廃校になった母校を「酒の学校」に。紫波町ではじまる、酒づくりを通じたまちづくり
2023年夏、岩手県紫波町で廃校を活用した「はじまりの学校」というプロジェクトがはじまります。
紫波町は南部杜氏発祥の地として知られる酒のまち。そんな酒のまちで、町全体をひとつの醸造場と捉えて、新たな酒文化を醸していくプロジェクトの拠点が「はじまりの学校」です。
このnoteでは、まさにこれから立ち上がろうとしている「はじまりの学校」についての情報を発信していきます。
記念すべき第1回目は、「はじまりの学校」の自己紹介からさせてください。
「はじまりの学校」は、代表の黒沢惟人(くろさわゆうと)さん、紫波町役場の須川翔太(すかわしょうた)さん、伊東唯(いとうゆい)さんの出会いをきっかけに生まれたプロジェクトです。立ち上げのキーマンとなった3人に、
「はじまりの学校とは何か?」
「どんな経緯ではじまったの?」
「どんなことをしていくの?」
など、「はじまりの学校」の事業内容やはじまった経緯についてインタビューしていきます。
【プロフィール】
「はじまりの学校」とは?
――まずはそもそものお話からうかがいたいのですが、「はじまりの学校」はどんな事業なんですか?
黒沢惟人(以下、黒沢):「はじまりの学校」では、大きく3つの事業内容を考えています。
1つ目は、醸造施設を設けて、さまざまな醸造家にお酒を造ってもらう醸造事業です。紫波町の酒造業者との酒造りはもちろん、町内の生産者がつくる原料での酒造りや、県外の醸造家や専門家の監修やサポートを受けながら、多種多様なお酒を造っていく予定です。
2つ目は、造ったお酒を楽しんでもらうための販売と飲食事業です。3つ目は、醸造をもっとディープに楽しみたい方に向けた、酒造りと宿泊をセットにした体験事業です。
――ひとつの醸造施設に複数の醸造家が関わるのが特徴的ですね。そこに至ったのはどうしてですか?
黒沢:自分がいち消費者としていろんなお酒を楽しみたいのと、醸造のことを知る機会が少なくて、もっと造り手側との接点がほしいなと思ったんですよね。
――飲み手と造り手の距離をもっと近づけたいということですね。
黒沢:そうです、そうです。紫波町には日本酒の酒蔵だけで4蔵あって、ワイナリーもあって、サイダリーも2つあって、酒造りの拠点が7つもあります。背景として、ぶどうやりんごの生産は盛んだし、田んぼもあって、水も山もあって……食料自給率が170%あります。
――えっ!? 170%!?
黒沢:そう、100%を超えて人口に対して作りすぎくらい作ってる。
黒沢:豊かな自然があって、日本酒、ワイン、シードルなど、さまざまなジャンルのお酒が造られていて。まさに紫波町は酒を造るために存在しているような町なんです。だから、純粋に造り手が増えないのはもったいない。あとは、多様な造り手を増やしていくことが、歴史の背景的にもいいのかなと。
――歴史の背景ですか?
よそ者を受け入れて発展した紫波の歴史
黒沢:唯さん(伊東さん)、得意分野なのでバトンタッチ。
伊東唯(以下、伊東):いきなり(笑)。紫波町役場の伊東です。紫波町は「南部杜氏」発祥の地なんですね。
――南部杜氏とは?
