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人生の半分はゲームでできている #1~ドラゴンクエストの遺伝子

この世にゲームがなければ、人生の楽しみの半分はなかった。

普段は手帳やエッセイ、哲学的な話を書いているが、私は生来きってのゲーマーである。

noteでは一度、自己紹介代わりにゲーム人生をまとめた記事を書きたいと常々思っていた。
魔王討伐くらい長い道のりでよければ、お付き合い願いたい。

幼少期…ドラゴンクエストの遺伝子

視力の悪化でメガネをかけ始めたのが、小3か小4の頃だった。
その一因として、親からこのような証言がある。

「だってあんた、小さいときからお父さんがマリオやってるの、テレビの前でずーっと見てたでしょ」

確かに、父がファミリーコンピューター(ファミコン)の「スーパーマリオブラザーズ3」をプレイしていたのは記憶に残っている。
9面のクッパがいるマップになると画面が赤黒くなって、地獄のような光景を幼心に正視できなかった。

母が「テトリス」を全面クリアして、花火が打ち上がった瞬間も居間のテレビのそばにいた。
妹を含め、我が家はゲーム一家だった。

最も印象深いのはやはり、ドラゴンクエストだ。

その昔、攻略サイトは存在しなかった

我が家の初めてのドラクエは、ファミコン版の2だった。
父が会社の同僚から借りてきたものだ。

ファミコン版のドラゴンクエストはドット絵のせいで、時折おどろおどろしいものに映った。

当時のドラクエ2の攻略本には「くさったしたい」系とスケルトン系のモンスターを軒並み鉛筆で塗りつぶした痕跡がある
鉛筆が「どうのつるぎ」だったのだろうか。

同時に、物心つかない頃から惹かれる要素はたくさんあった。

仲間が揃うまでのフィールド曲「遥かなる旅路」のピコピコ音、ムーンブルクの王女の愛らしい紫の髪、「みずのはごろも」という形状不明の美しい服、「マンドリル」に会うとだいたいサマルトリアの王子が死ぬこと、「じゅもんがちがいます」……。

攻略サイトという概念がなく、攻略本にも最低限のことしか書かれていなかったあの頃を振り返り、父は「2の紋章探しが一番大変だった」とぼやいていた。

紋章は仇敵ハーゴンがいる神殿への道を切り拓くために必要なアイテムだ。
確かに、何のエフェクトもない塔の床で「なんと! ○○○のもんしょうをみつけた!」という文言を見ること自体が奇跡に思える。

おきのどくですが

3以降のドラクエは、親が買うようになった。
ファミコン版のドラクエ3といえば、我が家ではやはり「牛乳事件」だ。

実家の居間と台所の境目あたりにブラウン管テレビがあり、親はその間にファミコンを置いてゲームをしていた。
ケーブルは短く、通路にロープが張り巡らされているような状態だった。

「おさるのもんきち」のプラスチック容器で牛乳を持ち運んでいた私は、うっかりそのケーブルに足を引っかけ、中身を盛大にファミコンにぶちまけてしまったのだ。
親がドラクエ3をプレイしている最中に。

当然、画面は歪み、奇妙なピーだかプーだかという高音が鳴った。旅の扉に入ったわけでもないのに。
ほどなくして画面は真っ暗になり、お決まりの文言が現れた。

「おきのどくですが ぼうけんのしょは きえてしまいました」

このとき、両親から怒られた記憶は全くない。思えば寛容な親だった。
現在息子が同じことをしようものなら、私も夫も「何やってんの!?」とキレ散らかすだろう。

「おきのどくですが~」はしばらくの間、幾度となく目の前に現れることになる。

「ひいてはいけないカード」を混ぜたのは誰だ

ドラクエ4からは、親の「ぼうけんのしょ(セーブデータ)」を写してプレイするようになった。

乱暴に扱ったつもりがなくても、ファミコンのカセットは繊細すぎた。
起動して呪いの音楽とともに「おきのどくですが~」が流れる瞬間は、毒の沼地と屍にまみれたアッテムト鉱山より恐怖だった。
すぎやまこういち先生が遺した音楽でも、呪いのSEだけは「なんでこんなん作ったの?」とお聞きしたい。

もうひとつ印象深いのは、4の仲間キャラ・占い師のミネアが武器として扱う「タロットカード」だ。

主な武器は「ぎんのタロット」なのだが、純銀製なのだろうか。
投げつけてナイフのように敵を傷つける光景を想像すると、商売道具としていいのだろうかと首を傾げる。

タロットカードは戦闘中に「どうぐ」コマンドで使うとランダムな効果が表れる。
「たいよう」のカードは味方全員のHPが回復し、「とう」のカードは敵全体に稲妻でダメージを与える。

このなかには、本来のタロットカードにない絵柄が1枚存在する。
「ひいてはいけないカード」だ。

引くとどうなるか。
敵味方問わず、問答無用で高確率で死ぬ。

敵が消えるのはともかく、味方のウィンドウが瞬く間に血塗られた色に染まっていく。
ドゥン、ドゥン、ドゥン、ドゥン。
「○○たちは ぜんめつしてしまった!」

実際のタロットカードで「塔」や「運命の輪」の逆位置を引くより絶望する。
こんなカードを誰が混ぜたのだろう。堀井さんか?

内気で怖がりだったためか、思い出すのはトラウマ級の要素ばかりだ。
それでも幼少期の数々のドラクエ体験は、後に産まれる息子にもしっかり遺伝子として受け継がれることになる。

本エッセイは連載形式で更新予定です。
今後のおおよその内容は下記をご覧ください。
更新ごとに随時リンクを貼ります。

#1 幼少期…ドラゴンクエストの遺伝子 ←今ここ
#2 小学校低学年…「こんや 12じ」が来るのがこわい
#3 小学校高学年…ドラゴンクエスト3~そしてFFへ
#4 中学生…JRPG黄金期と、親不孝のときメモ
#5 高校生…「あんたまたやってるの?」
#6 専門学生…スーパーファミコンで念願のタクティクスオウガ
#7 20代…天空の漢たちから見出した夫
#8 30代前半…FGOを本気で面白いと思っていたあの頃
#9 30代後半…コロナ禍と「恋の凶器」、FF16で泣いて原神にキレる
#10 現在…アトリエシリーズ返り

※ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。




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