カンボジアへの陸路入国はスリリングでエキサイティング
あらすじ
2018年3月、当時大学2年生の春休み
私は、シンガポールからマレー半島を北上しつつ東南アジアを10日間ぐらい一人で旅していた。
マレーシアのパダン・ベサールから、タイ・バンコクへ向かう夜行列車の中で、日本人の女子大生、モエカと出会った。彼女は「ノープランで東南アジアを旅している」のだという。
そこで私は「僕、これからカンボジアに行くんですけど、行きますか?」。こんな提案に乗ってくれて、一緒にカンボジアを目指すことになった。
ところが、カンボジアの入国には大きな障害が。それは、ビザが必要だということ。
インターネットの情報によると、これから目指すタイとの国境「ポイペト国境」はかなり厄介なのだそう。「高額な賄賂を要求された」とかそんなことが書かれている。
「ビザは事前に取っておけ」という先人たちのアドバイスのもと、カンボジアへと発つ前日、私たちはバンコクでビザを取得しようと市内を走り回った。
ところが、ビザ用の証明写真を撮影した時点で在バンコク・カンボジア大使館は営業終了。
現地で取得する「アライバルビザ」を取得することが、この段階で決まったのである。恐ろしく評判の悪いポイぺト国境から、無事にカンボジアに入国できるのか―。
※本稿は、以前私が書いて別サイトに投稿したブログ記事を再編集したものである。
情報は全て2018年当時のものであり、今後旅行を計画する場合は最新の情勢の確認をお願いしたい。
オンボロ列車は行く
バンコクのターミナル駅、ファラボーン駅(当時)。
重厚な造りの駅舎とアーチが美しいホームが「ターミナル」という感じがしてよかった。2021年にクルンテープ・アピワット駅に機能が移転され、全て過去の物になってしまった。
5:55発の普通列車(タイ国鉄の英語表記:Ordinary Train)でタイ東部のアランヤプラテートに移動する。
250㎞以上、時間にして5時間以上も走る長距離路線だが、運賃はなんと48バーツ(約144円)と破格の値段である。
6番線ホームに向かうと、列車はすでに入線していた。
列車は案外長い。何両あるのかは数えていないが…。
6時前。列車が動き出すと、東の空はすっかり明るくなってきていた。
バンコク近郊の通勤通学時間帯なのだろう。
すれ違う列車には、乗客が満載であった。
カチャカチャカチャ...。
車掌がハサミをもって検札にまわる。現代の日本では見られない、祖父母の話だとか小説だとかのなかでしか見たことのない風景だった。
すっきりとした晴れ空が気持ち良い。
車内には冷房などない。だが、窓は全開。自然の風が入ってきて、これがまた心地よいのである。
マレーシアの鉄道は、設備は綺麗で冷房完備だったけれど、効きすぎていて寒いくらいだった。
タイの鉄道は車両も古いうえレールの状態もよろしくはなく、お世辞にも「整備されている」とは言えないが、マレーシアよりも快適ではあった。
途中駅にて。ホームにいる物売りに乗客が窓から注文して、窓越しに商品を渡す。これも、祖父母に言わせてみれば昔の日本ではよくあった光景なのだそう。
列車は、どこまでも無限に広がる平野をひたすら進んでいく。
バンコクを出てからというもの、モエカは爆睡していた。
目を覚ました彼女と、列車のなかでいろいろ話していたけれど、そういえば一昨日出会ったばかりなのだと思い出す。
最初から友達と旅していたような、そんな「錯覚」があった。
乗客は地元民もいるが、どちらかというと我々のようなバックパッカーの姿が目立つ。地元民らしき老人が、白人バックパッカーに英語を教えてもらうのが見えた。
今はその面影などないが、かつてこの路線はインドシナ鉄道という国際路線だったのである。実際、国境を越える目的で乗っている者が多いということから、今でも国際列車だと言えなくもないが…。
列車は減速を始めるとまもなく、アランヤプラテートに到着した。
アランヤプラテートに到着。大きな荷物を持ったバックパッカーがぞろぞろと降りて来る。
駅前には乗り合いバスや、トゥクトゥクが待ち構えている。どうしようかとなったときである。