伊東:南部杜氏は、日本最大規模を誇る酒造りの集団です。越後杜氏、丹波杜氏と並ぶ日本三大杜氏のひとつでもあります。江戸時代に近江商人が酒の製造技術を紫波にもたらして、南部藩のバックアップを受けた杜氏たちによって「南部流」の酒造りが全国へと広められていった歴史があるんです。
――紫波町にそんなルーツが。
伊東:南部杜氏が生まれる原点になった村井権兵衛という近江商人がいます。その方は言ってみれば近江(現在の滋賀県)から来た「よそ者」で、たまたま紫波に来て、なんかここ酒造りに良さそう!と言って紫波を拠点にしてくれたらしいのです。
南部杜氏によるお酒の文化と共に、紫波町は発展していった。その歴史があるから、紫波町には「よそ者が新しい価値を生み出すことを応援し、それを受け入れる」風土があると私は考えています。
――それが「はじまりの学校」が町内だけじゃなく、いろんな醸造家やプレイヤーを受け入れるモデルにつながっていると。
伊東:たまたま被ったっていうのも正直あるんですけど(笑)。
伊東:南部杜氏の歴史を改めて紐解いたら、南部杜氏のルーツを生み出した村井権兵衛が大阪から酒造りの職人を連れてきて、紫波の農家の人たちに酒造りを教えていたことを知りました。
それまで飲み手だった人が酒造りに関わる機会ができると、飲み手と造り手の距離がぐっと近づいて、お酒を飲む人も造る人も増えていった。「はじまりの学校」でも南部杜氏が生まれた頃の時代と似たことをしようとしていると気づき、そこからさらに村井権兵衛を意識し始めました。
――そうなると、新しいプロジェクトなんだけど、ルーツとしては「南部杜氏が生まれた」頃の時代からあったもの。
黒沢:そうなりますね。飲み手と造り手の循環が生まれてほしい。だから、「はじまりの学校」の「はじまり」は、飲み手が酒造りに関わる「はじまり」でもあるし、造り手が自身の酒を造る「はじまり」でもある。要は、飲み手と造り手、町内の生産者や事業者、もっといえば地域を超えて、理解者たちと一緒に酒の輪を作っていきたいんです。それが酒産業の持続化につながってくれたらいいなと。
――お酒の醸造や販売をする場所というより、酒を起点としたコミュニティをつくるような事業なんですね。
「本心で地元を誇れるか」と立ち止まった
――「はじまりの学校」はどんな経緯ではじまったんですか?
黒沢:「はじまりの学校」の前身となる「SAKE TOWN SHIWA」プロジェクトを須川さんと一緒にはじめたのがきっかけでした。なので、須川さんから。
須川翔太(以下、須川):紫波町役場の須川です。きっかけは2015年ですかね。2015年に紫波町役場で企画課に異動になって、移住担当になったんですよ。当然のように町に住んでくれる人を増やさなきゃね、みたいな話になるわけです。そのとき、なんで移住者を増やさなきゃいけないんだっけ?と、ふと立ち止まって考えることがあって。
紫波町に人が来てくれるのは嬉しい。でも、そもそも俺が紫波のことをほんとにいいと思って、本心で「いいところなんで、紫波に来てください」って言える町じゃないと、ただの嘘つきだなと思って。移住って人生のすごい決断なのに。
――まずは、自分が紫波町のことを誇れるのかと立ち止まったわけですか。
須川:そうですね。僕は紫波の出身で、この町で生まれ育った人間です。だから、まずは一緒に育った県外にいる自分の友達に対して、「紫波に戻って来いよ。いま超楽しいから」って言える町を作ろうと思ったんです。
須川:で、紫波町の本当にいいところってなんだろう?と考えたとき、南部杜氏発祥の地という歴史もあって、紫波町民にとって「酒」が一番のプライドなんじゃないかなと思うようになって。
――紫波の人はそんなにお酒が好きなんですか?
