水谷元について(2020.01.21更新)
水谷元(みずたに・はじめ)のプロフィールや活動についてまとめたページです。お仕事の依頼や作品についてはatelierHUGE公式サイトからお願い致します。
建築家になった経緯
父である建築家・都市計画家の水谷頴介(みずたに・えいすけ)の仕事の現場に幼少期に触れたことがきっかけで建築家を志すようになりました。父の職場にある模型やスケッチを見て「遊んでいるのにお金をもらっている!」という素直な子供心が理由です。1993年(享年58歳)に父が他界し、父の書棚で建築や都市の専門書を手に取るようになり、早く建築を学びたいという一心で工業高校の建築学科に進学しました。単身で子育てをする母は忙しく、また父の友人知人とも疎遠になっていましたので大学進学への進路を計画する余裕もありませんでした。高校3年生の頃に教員から建築学科の高校生を対象にした『住宅アイデアコンペ』に入賞すれば無条件で進学できる大学があることを聞かされ、入賞して大学に進学します。読書や課題提出を通して建築を学びましたが、人より早く建築を学んだ自尊心から大学教育に不満を覚え、卒業設計を提出しながら中退という道を選びました。父の尊敬する建築家である村野藤吾の『在野精神』の言葉に影響受けたのも理由です。その頃の思いは『都市の解る建築家』になることでした。中退後は神戸市の都市計画事務所に2年間勤め、福岡市に戻ってからはいくつかの設計事務所に勤めました。住宅設計や公共施設や商業ビルの設計を通して実務を学び、2011年に友人の小さなBAR“Fresh Coffee & Natural Wine ECRU.“の設計を依頼されたことをきっかけに独立して現在に至ります。
建築に対する思い
都市計画やまちづくりの知識と実務の経験もあるので、単体の建築設計のみならず、総合的な都市の有様を模索する『アーバン・デザイナー』として活動することを目標としておりました。現在は初心に戻り「都市の解る建築作家」をテーマに設計活動を行なっています。
・幼少期を含めた体験を通した独創的な空間体験を創造すること。
・都市地域生活の基盤となり暮らしを豊かにする空間を創造すること。
・社会や地域全体を総合的に捉えて全体に作用する空間を創造すること。
以上の3つが用途を問わず設計を行う上の基本的な考えになっています。
都市(神戸・福岡)と能古島について
幼少期は学校の長期休暇などを利用して父と母の地元である神戸市と能古島を行き来する生活でした。能古島では海や山の自然に囲まれながら友達と昆虫採集や磯遊びをする生活を、神戸では富裕層の暮らす阪神間の文化と日雇労働者と商店街で賑わう下町の文化の両方に寛容な文化に触れました。都市と田舎を行き来する中で育ったそれぞれの生活に対する客観的で寛容な視点が自分にはあるように思います。現在は物理的に都市から切り離された島を拠点とすることで生まれる客観的な視点が作品に大きな影響を与えています。神戸と能古島の記憶はどちらも私にとって大切な原体験です。
公式プロフィール
水谷元(みずたに・はじめ)/建築家
水谷元建築都市設計室/1981年兵庫県神戸市生まれ/福岡県福岡市の能古島育ち/九州産業大学にて森岡侑士に師事し、2004年に中退/2011年に独立/著書に『現在知 Vol.1 郊外その危機と再生』(共著:NHK出版)、『地方で建築を仕事にする』(共著:学芸出版)、臨海住宅地の誕生(編集協力:新建築社)、日本建築学会2018年-2019年建築雑誌編集委員
さらに詳しい水谷に関する情報は『地方で建築を仕事にする』に執筆しております。