モエカが見知らぬ人物を連れてきた。昨夜バンコクで同じ宿にいたフィリピン人男性なのだそう。3人で割り勘でトゥクトゥクに乗ろうということに。「国境まで」と言うと、「はいよ」と。
実は、ここでも「運任せ」みたいなところがあった。トゥクトゥクの運転手が悪徳ビザ代行業者と手を組んでいる可能性があるのである。
「お前、ビザ取ってるか?取ってないなら、できる場所へ連れてってやるよ」というのが手口なのだそう。
幸いにもこの運転手さんは良い人だったようで、きちんと国境まで連れて行ってくれた。
2018年当時は寸断されていた線路だが、どうやらタイ・カンボジアの間の線路はつながったようだ。まあ、問題はちゃんと列車が運転されるかどうかなのだが…。
ドキドキ!?国境越えへ
いよいよ国境ゲート。タイを出国する。
車や人がひっきりなしに行き交う。
出国を終えると、いよいよ国境の橋を渡る。カンボジアの国旗とゲートが見えてきた。
カンボジア領に入ると、「ビザ~ビザ~」と我々を狙う見るからに怪しい代行業者がうろうろしている。
逆にあんなのに騙される客が今時いるのだろうかと疑問には思った。
正規のビザを取得すべく、政府機関の施設に向かう。国境の川を歩いて渡り、ポイぺトに到着した我々は少しばかり路頭に迷っていた。
ビザ取得場所がよくわからないのである。
ちなみに、トゥクトゥクで同乗したフィリピン人男性はタイ出国前に別れた。
どうやらフィリピン国籍保有者はカンボジアビザはいらないらしい。
さて、我々がうろうろしているなか、ひょろっとした男性が「ビザはこっちだよ」と示してきた。大変怪しい。
だが、なんだって皆目見当がつかないものだからついていくしかない。
道路を渡って反対側に政府機関と思しき建物はあった。どうやら悪徳業者ではなかったようである。
政府機関の建物といっても、プレハブ小屋のようなショボいつくりの建物である。
入ると、軍服のような姿の男たちがうろうろしている。
書類を一通り書かされたあと、パスポートもろとも一度回収される。そして、軍服姿の係員はマジックペンで「30$+100B(バーツ)」と書いた紙を黙って見せてきたのであった。
これが噂の賄賂か...と思いながら、「案外安く済んだもんだな」と思った。
建物内をわけもなく見渡してみる。
スマホを操作していた白人男性は、「写真を撮った」とでも疑われたのか、係員に何やら言われている。
そんななか。黒地と「日本国」と書かれた見覚えのあるパスポートを持つ人たちがいる。
って...あれ!?日本人!?若い男性二人のグループだった。
彼らもこちらに気づいたようである。ビザがホチキス止めされたパスポートを受け取り、イミグレーションへ移動する。
一緒に移動しながら、いろいろ話した。
彼らもまた日本人大学生で、しかも行き先は同じシェムリアップらしい。
彼らはリョウタロウとトモカズというそうだ。
イミグレーションはビザ申請の建物とは別になる。だが、建物のショボさは同様である。
ここでは入国カードを記入し、簡単なつくりをしたカウンターでパスポートとビザのチェック、そして指紋を取られた。
入国審査官のオッサンが、なぜか私のときだけゲラゲラと大笑いしていたのが全くもって解せなかったが、無事に入国は完了したようである。
結論から言うと、アライバルビザでもそんなに大変ではない、ということである。
もちろん、今回トラブルがなかったのは運がよかっただけなのかもしれないが…。
怪しいヤツらに連れられて
イミグレーションの建物を出ると、市場のような空間が広がっている。
さて、我々はこれからどうしようかということになり、少しばかり立ち止まる。
先ほど別れたと思ったフィリピン人男性とも偶然再会。先ほどビザを取得した場所から一緒だった白人男性もいる。
ここからは、アンコールワットがあるシェムリアップを目指す。
それはそうと、シェムリアップまでどう行こうか...。
いろいろ考えていたら、現地人男性と思しき人々がどこからともなく現れる。
さきほどビザの発給場所まで案内した男性もいた。
気づくと我々は囲まれていた。
「どこまで行く?」と。...日本語?!
