映画レビュー(3)「ランド・オブ・ザ・デッド」

「ランド・オブ・ザ・デッド」(2005)監督ジョージ・A・ロメロ

(2005年 08月 30日 「読書記録゛(どくしょきろぐ)」掲載)



 本家ロメロのゾンビである。このブログでも以前取り上げたが、凡百のゾンビ物とは違いますな。
 基本的にロメロのゾンビは、閉塞状況を作り出すための道具に過ぎない。そして、ゾンビである必然性は、生きている人間の「グロテスクな心」と、外見はグロテスクだが、内面は極めて無垢(食欲しかないですからね・笑)な存在であるゾンビとを対比させるためである。
 映画を通して、最後には、のそのそしているゾンビより、裏切ったり争ったりする人間の敵の方が怖い、と感じるのである。
 つまり、ロメロの映画の中で、一番罪のない奴はゾンビたちなのである。笑。
 しかし、今回は新機軸がある。ゾンビの中に道具を使い、武器を使う、少し賢い奴が現れたのである。しかし、これはどんな役割を持っているかというと、賢いゾンビはより怖い、ではなく、むしろ悲しいと言うこと。
 今回の作品はまさしく、911以降のゾンビだと言うことなのである。

 冒頭、主人公達がゾンビの徘徊する廃墟に突入して、食料などの物資を調達するシーンがある。ここで、主人公達は、花火を打ち上げる。
 花火の音と美しい光に、ゾンビは注意を逸らされ、動きを止める。それはまさに、花火に魅入られて空を見上げる幼子のようなのだ。
 そして、その無抵抗で動きを止めたゾンビ達を人間たちが雄叫びを上げて破壊していく。
 少し賢いゾンビは、それを見て泣くような叫びを上げる。

 ここが重要だ。ゾンビが初めて感じた感情が「悲しみ」であり、それが「怒り」になって、人間の町に押し寄せてくるのである。

 911以後、テロとの戦いで示したアメリカの行動。怒りと憎しみとを増幅させただけのアメリカに対しての、ロメロの強い怒りと抗議が伝わってくるのである。
 しかもそれを、説教くさいドキュメントではなく、ホラーというエンターテイメントのスタイルできっちりと伝えて見せる

 今回もまた、ロメロは、エンターテイナーとしての才能と同時に、表現者としての勇気をも示して見せたわけである。
 それは、ベトナム戦争当時の第一作「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のエンドロールで、まるでソンミ村で撮影したかのような写真を使ってみせたのと同じ勇気であろうと思うのだ。
ランド・オブ・ザ・デッド ディレクターズ・カット


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