須川:酒でやることに関して、町民は誰も反対しないんで。酒のことはみんなが応援する(笑)。
――すごい町ですね(笑)。
須川:ただ、今と同じやり方を続けても、酒の産業がジリ貧になっている現実がある。南部杜氏は冬季の出稼ぎが主流でしたが、それも時代に合わなくなってるなかで、昔のレガシーに頼って意味もわからず「南部杜氏発祥の地」と言ってるのはよくない。だからルーツを尊重しながら、南部杜氏の文化を今の時代にリニューアルさせたいと思ったんです。
――南部杜氏の文化を守る責任があるからこそ、時代に合わせて変化すべきだと。
須川:そうそう。2016年に、紫波町の地域おこし協力隊の活動支援をしていた黒沢さんと一緒に「SAKE TOWN SHIWA」プロジェクトをはじめたのもその一環です。町内の酒造業者に大学生のインターンを受け入れたり、ツアー事業やPR事業を行ったりしていました。
黒沢:このプロジェクトを3年間やって、まわりからの評価はあったんです。ただ、酒産業の現状に大きな変化をもたらすことはできなかった。
――なにが課題だったんですか?
黒沢:学生や事業者をサポートするだけでは、事業の規模感が広がらないなと。そのとき、いよいよ自分たちで場をもって、ハードを絡めながら事業を展開しないと根本は改善しないなと思ったんですよ。「酒のまち」を強烈に推進する拠点が必要だよね、と。
須川:ちょうどその頃、紫波町でショックな出来事があって…。2019年に紫波町内の7つの学校が一気に廃校になることがわかったんです。
――7校が廃校……。
須川:そうなんです。自分が通っていた水分小学校も廃校になって。唯一救いだったのは、紫波町長が廃校は取り壊さずに事業で使うと宣言してくれたことですね。
――母校がなくなるのはショックですね…。
須川:そのとき、「水分小学校の廃校活用だけは絶対に俺がやりたい。いや、俺以外のやつにはやられたくないな」と思って。そこから、水分小学校で「はじまりの学校」をはじめる構想へとつながっていきました。
紫波町は自分のほしい町を自分で作っていける
伊東:ちょうど私が役場に入った頃で、よく覚えています。須川さんとふるさと納税の返礼品撮影で酒蔵さんを巡った後、小学校の前を通ったときに、「ここさ、俺の母校なんだけど、もうすぐ廃校になるんだ。だから酒の学校にしようと思うんだけど、どう思う?」と聞かれて。
酒好きの私は単純に楽しそうだなと思って「やりましょうよ、できますよ!」って何の根拠もなく答えてしまいまして(笑)。町の人はみんなお酒が好きですし、紫波の豊かさを象徴するものでもあったから、やったほうがいい!と直感で思いました。
須川:唯さん(伊東さん)に話した後、黒沢さんにもこのアイディアを話したら、「やらない理由がないですね」って言ってくれて。このプロジェクトに価値を感じてくれる民間事業者がいるならば、オガールプロジェクトの次の一手として公民連携の新しい事業を生み出せるかもしれない。
周りのみんなに背中を押されて自分がこの事業の担当になりたいと課長に直談判しました。そこから、町内の酒事業者などを交えた委員会を設立し、民間事業者とのサウンディングを進めながら「酒の学校」事業の基本計画を練り上げていきました。
黒沢:約2年後、空き校舎利活用の事業者公募が始まったので、新しい会社を創ってすぐに応募しました。「SAKE TOWN SHIWA」プロジェクトが終わった後、もっと酒にコミットしたいと考えていたので当然の動きでした。
須川:黒沢さんとは常々、「オガールは一個上の世代がやってるし、次は俺らの番だな」と話していたんですよ。「SAKE TOWN SHIWA」プロジェクトではできなかった、ハードを絡めた事業がまさに「はじまりの学校」でした。ハードを絡めてインパクトを生み出さないと紫波の酒産業の未来を変えられない。そんな気持ちでとにかく進んできました。
黒沢:オガールプロジェクトは紫波町における「町づくりのOS(基礎となるプログラム)」だと思っていて。
――町づくりのOS?