「シェムリアップ...」と答えと、「バスで行く。バスターミナル、ここから10㎞ある。途中の道はアブナイだから、シャトルバスに乗る」。
そうして彼は、後ろに停まったバスを指さし、続けて「バスターミナルまで、タダで乗せる」と。
大変怪しいのだが…。彼らの話と、調べた情報を合わせると以下のようになる。
①国境の街・ポイぺトからシェムリアップまでは数百㎞の距離がある。
②ポイぺトにはバスターミナルが二つあるが、本数が多いのは新ターミナル。
③だが、新ターミナルは市街地から離れた場所にある。
④今我々のいる国境から新ターミナルまでは10㎞ほどの距離があるが、国境沿いということもありその途中の道路は治安が悪いため歩くには危険である。
⑤そこで、新バスターミナルまでこの人たちが無料で送ってくれる(と主張している)。
まもなく「無料シャトルバス」の発車時刻なのだそうだ。
大変怪しいが、歩くのも危険だ...。
囲んできた軍団の一人が英語で言ってくる。
「君たちは日本人でしょ?」
「そ、そうですけど」
「アジノモトー!オカモトー!」
「!?」
一体なんなんだ…。
我々は彼らを「味の素軍団」と呼ぶことにした。
「もう行くからとりあえず乗れ」と、我々は押しに負けてバスに乗り込んでしまった。
白人男性は、やはり信頼していなかったのかバスに乗るのを拒否。
歩いてターミナルに向かうようだった。
「無料シャトルバス」はそこそこ大きなバスだった。
我々日本人4人とフィリピン人1人のほかに、前のほうにとてもガタイの良い黒人男性が険しい顔をして乗っている。
...どう考えてもやばいやつだ。この黒人男性は一体何者なのか...。
我々は逃げられないのか…。
乗客4人と黒人男性、そして現地の男たち数人の乗ったバスは動き出したのである。
一体どこへ連れていかれるのか…10㎞という距離をこれほど長く感じたことはない。
「まだ?」と聞くと、
「もう少しだよ」と。
…全然着く気配がない。
車窓は、「街」から「田園風景」へと変わっていく。
ところで、黒人男性は現地男らと何やら旅行の話をしている。よく聞いていると、アメリカから来たただの旅行者だったようだ。
「味方だったわ」我々は笑った。そして、雰囲気で人を決めつけるのもよくない、とも思った。
だが、肝心のバスはまだまだ走り続ける。
何分乗っただろう、バスはようやく「新ターミナル」と思しき場所へ到着した。真っ暗だし人もいない。
申し訳程度の売店とレストランのようなものがある。
チケット売り場と思われる場所に案内された。
「バスとタクシーがある」そうで、バスは一人10米ドル。
タクシーなら2時間程度だが、バスならもう少し掛かるそうだ。
乗客が集まり次第発車するとのことで、一体いつ発車するのかはよくわからない。
まあ、急いでもいないのでバスにしておこう。
というわけで、バスのチケットを購入。ほかの乗客が来るまで待つことにした。
先ほどの黒人男性は、おそらくタクシーに乗ったのだろう、どこかへ消えていった。
到着から30分か40分くらい待っただろうか、同乗すると思われる数人の白人旅行者たちが現れた。
ちゃんとシェムリアップまで届けてくれるようなので、「味の素軍団」は悪徳業者ではなかったようである。
荷物を積み込み、乗客も次々と乗り込んでいく。大きいというわけでもない車に、フルサイズの人間12人が詰め込まれているのだから決して楽ではない。
乗り込んだところで、さっきの男たちが集まってきた。何かの最終回のような「味の素軍団」の全員集合であった。
「アジノモト!オカモト!」そう言って彼らは車を見送った。
ありがとう、味の素軍団!
