映画レビュー(1)「フォーン・ブース」

「フォーン・ブース」(2004)監督ジョエル・シューマカー

(2005年 02月 26日「読書記録゛(どくしょきろぐ)」掲載)

 契約を取るためなら嘘もつきまくり、妻がいるのに新進女優パメラを狙うパブリシストのスチュ。そんな彼が公衆電話ボックス内で鳴った電話をとったことから謎の男に命を狙われることに。しかも男は電話を切ったらスチュを狙撃するし、自分の存在を誰かに明かしても狙撃するという。はたしてこの男の目的とは? そしてスチュの運命は!?

 これはすごい映画である。何がすごいと言って、まずシナリオが抜群にうまい。主演のコリン・ファレルもうまい。一発でファンになった。

 サスペンス映画として最高傑作であることは言うまでもないが、俺が感心したのは作品のテーマがすごく普遍的なこと。以下、少しネタ晴れだが。
犯人のスチュに対する要求は、金でもなければ人の命でもない。自分の醜さ、尊大さ、卑しさ、を妻と恋人に大衆の面前で告白させることである。
 最初は自分の命のため、そして物語の後半は、周囲にいるすべての人間の命を守るため、スチュは「ちっぽけで矮小で劣等感に満ちた」自分の真実の姿を告白する。
 クライマックス、犯人がスチュに自分の商売がインチキであることを告白しろと脅す。スチュは警官隊とマスコミの前で、それを告白する。「俺のために、よく告白したな」という犯人の嘲笑に対して、命令に従って告白したのではないと言うシーンがある。
 スチュは死を前にして、妻に自分の本当の姿を告白し、さらにそれでも愛していますと告げたかったのだ。それは犯人の脅迫でもなく、命乞いのためでもなく。
 この物語が感動的なのは、このスチュの告白が、どんな撃ち合いや格闘よりも、「勇敢で尊い」ということが、我々自身の心に響くからである。

 人が成熟するということは、自分を客観的に直視し、その長所も短所も把握した上で、なおかつ自分を卑下することなく、ありのままに認めることである。
 だが、自分の心の弱さ、醜さ、この当たり前のことを素直に受け入れることのなんと大変なことなのか。
 この物語の事件は、一人の人間が「すべての人間が持っている、知っているけど認めたくない自分の姿」を直視するという、苦痛に満ちた、しかし、勇気ある行為の暗喩なのである。

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