黒沢:紫波町は公民連携(官民協働)でのまちづくりを掲げていて。オガールプロジェクトをきっかけに町の人と役場が一緒に町づくりを実現していくモデルが定着したんです。結果的に、町の人が自分のほしい町を自分で作っていける環境がある。
――民間主導で町づくりを進められるようになったと。
黒沢:今回も元々学校だった公共施設を使うわけで、オガールが生んだ「公民連携のまちづくり」というOSに、「酒」という昔からあるアプリケーションを乗っけて、もう一回大切に磨いていこうとしてるのが「はじまりの学校」なんです。
須川:今回も廃校の活用が決まったあとで、酒の事業をいきなりやると言っても唐突なので、まずは町全体でムードを作っていくことを考えました。それが、2022年に町として公式に出した「酒のまち紫波推進ビジョン」という宣言です。
――どんな内容の宣言なんですか?
須川:100年後に100の醸造関連事業者を生み出すことを目標に掲げて、「酒と共にある暮らしを大人も子どもも愉しむまちをつくる」という宣言で。ただ、その宣言を出すまではけっこう葛藤があって…。
伊藤:紫波町のみんなにとって「紫波町は酒のまちです」なんて言っても目新しさもないし、そんな宣言ひとつで何も変わんねぇよ、みたいなことをずっとボヤいていて。私が「いやいや、絶対に変わりますよ。言うだけでも全然違いますから」と一生懸命説得しました。
町の意思が伝われば、動いてくれる人が紫波にはたくさんいるのを知っていたし、紫波町のタウンプロモーション担当者として、行政と市民が通じ合うためのコミュニケーションの必要性をわかっていただく責任がありました。
須川:行政側が思ってることを口に出すって大事だよなって、怒られて気づきました。行政として、これからこういう風に町を育てていきたいって、正式にちゃんと発信したほうが町の人の共感も得やすいというか。
――実際にビジョンを宣言したあと、周りからの反応はどうでした?
伊東:すぐ酒のまちになりました(笑)。「こんなに早くなるの?」っていうぐらい、いろんな変化が起き始めたんです。いち早く賛同してくれる方々のおかげですね。紫波の人たちは本当にすごいんですよ!
――どんな変化が?
伊東:町内の事業者がイベントで「紫波町は酒のまちです」と冠をつけてイベントをはじめたり。旅行会社から「酒のまち」をテーマにツーリズムを組みたいですとか、メディアでも「酒のまち」と紹介されはじめて。テーマが明確に定まって、各所で一気に動く方向性が決まったような感覚でした。
須川:ほんとにありがたいことです。更に「酒のまち」なんだから自分もお酒の説明をできるようにならなきゃと思ったのか、自分の周りで利き酒師の資格をとる人が急激に増えた(笑)。
――町の人もその宣言を喜んでくれたんですね。
須川:たぶん、やりやすくなったんですね。「なるほど、行政のスタンスはそうですか。じゃあ、安心して『酒のまち』を押していきます」みたいな。
伊東:昨日も役場の窓口に「あの…お酒を造りたいんですけど…」と訪ねてくる人がいて。
――役場に酒を造りたい志願者が(笑)。
須川:お酒に関する事業者を増やしたいという明確な目標を掲げて以降、とにかく町のあちこちで新しい動きが出てきています。
黒沢:そうした盛り上がりがあるなかで、「はじまりの学校」が酒のまちを推進する拠点として、飲み手と造り手をつないでいったり、いろんな人を巻き込んでいく存在になれたらと思っています。
酒造りは「クラフト」と「ファクトリー」の間にある
黒沢:そこから「はじまりの学校」をどんな施設にするか、具体的に構想をはじめました。計画をまとめるのに丸1年かかりましたね。
――どんなところが大変でしたか?
伊東:この2人の視点が真逆で、最初は衝突しました。黒沢さんは消費者寄りの考え方で、翔太さん(須川さん)は行政だから産業振興寄り(造り手寄り)の考え方なんですよ。事業をどちらかに振り切るべきかで揉めたというか。
――飲み手と造り手、どちらに向けた事業にするかで悩んだんですね。
黒沢:そうですね。僕としては「はじまりの学校」は、造り手主導じゃないことこそが一番の強みになると思っていて。
――造り手主導じゃないことが強み?
