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「異端なスター」と紐解く私の半生

最近Official髭男dismの「異端なスター」という曲が気に入っている。ミニアルバム「レポート」に収録されている曲で、Youtubeではライブ動画が視聴出来る。

簡単に説明すると、人気者、スターといった華々しい人生とはおよそ無縁の、「何者でもない」人間への歌だ。

この曲を聴くと、大げさかもしれないが歌詞と相まってこれまでの自分の人生を思い出す。
先日誕生日を迎えたこともあり、今回は「異端なスター」と一緒に私の半生を紐解いてみることにした。

いい子をやめたかった

「平等だ」って嘘ついた 頭を撫でられ喜んだ
いい子になんてならないで!

この曲を聴いて最初に響いたのは1番のサビだ。私は一時期ずっと、「いい子をやめたい」と思っていた。

ねえ聞いて
面白くなけりゃダメで 見た目が良くなきゃダメで
そうやって選ばれたスター 人気者さ

学生時代、クラスに必ず1人や2人は人気者がいた。面白おかしいことをして皆を笑わせたり、誰からも好かれたりする子。自分には縁遠いポジションだった。

私は基本的におとなしく、成績はそこそこいい方(高校では中の下くらいに下がった)。社会人になっても、仕事には熱心に取り組んでいたし上司からも頼りにされていた。
けれど人間関係は下手くそだったし、自分が万人受けするタイプの人間ではないと悟っていた(そもそも、誰からも「嫌われない」人間などいないのだが)。

いい子をやめたかったのは、ひとえに私が「怒る時に怒れない」人間だったからだ。

高校一年の時に、学校祭用になんでもランキング付けをするアンケートが回ってきた。項目のひとつに、「どうでもいい人」という失礼極まりないものがあった。

「いい人=どうでもいい人」とは一体誰が考えたフレーズなのだろう。アンケート用紙を手に、近くにいた複数の男子が私に視線をよこしてニタニタしていたことを今でも覚えている。先生の指導が入ったのか、幸い学校祭当日貼り出された模造紙にそのようなランキングは見当たらなかった。

専門学生の時も、気弱な私は同じ学科の別専攻のクラスから度々小馬鹿にされていた。当時のクラスメイトには、「怒るような場面でも笑ってすませちゃうよね」と指摘された。

HSPの気質故か、争いごとになるくらいなら自分が我慢して事なきを得る、その繰り返しだった。

悔し涙を隠して笑って
これが「人生」だなんて 醜いリアルだ

何でもなかったふりをして笑えたらまだマシな方で、たいていは人目をはばからず泣いていた。それは社会人になっても続いて、一部の友人も、上司も、そんな私と長年付き合ううちに辟易していった。

本当はいつも、腹の立つ人間に頭の中で仕返ししていた。しかるべき時に怒れるようになりたかった。人の顔色ばかり伺ってないで、誰かを堂々と嫌えるようになりたかった。

後に現在の夫と出会い、私は悲しい時に怒れるようになった。
感情を抑制してきた私と違い、夫はしっかり反抗期を経験し、経歴から感情のコントロールに長けていた。その上私が信頼出来る倫理観の持ち主で、許せないことにはっきりと怒れる人間だった。夫のそばにいることで、私は怒り方を学んだのだろう。

とはいえ、まともに怒りを表現してこられなかった人間の怒り方は不器用だ。それこそ醜いので割愛したい。

怒りとの付き合い方にも以前よりは慣れ、嫌いな人を堂々と嫌えるようになった(意地悪をするとか幼稚じみたことではない)私は気づいた。
そもそも自分はただのいい子ではなかった。礼儀を重んじ、いい人間で在りたいからそう振る舞っていただけ。
心の中では、いい子の自分も、悪い子の自分も同時に存在していたのだ。

「幸せになって」へのモヤモヤ

「幸福だ」って意地張った 悲しくて1人泣いていた
そんな夜から逃げないで

2番の歌詞を口ずさんでいたら、このフレーズをどう受け取っていいか分からなくなり、喉が詰まって歌えなくなった。おそらく、これも自分の人生で引っかかる出来事があったからだ。

私は「○○ちゃん(私の名前)には幸せになって欲しいから…」とか、「幸せになってね」と言われるのが苦手だった。

今のままでも十分幸せなのに、そんな言葉をかけられるほど私は不幸せそうに見えるのか? と猜疑心が芽生えたのだ。きちんと交友があり、信頼している人に言われるからこそのショックだった。

言われた時はモヤっとしたし、実際に反発したこともあったが、今振り返ると、当時の私は客観的に見ていたたまれない様子だったのだろう。不幸せだ、かわいそうだと思われる(かもしれない)のが嫌だったのは、やはり意地があったのかもしれない。

本当は悲しかった。失恋なり、育児の苦労で疲弊した姿を相手に見せてきた。だから言葉をかけてくれた人たちは、私が決して幸せではない姿を知っていた。

純粋な厚意を突っぱねて、でもやっぱり悲しくて涙したことをなかったことになんかしないで、そのまま受け入れればいい。きっとそういうことを歌ってくれたのだろう。

自分で掴み取った人生だから

『愛情求めさまよった天真爛漫なディザスター』
そんな自分が好きなら胸張っていいから どうか 歌って

たくさんの悲しみを垂れ流しながら生きた私は、他人からしたらまさに迷惑極まりないディザスター(災害)だったかもしれない。

退社する直前の私はボロボロで、会社の人たちから総スカンをくらうことをしでかした。退社日に「邪魔くせえ」と言われたこともあった。

子どもが産まれてからも、色んな人に頼って、迷惑をかけて、役所で「誰も助けてくれない」とわめいたこともあった。母子通園していた所の先生にもしょっちゅう話を聞いてもらった。

とほほで無様なことばかり述べたが、その分いいこともたくさんあった。

こんな自分だけど、今の人生はたくさんの人の支えや温情と共に、自分が行動を起こして掴み取った自信がある。
もっと胸を張って生きてもいいんだ。スターでも何でもない、ただの異端者だけど、そもそもこの世の人たちはみんな異端者みたいなものだ。

君なら出来るから
どうか 歌って

いい子になんかならないでと叫んで、悲しくて泣いた夜も連れて行けばいいと教えてくれたヒゲダン、ありがとう。5年前、10年前の自分にも、この歌を届けたかったな。



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