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【灰澄さんと話そう#28】言葉にすることの効能と「困らないようにする」方法の模索について

こんばんは、灰澄です。

今回は、他所様の配信で出た話題で、「それなー」と共感したことがあったので、それについて書こうと思います。

ちょっと真面目なお話にはなりますが、あくまで雑談なので、お気軽に読んで頂けると嬉しいです。

自分の困った性質や傾向に、病名や症状名がつくことの良し悪しと、「知って、言葉にして理解する」ことの効能についてです。

性質に「名前がつく」ということ

心身の事情は名前をつけようと思えば概ね何だって名前がつくと思いますが、そこには色々と葛藤が伴います。

病は気からというように、名前がつくことで「自分は病気なんだ。おかしいんだ」と落ち込んだり動揺したりしてしまうこともあるだろうし、「こういう症状だったのか」と納得して落ち着くことだってあると思います。

個人的には、それが何であれ「困らないようになること(あるいは困っても大丈夫になること)」が大事だと思っています。

自分で上手く対処できるなら、あるいはそれで社会生活に致命的な支障をきたさないなら、名前がついてもつかなくてもいいだろうなと。

ただ、名前がつくこと、正確には言葉で説明して人に伝えられるようになることにはメリットがあると思ってます。

人によるとしか言えない話なので、それを推奨するということではなく、あくまで自分はこの考え方で楽になったし、納得がいったよ、というものだとお断りしておきます。

説明できるというメリット

身体に関わる話で自分語りをするのに躊躇が無いわけではないんですが、「話をする」・「言葉にする」ことについて、人を無為に傷つけない範囲ではできるだけ制限も否定もしたくないな、と最近改めて考えたので、引き合いに出しても他人に迷惑がかからない例題として、自分の話をします。

僕が自分の性質で一番手を焼いたのが、パニック発作です。これを説明できるようになったことは自分にとってとても良かったという話をしたいと思います。

さて、パニック発作の内容については、人によって違いもあるみたいなので一概に言えませんが、自分の場合はいくつかの条件が重なると過呼吸になったり動悸がしたり目が回ったり精神的に動揺したりして、しばらく動けなくなってしまうことがある、というものです。

そうなる条件が明確に定まっているわけじゃないし、その時々の心身の状態によって大きく変わりますが、少なくとも「なんかヤバくなるアレ」「パニック発作」として理解することで、何をしたらマシになって、どこまで緩和できて、もしくはどうにもならないのかを、ある程度把握できるようになったことで、かなり気が楽になりました。

諸情報を自分の中で整理して、できる対策をやっておくだけで、不測のタイミングでパニックを起こして苦しむ、ということは随分減ったし、起こしたとしてもダメージや回復の早さの程度がずっと扱いやすいものになりました。

また、それを言える間柄の人に対しては「気分が悪くなってしまうかもしれないから、人の多い場所を避けたい」「今は困った状態だから、少し待って欲しい」など、懸念していることや状態、その場合の対処を伝えられるようになったことも安心材料になりました。

もちろん、こういうことが役に立つかどうかは時と場合によるし、他人に押し付けられるものでもないので、ダメなときはダメなんですが、それでも切れる手札は増えます。

必ずしも人に伝えられるものなのか、もっと言えば、人に伝えることが常に適切な判断なのか、と問えば、その限りではありません。

自分の中でそれを言葉にできて、必要があれば人に伝えられる、ということが肝だと僕は思っています。

ただ、言葉にして理解することが自分自身を追い詰めたり傷つけたりする、という人もいるだろうし、その場合にあえて言葉にしないでおく、というのも一つの戦略だとは思います。

「知って、言葉にして、理解する」ことの効能

一連の話で言いたいのは、「知って、言葉にして理解する」ということが漠とした不安に形を与えて、制御可能なものにしてくれることがあるよ、ということです。

僕は、分からないものをどうにかしようとするとき、それを解剖台に乗せて腑分けを試みる、という感覚があります。

出来るだけドライに、誠実に、現象そのものの内訳を分析することが、現実的に物事に取り組む際に有効な視座だと思っているので、困り事について見ないようにするよりも、より精密に直視する方が気持ちが落ち着きます。

言葉が自分を追い詰めることも確かにあるけれど、僕にとっては、息をする方法を教えてくれるのもまた言葉だからです。

これは何も言葉というものを妄信することが好きと言っているのではなく、特に病名や症状についての話については、言語化はあくまで方便の一つです。

自分が困っていることの名称を知ることで、対策を講じられることはそのようにして、しっくりこない部分については受け流し、「自分が一番困らない(もしくは困っても大丈夫な)置き場所を探る」くらいの取り組み方が、ストレスを軽くしてくれるかもよ、というお話でした。

新企画の宣伝

以上、ともすればセンシティブな話なので回りくどい感じになってしまいましたが、一つのやり方、考え方としてまとめてみました。

さて、こういう混みいったことをいつも考えているし、言葉を詰め込んだ話をするのが好きなので、youtubeで新しい企画を始めました。

『全部言葉にするラヂオ』
言葉や概念について、考えたことを全部言葉にする、めんどくさい話を語り尽くす系ラジオ企画

この第一回を公開しました。
Vtuberの久利大也さんと「虚実」について沢山語りました。

「虚実」とは何か?
Vtuberは虚なのか実なのか
現象と解釈の思考実験 など

言葉が好きな方に特に楽しんで頂ける内容になっていると思いますので、是非よしなに。

それでは今回はこのへんで。
また次回の記事でお会いしましょう。

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