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「言語」と「強い建築」

表現の世界には作品の世界観を創る「言語」がある。映画やアニメ作品などの映像作品が分かりやすい。ひと目見て「この作品だ!」だと鑑賞者に理解させたり、作品の世界を体験しているかのように引き込むための装置のようなもの。エレメント(要素)などとも言われることもあり、作品世界の構成要素のことを「言語」という。

例えばディズニー映画なら、特徴的なキャラクターデザインとクネクネした独特の動きがディズニー映画として成立させている(あの独特の眉の動きとか、口の表情とかも)。また、作品毎に変わる世界観は、西洋、中東、アジア、北欧など、作品の世界観に合わせて衣装や建物のモチーフなどが細かくデザインされている。ストーリーや演出については、その時代に合わせて「今の時代に対するディズニーの回答はこれです。」とうまく調整されている印象。

「ブレードランナー」の世界を作っているのは、空飛ぶ車、スチーム、雨と濡れたアスファルト、たくさんのネオンの街並みといったところだろうか。
スケッチ:水谷元

映像作品に限らず、建築の世界にもこの考え方は当てはまり、エレメントで建築や空間を徹底的に構成することを「統合性」などと呼ぶことがある。エレメントは、素材、ディテール、寸法など様々で、統合させるための徹底したデザインのことを「言語化」などと言ったりもする。その世界(作品)を「言語化してよ!」と頼まれた時の意味はエレメントのデザインのことを指すと理解している。映像作品でいうと、作品の設定集などがよく発売されるが、キャラクターやメカデザインなどの設定化のことかと思う。

安藤忠雄ならば、コンクリートを打つ時の型枠は1820x910(サブロク板)の横使いとか、スチール部分は亜鉛メッキのリン酸処理とか、柱の型枠はスパイラルの型枠とか、片持ちの廊下の先端はアールで凹ませるとか、照明器具はドイツのBEGAとか、縦樋は2本とか…ひとつひとつのエレメントで安藤建築の世界は統合・成立している。また、これは「作家性」の体現につながる。

サブロク板の横使いの型枠、左から、BEGAの照明、2本並べた樋、リン酸処理の手すり及びサッシ、張り出した廊下のアールに凹んだ先端、スパイラルの型枠の柱。自分で描いてみたらめっちゃ安藤忠雄で笑った。スケッチ:水谷元

隈建築ならば、木のルーバーとか、隈さんが「粒子」と呼ぶパラパラと貼られた木や石などの無垢素材や工業製品のマテリアルとか。

「負ける建築」なのに、隈研吾という「強い建築」であることが隈建築の面白いところで、諸条件や敷地の文脈や計画の背景には徹底的に「負ける建築」なのに、隈建築という「強い建築」であること。依頼主の立場からは負けてくれるから依頼しやすく、隈建築という強いメディアを手に入れることができるという建築家ビジネスとしてのシステムが出来上がっている。

自分の好みの建築は分かっていても、独立して間もない頃は「統合性」や「作家性」が確立できていなかったったし、プロジェクト事に様々なことを試してみたいという気持ちの方が強く、その度に依頼の内容や依頼主の好みや街や敷地周辺のコンテクスト(背景や文脈)を読み解きながら、その度に異なる回答・デザインしてきた。

WHY(なぜ)、HOW(どうやって)、WHAT(なにを)を自分になりに建築を通した問題解決手段を説明できるようにはなったが、実際に立ち上がる建築やそこでの空間体験は自分の強い個性がまだまだなく、「強い建築」には至っていない。

独立して事務所を構えて11年目に入り、年齢は40代に突入した。建築家において若手と呼ばれる最後の10年が遂にスタートした。

これまで手掛けてきた空間を成立させている言語を振り返る時期ではないかと、そんなに数は多くないが最近考え始めた。今でも気に入っている、あの素材やあの表現、それを成立させている細かいディテールなど、もちろん気に入っていないものも原因を含めてもう一度捉え直してみる時期かもしれないと…。

エゴと言われるかもしれないが、独立して一人で生きていく覚悟をしたのだから、「ハジメ建築」だとすぐにわかる体験や表現を持った「強い建築」がそろそろ必要だと感じ、メンバーシップのPLOTを通してまとめていければと思っている。

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