謙虚であるために心がけていること
ある人に影響を受けて、なるべく心がけているのが「謙虚であること」だ。
謙虚には、卑屈でも謙遜でもない慎ましさと、一歩自分を遠目に見ている冷静さがある。
もちろん人間である限り、調子に乗ったり心が乱れたりもする。
錦鯉のまさのりさんのように「のりのり♪のりのり♪」と不思議な踊りを踊ったり、地下鉄でかかとを踏んできた人に対して「踏んだら謝ってください」と静かにキレたり。
そんな私が、検索やAIに頼らず自分で考えた「謙虚であるために心がけていること」を公開してみる。
こんなことを投稿すること自体、謙虚ではないのかもしれない。
だけど、心がけているのはいわば「なりたい自分」のあらわれだ。
決して聖人君子ではないからこそ、自戒を込めて記事にしてみた。
心がけていること
・感謝を忘れない
…おごっているときほど感謝を忘れている。ひとつの目安。
・わざと人の嫌がることや嫌な感じのことを遠回しに言わない
…当然のこと。
・無理な幸せアピールをしない
…本当に幸せを感じている表現と、幸せアピールの違いはなんとなく分かる。
アピールの裏には満たされていない心がある。
・平常運転
…『得意のときにおごらず、失意のときにゆったり構えよ』という格言がある(出典不明)。
どんなときもフラットに戻るのが大事。
人生の先輩も「自然がいちばんだよ」と言っていた。
・当たり前はないと思っておく
…ありがたい、恵まれていることに感謝。
何事も当たり前でないから「有り難い」と思える。
・恨みつらみは頭の中から追い払っておく
…こういうのが頭の中にあると、おかしな考えが浮かんで感情的になる。
言葉遣いも物騒になる。気づいていない人が多い。
・自分がしてもらったことを忘れない
…人は自分がしたことより、してもらったことを圧倒的に忘れているのだそう。
何かの折に「人にしてもらったことリスト」を作るのもいいかもしれない。
・完璧じゃない、人間という生きものを自分を含めて赦す
…かなり偉そうに聞こえるかもしれない。なのでどういう意味なのか、ほかの項目より掘り下げてみる。
人は往々にして、自分にも人にも期待しがちだ。
がっかりして(されて)、下手すると縁を切ったり切られたりする。
もしくは自分のだめなところを許せない。
自分に厳しいと人にも厳しくなるため、まずは自分のだめなところを受け容れる。何年かかってもいいから。
そうすると、かなり紆余曲折するかもしれないが人のことも赦せるようになる。
もちろん、許せない人は許さなくていい。あきらめて、なるべくなら忘れる。
その分、自分も誰かから許されないこと、目をつぶってもらっていることを忘れない。
◇
手帳に挟んでいる内容を、所々細かく言及してみた。
色んな痛い目を見てきたから、あるいは温情をかけられてきたから、こうして言葉にできるのかもしれない。
※ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。
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