顔を向ける。うまく笑えているだろうか。実はもう漫画に限らず、図書館にある作品を見ていない。想像の世界に想いをはせる。そんな余裕はなかった。
「……うん。読み終わったら感想を聞かせて」
ナオミは机に戻り、別の漫画を読み始める。その表情を見て自分がうまく笑えていなかったことに気づいた。
いたたまれなくなり本棚の間に逃げ込む。背表紙をながめているが、文字は頭に入ってこない。
「なにかおすすめの本でもあったかのう」
急に声をかけられて驚く。本棚の陰からシマが顔をのぞかせていた。
「いえ。なんとなく見ていただけです」
シマが近づいてきて小声で話しかける。
「もう少しナオミ殿の話を聞いてはあげられないか。気丈にふるまっているが、まだイシベ殿をサイバーメディカルに戻した傷は癒えておらん」
シマの助言を聞いてもすぐにうなずくことはできなかった。たしかに心配はかけたくない。それにナオミに寄り添いたいという気持ちもある。しかし奥底にどうしても小さな疑問が生まれてくる。
本当に傷ついているのだろうか。
たしかに今までのナオミと比べると元気がない。しかし、ただそう見えるだけのような気がしてならないのだ。ホシダたちも同じだ。彼らも自分やナオミを気づかっている。しかし本心がわからない。
ヤマモトが総帥という言葉を出した途端、ナオミらは変わってしまった。今まで持っていた疑問が霧のように消えていき、いつもの彼らに戻ってしまった。
もちろんみんなイシベの件を覚えている。その出来事がきっかけでナオミは元気がない。
しかし今のユメにとって、ただのおままごとにしか感じられなかった。
彼らはおままごととして、それぞれの役柄に本気で臨んでいる。そんな感覚だ。演技が真にせまっているためナオミは傷ついているように見える。しかし、それはあくまで演じているだけ。
おままごとの世界に入りきれない自分はずっと居心地の悪さを感じている。クロミヤとの戦いを伝えられない思い。おままごとの世界に居座る気持ち悪さ。内と外、両方から自分がすり減っていくのを感じていた。
「もういいです」
ユメの声がいつもの部屋に響き渡る。
六カ月。真剣勝負とおままごとを繰り返す日々が始まって六カ月がたっていた。
夢の力はクロミヤとの戦いを繰り返す中で強くなった。しかし、それでもクロミヤとの戦いの日々で光明は一筋も見つからない。
ようやく反撃の隙を見つけても、見透かされたかのように避けられる。翌日にはまた違う攻め方をされ、ただ受け止めるだけの日々に戻る。
その日は精神攻撃を受けたからかもしれない。おままごとの日々に限界がきたのかもしれない。
思わず口をついて出た。しかし言葉にした瞬間、今の自分を見事に表現していることに気づく。
そうだ。もういいのかもしれない。
なんのために自分は戦っているのだろう。ナオミのかたき討ちのため? でも傷ついているナオミは本物なのだろうか。
自分の気持ちもわからない。そもそもクロミヤとの戦いは、向こうから勝手に始めたものだ。無理やり戦わされて必死に対応しているだけだ。
そこに自分の意志はない。
確かに夢の力は強くなっている。自分が望んでいたものを手に入れた。しかしこの力は自分のものなのだろうか。
「もういいっていうのはどういう意味」
クロミヤの言葉に感情が感じられない。いや感じ取れないだけかもしれない。
それすらもどうでもよかった。
「意味なんてないです。サイバーメディカルに戻ります」
今の生活はどこに終わりや正解があるのかわからない。だったらクロミヤの望むままに過ごしたっていいじゃないか。
少なくとも今のおままごとの生活からは抜け出せる。
「そう。まあこちらとしては目的を果たせるから願ったりかなったりだけど。でもいいの? このままDLFから離れれば、彼らはあなたを助けにサイバーメディカルに来るんじゃない」
「そうなっても社長がどうにかするんでしょう」
一瞬ホシダたちの顔が浮かんだが、返事をしたときにはすでに頭の中から消えていた。彼らが助けにくるかなんて興味がない。
どんなことが起きたとしても、クロミヤがすべて解決してしまうだろう。力量の差は嫌というほど肌で感じてきた。
「まあそうね。でも来るたびにビルが破壊されたらたまったものじゃない。……それならこっちであらかじめ手を打たせてもらうわ」
クロミヤの言葉を聞いて胸の奥に小さな棘が刺さる。彼らの今後ががらっと変わってしまう感覚がする。
しかし、その感覚は無力感に上書きされて消えていってしまった。
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