黒沢:造り手は職人やアーティスト気質で、それ自体はすごくリスペクトしています。ただ、そこを突き詰めると、商品も人間関係も造り手個人や家業の範疇を超えるのが難しく、事業としてスケールしない。自分が思う、酒造りのおもしろさって「クラフト」と「ファクトリー」の間にあることだと思うんです。
――「クラフト」と「ファクトリー」の間?
黒沢:酒造りは製造業の二次産業でありながら、工場生産と違って、農家が作る原料や醸造家の意思決定で酒のニュアンスが大きく変わるクラフトの要素が大きい。規格やマニュアルが決まっていても、人の匙加減によって左右される可変性のある産業だからおもしろいと思っていて。
須川:黒沢さんって、人が出てこないと興味がなくて。人との関わりしろというか、変数が生まれてほしい人なんですよ。「コミュ障なのに人が好き」という(笑)。
黒沢:やめて、やめて(笑)。昔っからへそ曲がりだとは言われてたんですけど。
須川:酒自体というより、人とお酒を飲むという場や関係性が好き。
黒沢:でも、4人以上では飲みたくない(笑)。
――人の関わる余白がある二次産業という点に興味があるんですね。
黒沢:実家は岩手の県南で、そこは大手メーカーの工場がたくさんある工業誘致エリアなんですよ。父親や弟や同級生もずっと二次産業で働いていて。自分の家族や地域背景としても、どこかで二次産業に関わりたいという思いがありました。
ものづくりにすごい価値を感じる一方で、工場で働くだけでは満足できないと思う自分もいて。そんなとき、紫波町で酒造業者の人たちと関わるなかで、杜氏がいて原料があって再現性が保証されない仕事に「製造業だけど、これってクラフトじゃん」とおもしろみを感じたんです。
――そのとき、酒の事業に携わりたいと思ったんですか。
黒沢:そう。ただ、そう思ったときに、酒産業に関わりたいのに新規参入できないし、やりたくても道が見えない。いち消費者としてこのまま酒がなくなったら純粋に嫌だ、困るというのもある。だから「はじまりの学校」も関わるきっかけというか、参入できるスキームがないことが不満だった感じですね、きっと。酒産業は、純粋にビジネスとしてやれば、もっと成長すると思っているので。
伊東:黒沢さんは酒産業が継続的なモデルになるために、「どうやって売るか」をきちんと考える。翔太さん(須川さん)は行政の視点から造り手や事業者を増やしたいと考えている。民間は民間で目先の利益を出せる事業じゃないといけない、行政としては何十年〜百年後を見据えて考えなきゃいけないという時間軸と目線がズレるなかで、計画をまとめる作業が大変でしたね。
――伊東さんが2人の目線合わせを往復して…。
伊東:まあ私が結構ちょこまかとお節介を焼く係なので(笑)。お互いに意見を戦わせてたんですが、議論を重ねて、結果どちらも大事だよねっていうところに落ち着きました。
須川:黒沢さんも俺も共通して、飲み手と造り手をつなぐとか、シームレスにするみたいなのが好きなんですよ。合ってるかわかんないけど。
黒沢:合ってます、合ってます。
須川:飲み手と造り手、それぞれのボトルネックになってることを解決したいと思っていて。見てる視点は違ってるかもしれないけど、やりたいことは一緒なんです。自分は造り手を大切にしながら飲み手側とのハードルを超えたいと思ってるし、黒沢さんは飲み手が何を求めているかの視点から造り手側へのアプローチを考えてるし。それがお互いわかってからはスムーズになりました。
伊東:2人が合わなかったのはそこくらいで。あとは、立ち上げに関して課題がいっぱい。
黒沢:課題しかない。醸造免許とれないじゃんとか。金どうするの?とか、法律的に大丈夫なの?とか。とにかく前例のないプロジェクトなので、税務署の職員も困ってました。
伊東:前例がないからアドバイスしたくても誰もできない状況で。けど、3人いるから分散して困難を受け止められてるみたいな。
黒沢:1人だったら精神的に詰んでますもん。ほんとに大変なプロジェクトですよ。
――これから本格的にスタートする「はじまりの学校」が楽しみです。最後に、「はじまりの学校」がどんな事業に育ってほしいと思っているか、どんな期待を持ってるか、それぞれの言葉で聞かせてください。
長男から聞いた将来の夢
――伊東さんからお願いします。
伊東:「はじまりの学校」のロゴは、はじまりを意味するカギカッコの左側(「 )が積み上げられたデザインのモチーフになってるんですね。カギカッコの終わりがないデザインは、未来を予想できない楽しさというか、人生何が起こるかわからないワクワク感を表現していて。まさにそんな施設になればいいなと思っています。
伊東:そのワクワクに共感する人にどんどん集まってきてもらいたい。酒の造り手じゃないド素人3人がフロントなので、初心者でも来やすいと思うんです。純粋に挑戦してみたいと思ってくれる人に来てほしいですね。
――ありがとうございます。須川さんは?
