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不完全さが人生を豊かにしてくれるのかもしれない

こんにちは、Gakuです。
今回は本当の豊かさはもしかしたら身近にあるのかもと思った話です。

腰の痛みが発症して9ヶ月、日常生活に制限が出るようになり3ヶ月。
日々痛みに一喜一憂することは変わりません。
そんな中でも、未来を見て今できることを淡々とやっています。
もちろん、痛みが強い時は「なんてしんどいんだ」と思う時もあるけど、身体からの声を聞いて無理しないことを大切に毎日を過ごしています。

以前の状況はこちら↓

最近ある本を読みました。
「もし私が人生をやり直せたら」というタイトル。
韓国の著者が書いたものを翻訳して出版しているのですが、本屋で見て「あたたかそう、なんかひかれる」とピンときて、つい手に取りました。

42歳でパーキンソン病に侵された著者が、実体験から学んだ限りある時間の使い方について語っています。語りかけるような本で、コーヒーを飲みながらゆっくりと著者と対話しながらかみしめるように読める一冊でした。

著者の苦しみは想像するにあまりあるものですが、自分の体験からの学びをユーモアも交えながら語ってくださり、あたたかさと勇気をもらいました。

こちらの本です↓


これまでのあたりまえの日常を送れなくなって、自分があたりまえだと思っていたことを失って、自分の内から出てきた言葉。

「自分の人生を生きることをあきらめたくない」

これは今の身体の痛みがあって初めて出てきた言葉ではなく、これまでの人生で何度もつらい時に出てきた言葉です。

しんどい時はあきらめて楽な方に逃げたくなる、でも自分の人生を生きたい。この繰り返し。挫折しそうになる時にいかに本来の自分に戻って来れるかが大切だと思っていても、渦中にいるときは自分を見失ってしまいます。

今回あたりまえの日常を送れなくなって、自分を取り戻して前に進むには他者の力が必要だと感じました。

こんな状態になったからこそ、僕は「周りの人にこんなにも助けられてたんだ」、そして「力をもらっていたんだ」とゆっくりとそして深く気づくことができたんです。

今の自分の悔しくて情けない気持ち、未来を見ていたいけど見れないつらさ、「つらい、しんどい、」と今の気持ちを分かち合える存在が近くにいてくれることがどれほどの力になったでしょうか。

家族、友人、学びのコミュニティのつながり、ありのままの自分を素直に出せる人たちがそばにいてくれるから、躊躇なく休もうと思える。つらい時でも一歩前に踏み出せる。

自分が自由を制限されたからこそ気づいた、弱さを出せるつながりのありがたさ。でも、忙しいとその助けや支えがあたりまえのものだと思ってしまったり、見えなくなってくるんですよね。。

それと同じように、あたりまえの日常の中に本当はたくさんの足元の豊かさや小さな幸せがあったことにも気づきました。
・身体を動かした後のコールドシャワーがこんなにも気持ちよかったんだ
・自由に走れるってこんなに幸せなことだったんだ
・カフェで座り友人とおしゃべりできるってこんなに豊かなことだったんだ

失ったものがあるときに、そこで気づけるありがたみ、そして幸せや豊かさがあるんだとひしひしと感じています。

本当の豊かさはもしかしたら身近にあって、それを普段は見れていないだけなのかもしれません。弱さを出してつながれる存在がそばにいて、あたりまえの日常のひとときをゆっくりと味える。それだけでつらいことも乗り越えていける豊かなエネルギーが湧いてきます。

そしてつらい時は、今回の僕のように1人で起き上がらなくていい、人に肩をかりて起き上がればいい。もしそう考えられたら、その過程で起こるプロセスが人生に深みと豊かさを与えてくれるのかもしれません。

そんな気づきを与えてくれたことに感謝して、
最後に大好きな映画「インビクタス負けざるものたち」の南アフリカ大統領ネルソン・マンデラの言葉を引用します。

The greatest glory in living lies not in never falling, but in rising every time we fall.
生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。
転ぶたびに起き上がり続けることにある。

これからも1人の力ではなく、「周りの人たちと一緒に助け合いながら何度でも起き上がり続けたい」と願いを込めて。



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