ところで、あの「オカモト」は一体なんだったのだろうか...。
このあと、味の素軍団の一人(髭を生やした人物)も同乗してきた。
車は一本道を走る。車窓に広がるのは一面の野原である。
今走っているカンボジア国道6号線は、「アジアハイウェイ」にも指定されている。
アジアハイウェイは、「現代のシルクロード」として計画されたもので、東京の日本橋を起点にこのカンボジアも経由してトルコへ向かうルートとなっている。
さて、この窮屈で長い移動が退屈だったかというと決してそういうわけではない。
味の素の男性はエンドレスに話し続け、面識のなかった乗客同士も話している。
笑い声の絶えない車内だった。特に、後ろの座席にはドイツ人カップルが座っていた。拙いドイツ語にも付き合ってくれたのが嬉しかった。
「このあと日本にも行くんだけど、おススメの場所とかない?」。
難しい質問だったが、参考になればといくつかのスポットを教えておいた。
途中、土産物屋でトイレ休憩を取る。
トイレを使おうとすると、土産物屋のオバちゃんがこう言う。「Buy something~、何か買う~」と。
無事到着・・・?いやいや、そんなわけが
休憩から1時間もしないうちに、シェムリアップに到着した。
だが、着いたのは街外れの道路上。
トゥクトゥクの運転手が待ち構えている。
なるほど、確かにバス業者は悪徳ではなかったが、こういう形で「ビジネス」しているのだと思った。
トゥクトゥク運転手が、宿と連携して客をわざと高いところに送るという例もあるのだそうだ。もちろん、全てのトゥクトゥク運転手が悪徳というわけではないが。
フィリピン人男性は宿を決めていたそうなので、トゥクトゥクに乗せられて行ってしまった。
さて、宿を決めていない我々は...。
「歩こう」なんだか、そんな空気になった。
我々を狙っていたトゥクトゥク運転手は「3㎞もある、乗れ」と言う。
リョウタロウは「ジャパニーズ、ストローング」などと連呼し、運転手を苦笑いさせた。
そして我々は本当に歩いたのだが、これが案外きついのだ。
トゥクトゥクは「ほらな」と言わんばかりにゆっくりと並走してくる。
彼がこちらを見るたびに「ジャパニーズ、ストローング」を連呼するリョウタロウ。空元気とはこのことである。
しばらくすると、呆れた運転手はトゥクトゥクのスピードを上げて消えていった。
30分ほど歩いただろうか、市街地に到着した。とはいえ宿が決まっていない。ネットで目星をつけて探してみる。
この時点でだいぶヘトヘトではある。
西日に照らされた路地裏で子供たちが裸足でサッカーをしている。
逆光になっていて、なんだが後光が差しているみたいだった。
その風景には神々しさみたいなのもあり、とても感動を覚えたのだけれど、カメラを取り出す元気がなかった。
気になったものは何でも撮っていただけに、これほど感動したのにカメラを向けなかったのはこの旅では初めてだった。
宿には2つ当たって、2軒目のドミトリーに空室があった。ハエが沸いていたが、一晩寝る分には申し分なかった。
夜になり、我々は街に出る。街はトゥクトゥクの客引きでいっぱいだ。
カンボジアの客引きはマレーシアはもちろん、タイにもないような独特の強さを感じる。
カンボジアでは独自の通貨「リエル」もあるが、基本的には米ドルが流通している。
しかし米ドル払いでも、大抵お釣りはリエルで返ってくるという迷惑な仕組みなのだ。
ナイトマーケットからは少し離れるが、こちらのお店で夕食を取ることとなった。
5米ドルで焼肉食べ放題というとんでもない店だ。
今日出会ったばかりの仲間、いや「戦友」と。
そういえば、彼らと知り合ったのはついさっきなんだよな、と。なんだか、ずっと一緒に旅していたみたいだ。
ピンチあってこそ
翌日、私たちは10時とかぐらいに起きて遅めの朝食、というか昼飯を食べた。キンキンに冷えた氷入りのビールも付けてね。
アンコールワットという遺跡自体はとても広いので、トゥクトゥクをチャーターしてめぐることになる。
この点において、4人も集まったのは奇跡みたいなもの。一人旅だったらつまらなかっただろうし、お得感もなかったはずだ。
アンコールワットへの入場も、37米ドルとかなりいい値段。
その分、楽しめる部分も多かったのがよかったが。
夕方、池に反射して映るアンコールワットの建物はとても美しかった。
熱帯に生える木々の向こう側に沈む夕日。一生に一度でも見てほしいものである。
私はその日の夜、彼らと別れてバンコク行きの飛行機に乗ってとんぼ返りした。一日かかった行程を45分で飛んでしまうのだから、文明の利器とは恐ろしいものである。
旅の面白みはピンチあってこそである。
危機を乗り越えただけあった、急ごしらえではあったが、下手なそれよりもずっと強い「絆」が我々の間には出来ていた。
一人旅のつもりが、二人旅あるいは四人旅に増えていたりするのも、楽しさなんだよね。
帰国後、モエカには1度都内で会ったが、ほかの二人には会えていない。きっと、また地球のどこかで会えるはずだ。
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