須川:いや、これ言っていいのかな…。
須川:長男が小6なんですけど、小学校の最後に「将来の夢」をプレゼンするという授業があって。そこで、長男が「将来の夢は杜氏になりたい」と話してて(笑)。
――将来の夢が杜氏!!
須川:町内の蔵の情報、南部杜氏の歴史、大学はどこに行ったらいいのか、どこの蔵に行けば酒造りを学べるか、みたいなのも話してたんですけど。
須川:こんな公務員の子供が、杜氏になろうなんて普通思わないというか。酒造りをやれなんて1回も言ったことないし。だけど、少なくともうちの家庭の中では酒造りが魅力的な職業に見えているようで。つまり、そういうことがしたい。
伊東:我が家もそうなんです。小学3年生の娘も将来お酒を造りたいと言っていて、日本酒とワインで迷ってる(笑)。紫波町で育つ子どもならではの悩みですよね。夏休みの自由研究も「酒粕の活用法」でした。そんな子がどんどん出てきて、酒産業の魅力に気付いてくれる人が増えたらいいなと思います。
須川:将来は自分の息子が「はじまりの学校」で働いてくれたら嬉しいし、そこからどこかに飛び立ってくれてもいい。「はじまりの学校」がお酒の業界を魅力的に見せて、紫波町という町を魅力的に見せてくれる存在になってほしいですね。いろんな人がそこに集まって、育って、飛び立ってくれるみたいな、そういう人が1人でも2人でも多く出てきてくれたらいいなって思ってます。
――黒沢さんはいかがですか?
黒沢:そのためにも、ちゃんと産業化しないといけなくて。まず酒産業の産業規模を純粋に増やすことが必要だと思っています。要は、「はじまりの学校」としては稼ぐことに誠実に向き合わないといけない。
紫波における酒産業の事業規模が、現状4億円。それを10億円規模まで成長させる。10億円になると、ざっくり100人くらいの雇用を生み出せる計算になります。そういう規模感をちゃんと狙って事業をしていくことが重要だと思ってます。結局、何となく「町おこしっていいよね」みたいな感覚だと、結局そこに関わる人たちが飯を食えない。希望だけ与えて、具体的な選択肢を提示できないのが嫌なんです。
だから、「はじまりの学校」では、将来的に10億の売上をつくって100人の酒関連で飯を食っていきたい人を受け入れられる事業にするのが目標ですね。
――ありがとうございます。3人がそれぞれ違った視点や想いを持ちつつも、同じゴールを目指していることが伝わります。飲み手と造り手どちらを大事にするか、ビジネスとして稼ぐことと理想の町づくりをすること、一見矛盾するような両者のバランスをとりながら一歩一歩進んでいっている印象で、3人のチームワークのよさを感じるインタビューでした。
伊東:はい、バランスは素晴らしいと思います。我ながら(笑)。
――いい話が聞けました。今日はありがとうございました。
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