江戸から18代続く米農家が、100年後の農業を守るため植えた「はじまりの酒米」
「はじまりの学校」第一号となるオリジナル商品、「はじまりのお酒」が誕生しました。
紫波酒造店が、地元・水分産(紫波町水分地区)の水・米・酵母を使い、100年前の製法「酸基醴酛(さんきあまざけもと)」で醸した日本酒は、やさしい甘みと奥深い酸が特徴の食中酒です。
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そして、なんとこのお酒! 地元の農家・吉田辰巳さんがこのお酒のためだけに、はじめて酒米づくりに取り組み、その酒米で仕込んだチャレンジングな日本酒なのです…!
江戸時代から18代続く、農家の長男として生まれた吉田さん。一度は就職し、実家の農業を継がないと決めていた吉田さんは、あるきっかけで地元に戻って農業を継ぐことに。
なぜ地元に戻って農家を継ぎ、酒米を育てるに至ったのか?
吉田さんと酒米との出会い、「まじわり×はじまり」の物語についてインタビューしていきます。
【プロフィール】
稲穂を見つけた瞬間のうれしさ
──今日はよろしくお願いします。まずは、はじめて酒米を育てた今の心境から伺ってもいいですか?
吉田辰巳さん:ちょうど今、育てた酒米がお酒になるのを待っている状態なんです。(※インタビュー時はお酒の完成前)
娘の結婚式を待つ、お父さんみたいな気持ちですね(笑)。楽しみでもあり、若干の緊張もあり。
──やっぱり緊張しますか?
酒米を作るのが初めてだったので、しっかり育つか不安でした。でも、どうにか大きく育ってくれて、穂を見つけたときは嬉しかったですね。
──稲に穂がなった瞬間ですね。
田んぼに稲の様子を見に行くのが毎朝の習慣で「本日は異常なし!(穂がまだ出ていない)」と確認して帰ってくる。ある朝、田んぼの脇道を軽トラで運転しているときに、遠くから穂らしきものを見つけたんです。思わず急ブレーキでキキーッ!と車を止めて。
──車から降りて、一目散に田んぼまで確かめに(笑)。
早朝の田んぼで、1人興奮して「ほらほらほら!!あるよあるよ!!」って言いながら記念に写真を撮って。我が子の誕生を迎えるように、心の中で「こんにちは、山田錦」と伝えました(笑)。
──吉田さんのうれしさが伝わってきます。
そうですね、まずは安心してホッとしました。自分だけじゃなく、近所の農家さんも一緒になって穂が出る瞬間を楽しみに待ってくれていたので。あと、今回酒米を育てるなかで、この地域が酒米づくりに適していることがわかったことも大きな収穫でした。
──というと!?
紫波町の北上川流域は、ミネラル豊富な保水性が高い土壌で、酒米を育てる土質として合ってるなと。実は、寒さや風に弱い山田錦を東北で栽培することは、これまで難しいとされてきました。それが近年になって気温も上がり、酒米に適した天候に変わってきたんです。
──東北は酒造りが盛んですが、これまでは酒米の栽培には不向きだったんですね。
なので、酒米づくりは新しい挑戦になる。最近では北海道で山田錦を栽培する話もあったりしますが、本州における北限は一関らしく(2022年4月時点)、その北限が紫波町に変わって将来的に酒米の一大産地になったら夢があるなと。
──町ぐるみで「酒のまち」を推進する紫波町に、酒米を育てる人が増えたら理想的ですよね。
「はじまりの学校」に集まってくる醸造家のなかに、絶対に変態がいると思うんです。こんな酒を造りたいからこんな酒米を作ってくれとか、無農薬の酒米がいいとか。そんな醸造家に対して、「原料は吉田に任せてよ」と自信をもって言えるようになれたらなと。
──造り手と一緒になって酒米を育てていきたいと。
そうですね。酒米の品質を上げるというアプローチで、紫波町の酒づくりを盛り上げたいと思ってます。
実家には帰らないと決めていた
──農業に携わる前は、関東圏で別のお仕事をしていたと聞きました。紫波町に戻り、農業に携わろうと思ったのはどうしてですか?
就職して10年程は鉄鋼関連の大きな会社で働いていて、ここで働けば将来安泰だろうなと思っていました。ただ、ときどき頭の片隅に、じいちゃん、ばあちゃんに幼少期から刷り込まれた記憶が蘇ることがあって……。
──ほお!どんな記憶が!?
