べつにエッセイストでもなんでもないんだから
憧れの文章と現実
noteを始めてもうすぐ2年になりますが、私は決して文章が上手くありません。
日頃noteをはじめとするWeb記事、書籍を読んでいると、自分の文章は「たどたどしい」「幼い」と常々思います。
noteでフォローしている方だけをみても、「○○さんみたいに書けたらいいな」と思える方が何人も浮かびます。
流麗な文章、緻密な文章、親しみのもてる文章は、いつも私の憧れです。
時折ジェーン・スーさんのような軽妙な文章にしてみたくてエッセイを書いているものの、近頃はいざ書こうとしてもなんだか力が入ってしまって、上手いことを言おうとしてスベるときのうすら寒い気持ちに襲われます。
別アカウントで運営している『テラス手帖』は個の私ではないのでさほど悩みませんが、それでも時折まだまだだと痛感します。
ならどういった文章を書けたら、私は満足するのか。
前にnoteのイベントで「書く習慣」の著者・いしかわゆきさんが話していたことをふと思い出しました。
こんな感想を書き留めておいたのに、結局研究していません。
ですが特定の方は迷わず挙げられます。
松浦弥太郎さんです。
「信頼できる先生」のような文章
松浦弥太郎さんは元『暮しの手帖』編集長で、現在は執筆活動のほか、Webサイト「くらしのきほん」の編集長も務められています。
20代の頃、コンビニで『今日もていねいに。』をなんとなく手に取って以来、生き方や考え方を尊敬している方です。
誰しも、学生時代に信頼していた先生がいると思います。
そういった先生はきっと教え方も上手で、易しかったはずです。
弥太郎さんの文章も同じで、漢字をかなに開いたり、断定口調よりも諭したり、ときに問いかけてきたりします。
著書を読み終えるたびに、良質な講義を受けたような充実感を呼び起こしてくれるのです。
ただ、理想の文章があっても、同じ文章を書けるはずがありません。
人間そのものが違うから、そもそも無理な話なのです。
仮に似せて書いても、どこかで「自分」が混ざってしまい、劣化コピーになってしまうかもしれません。
弥太郎さんの文章は指標として「こんな風に書けたらいいな」と思っておくことにします。
もっと素直に書けばいいんじゃない?
自分の文章について考えていると、ある曲の一節が蘇りました。
ドラマ『花より男子』の主題歌だった、宇多田ヒカルの曲「Flavor Of Life」。
切ない雰囲気が好きで、今でもここの歌詞が印象に残っています。
たぶん、私自身「大好き」と口にすることが多いからなのでしょう。
君らしさ=私らしさを考えたとき、ふっと肩の力が抜けました。
そうだ、私らしい言葉で書けばいいんだ。
変にカッコつけなくても、背伸びしなくても、普段の私の言葉を素直に綴ればいい。
べつに、エッセイストでもなんでもないんだから。
なんでもない私を書こうと思えたら、自然とノートパソコンを開いていました。
上手くなくてもいいから、素直な文章を綴りたい。
すくなくとも、このアカウントではそう在りたいです。
※ヘッダー画像はぷんぷんさんよりお借りしました。ありがとうございます!
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