小さい頃からじいちゃん、ばあちゃんたちに「おめはんはな、この家の家辺持ち(えへんもち)なんだから将来は農業を…」と言われて育った記憶がこうフツフツと…(笑)。江戸時代から18代続く農家の長男として生まれたので、後継ぎを期待される田舎の長男あるあるなんですけどね。
──幼少期を思い出すことが度々あったんですね。
ただ、親父やお袋は「お前の自由に生きなさい」という感じだったので、10年間は自分のやりたいように働いて、今の妻と出会って子供も生まれて。実家には帰らないとはっきり決めていたんです。
──農家を継ぐつもりはなかったと。そんな吉田さんが、どうして実家に戻ることになったんですか?
5〜6年前に、この地域のリーダー的な1人の農家さんが亡くなったんです。親父と本当に仲の良い人で、学校から帰ってくると「おう、お帰り!」となぜか我が家にいて出迎えてくれるんですよ。何だったら我が家で夕飯を食ってるほうが多い(笑)。それぐらい親しい方でした。
──小さい頃から親しかった方がお亡くなりに…。
この人さえいれば、この地域の農業は安泰だろうと思うほど、本当に魅力的な人でした。亡くなったとき、その人の息子は農業高校の2年生、妹もまだ高校1年生という状況で。冷静に考えて、100町歩ほどあるこの地域一帯の農業がまったく回らなくなるぞ……と危機感を覚えました。そのときはじめて、「あれ? 自分が帰らなきゃヤバいんじゃない?」と。
農業景観を100年後に残したい、そのために帰ると決めた
──そこで実家に戻るか悩んだわけですか。
そうですね。子供もいるので、そこから1年かけて真剣に悩んで、妻とも相談して帰ることを決めました。地域の農業が回らなくなる、帰らなきゃいけないと。
──個人の思いというよりも、地域の農業を守るためというか。
田んぼって、1年動かさないと土を戻すのに3年かかるんです。2年動かさないと10年かかる。田んぼは誰かが動かし続けないとダメなんです。後継者不足で人手も少なくなって、誰かがやらないと、はっきり言ってここの農業景観はなくなってしまう。それと、じいちゃん、ばあちゃんの代から「もったいない」ことばかりしてるのをずっと見てきたんですよ。
──もったいないこと?
自分の家が食う分に困らなければ、周りの人のことを考えようというスタンスなんです。例えば、近所の農家のおばあちゃんが年齢的に草刈りできないから、お前が代わりに草刈ってやれとか。小さい頃は、なんで他所の草刈りを俺がしなきゃいけないんだと思ってました。
で、ブツブツ言いながらも僕が草刈りするわけです。そうすると、手助けしたおばあちゃんが「これ少しだども」と言って、『北の国から』みたいにくしゃくしゃの千円札をティッシュにくるんでぎゅっと渡してくる。
「いいって、お金は大丈夫だって」と断っても、「ダメだ、おらの気が済まねえ」と申し訳なさそうにお礼を渡されたり、代わりに野菜を届けてくれたりするんです。そうやって、この地域の農業は回ってきたんですよね。
──助け合いのなかで地域の農業が回っていたわけですね。
昔ながらの付き合いじゃないですけど、金勘定だけじゃない、そういうつながりを失くしたくない。農業を続けるにはやっぱり人間関係と環境の維持が必要で、そこをずっとやってきた人を見てきたので。
──それで農業を継ぐために実家に戻られたわけですね。
そうですね。実家に戻って初めてわかるんですが、年齢的に農業ができないおじいちゃん、おばあちゃんも多くて、毎年3ヘクタールぐらいずつ、うちに田んぼを引き継いでほしいと相談がくるんですよ。
自分が帰ってこなくても、農業は回っていたかもしれない。でも、どこかのデカい法人にお願いしてとか、もっと違うかたちの農業になっていたかもしれないなとは思います。
──どこも後継者不足で、代わりに吉田さんに依頼がくると…。
ここの農業景観って、今まで何百年とつながってきたものだから、自分が死んだ後も誰かに引き継いでいってほしい。この農業景観を100年後に残したい、そのために帰ると決めた。言葉にまとめたらそういうことだろうなと。
紫波町の役場は酒のまちとして、「100年後に100の酒造関連業者を出す」ことを目標に掲げているので、自分も品質のいい酒米を育てることで貢献していけたらなと。今回の「はじまりの酒米」は、その挑戦への第一歩ですね。
──100年後に農業景観を残すための酒米づくり。吉田さんの酒米がお酒になるのが本当に楽しみです。今日はありがとうございました。
※インタビューの後日、吉田さんの酒米を使った「はじまりのお酒」が完成し、吉田さんから飲んだ感想をいただきました。
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